レポート1-付録 兄は菅笠 妹は日傘
浅草-上野間をケーキ邑田の魔の手から逃げきった俺が家に帰り着くと、すでに夕飯を食べ終わった妹の緋奈がリビングのソファーでゴロゴロしながら雑誌をめくっていた。
「あ、おかえりー。夕飯はシチュー作っといたから適当に食べて」
「おう。これお土産のケーキな」
「え!?マジ!?どういう風の吹き回し!?」
「なんとなくな」
邑田がケーキ食べながら追いかけてくるのを見てたらなんか食べたくなったなんて事情を話すわけにもいかず、俺は曖昧に返事を返してソファーテーブルの上にケーキの箱を置いた。
「うっわー、全部食べていいの?」
「四個あるんだから家族みんなで一個ずつだろ普通に考えて」
「あ、パパとママは仕事で今日帰ってこないっていうから緋奈三個食べるね」
「太るぞ」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと運動するから」
「残しとくから明日の朝二個食べればいいだろ」
「うー……まあ、そのほうが太りづらいっていうのはあるかもだし、それでいいか。じゃあ今とりあえず二個食べて、明日の朝残りの二個食べよっと」
そう言って緋奈は鼻歌交じりに立ち上がって食器棚に向かう………ん?あれ?まあ、いいか。頼みたいこともあるし。
「はいどうぞー」
ケーキを買ってきたことで上機嫌になった緋奈は俺の分のシチューを用意してくれた後、ケーキの選別作業に入る。
ちなみに箱の中はショートケーキとチョコレートケーキ、モンブランにチーズケーキとオーソドックスながら、誰でもどれかしら食べれるだろっていうラインナップだ。
「………よし決めた!」
俺がもうシチューを食べ終わろうかという段まで悩んでいた緋奈はモンブランとショートケーキを取り出して箱の蓋を閉めて冷蔵庫へ持っていくとニコニコしながらケーキにフォークを付けた。
よし、切り出すならこのタイミングだ。
「あのな、緋奈。ちょっと頼みがあるんだけど」
俺がそう切り出すと、緋奈は見るからに面倒くさそうな顔でフォークを置いた。
「えー……ことと次第によっちゃあケーキ四個じゃ足りないよ?」
「俺、連休ちょっと友達と泊まりで遊びに行くから」
「あ、なんだ、そんなこと?いいんじゃない?」
そう言ってパッと明るい表情になると、緋奈は再びフォークを取ってケーキを格闘し始める。
「で、その。できれば両親に話す時に味方してくれないかなって」
「味方って、なんの味方?」
「いや、泊まりとか反対されそうだなって」
「いやいや、お兄ちゃんが泊りがけの旅行行きたいって言って、それでうちの両親が反対するってそんなのあるわけ無いじゃん」
「え?そうなのか?昔旅行するって言った時に反対された記憶があるんだけど」
「それって小学生の頃かなんかでしょ?しかも旅行とかじゃなくて、なんかかわいそうな女の子と一緒に二人で暮らすとかなんとか」
「…………そうだったかも」
「料理選択掃除何にもできない、生活能力なしの子供だったくせに」
「うるせー。今はできるよ」
「ま、なんにしても反対はされないとおもうよ。緋奈も泊まりで遊びに行くって言った時、特に何も言われなかったし」
「そっか」
………ん?
………………んんんんんんん?
「まあ、パパはちょっとさみしそうだったけど」
「お前、泊まりで遊びに行くの?」
「いくよー」
「中等部なのに?」
「あはは、やだなー、中等部だって高等部だって遊びにくらいいくっしょ」
「男は!?まさか男は一緒にいないよな!?」
「え?いるよ」
なんということだ!俺の妹がいつの間にか男と一緒に泊まりで遊びに行く不良娘になってしまっていた!
しかも連休ともなれば俺達のように部屋が取れなくて男女が同じ部屋なんてこともありえないことではないかもしれない。
「ど、どういう部屋割なんだ!?まさかお前…」
「え?普通にシングルだけど」
「………大部屋とかじゃなくて?」
「女子部屋にしようかって話はあったけど、お互い気を使うしねえ。男子も一人だけだから彼はどうせシングルだし、だったらみんな一人で良いんじゃないっていうことになってさ」
「そ、そうか」
なんか俺の感覚と違う。
どうせみんなで泊まるなら夜は色々話ししたいと思うものなんじゃないだろうか。うちみたいに男女八人同じ部屋とかは行き過ぎにしても。
「で、お兄ちゃんのほうはどういう友達?もしかして彼女さん?二人旅とか?」
「二人旅なわけないだろ………まあ、彼氏彼女にはなれたら良いな、と思うようなそうでもないような」
「おおおーーーー!あのお兄ちゃんに気になる女の子が!いいねえ、若いねえ、青春だねえ。よし、今度うちに連れてきなさい」
緋奈はそういって少し偉そうにふんぞり返ってみせる。
「だからとりあえず今はそういうんじゃないっての」
「つまり、将来的にはそうなるんでしょ?」
「なるかどうかはわかんないって。というか、あいつの兄貴は俺と話があうくらいのシスコンだぞ?無理だ無理」
「あー………確かにそれはあれだね。おつきあいしようと思ったら、色々と厳しいね。まあでも、顔見てみたいから写真見せて」
「いや、そんなの無いって」
「じゃあメールで取り寄せて」
もしここで俺が邑田に『お前の写真を送ってくれ』とか言ってみるとする。そうするときっとそそっかしいあいつは俺がOKしたと思い込み、仲間内ひいては要さんにまで触れ回るだろう。そうなると、俺は要さんからの嫌がらせを受けることになる。
うん。無理だ。
「あのなあ緋奈」
「可愛い妹からの、お、ね、が、い」
くっ…そんな可愛いポーズと表情、一体いつどこで習得したんだ!
「………明日隠し撮りしてくるから待ってろ」
「うえー、チョロいなー…」
「え?」
「なんでもなーい。あ、そうそう。本当にその人と知り合いってことの確認のために、隠し撮りじゃなくてお兄ちゃんも一緒に写っている写真でよろしく」
「…というわけで邑田。一緒に写真を撮ろう」
翌日の放課後、意を決した俺は生徒会室で邑田にそう頼んだが、邑田は一拍置いてから首を傾げながら口を開いた。
「いや、その提案に乗るのはやぶさかではないけれど、いったいどういうわけで?」
くっ、説明をすべて省きつつノリと勢いで何とかする作戦を見破るとは邑田のくせにやるじゃないか。
「妹が俺の女友達の写真をみたいんだと」
「ああ、妹さんが………ってことは、つまり相馬くんとのお見合い写真!?」
「だとしたら順序がめちゃくちゃだろうが。もうすでに出会ってんのにお見合いもなにもないだろ」
「あ、そうか、じゃあフォトウェディングだね。私達結婚しましたーみたいな」
「だから順番すっ飛ばすんじゃねえよ!」
「何騒いでんのよあんたたちは」
「今日も楽しそうですね先輩たちは」
そう言いながら生徒会室にナチュラルにはいってくるぼたんと尾形さん。
「…なあ、お前ら毎日のようにこっち来てるけど、自分の学校のほうは大丈夫なのか?」
「私は別に自分の学校で生徒会やってるわけじゃないしね」
「私も別にいなくてもいいようなものなので…というか、私達の学校の生徒会って特にやることがないんですよ。これといった特権や決定権もありませんし」
まあ、お嬢様学校だしな。
生徒になにかやらせるまでもなく細々した雑用は業者でも入れるんだろう。
「で?なんの話してたわけ?」
「うちの妹が俺の女友達の顔が見てみたいから写真撮ってこいって言っててな」
「え、あんたついに茉莉と付き合う気になったの?」
いや、ついにもなにも昨日の今日なんだが。というかそんな気になってないし。
「そういうんじゃなくて、妹的には俺に女友達がいるのが信じられないらしい」
「…ふーん、つまり小姑の嫁さだめってわけだ」
「そういう言い方すんなって」
「嫁!?私、相馬くんのお嫁さんになれるの!?」
「今の所そういうことを考えるような関係じゃないっての。まあ嫁がどうこうじゃなくて、単純に兄の交友関係に興味があるお年頃なんだろ」
「そういうもんかしらね。私は別にお姉さまの交友関係に興味なんて無いけど」
まあ、椿先輩の場合はね、興味を持てるような交友関係自体がないからね。
「ま、でもそういうことなら私も協力してあげましょうかね」
そう言ってぼたんは俺の胸ポケットからカメラ付き携帯を抜き取って尾形さんに放り投げた。
「りら。撮影よろしく」
「承知しました」
尾形さんの返事を聞いたぼたんは満足そうにうなずきながら邑田と二人で座っている俺の両脇を固めるように立つ。
「って、ぼたん。これじゃなんか俺が邑田とお前を二股してるみたいじゃねえか」
「は…はぁッ!?何勘違いしてんのよこの馬鹿アホスケベ変態!これは万が一要兄に写真が流出した時に言い訳つくようにしてあげてるだけなんだからね!?というか、そういえばあんたお姉さまどうすんのよ」
「え?いや、嘘の関係だっていうのがバレたんだから普通の友人関係だしどうするもこうするもないだろ」
「いつも思うけどあんたそれどっちで言ってるの?」
「どっちって?」
「……はあ、もういいわ。じゃあお姉さまも呼んで撮りましょうか。そのほうが、妹ちゃんが変に先走って茉莉と一緒にあんたの外堀埋めるなんてことになりづらいだろうし」
なにそのちょっと怖い話。
「そっか!妹ちゃんに強力を頼めば良いんだ!」
だからなんなのその怖い計画。
「ほら、あれ。馬がインすれば…なんだっけ?」
どこにインするんだよ馬。
「『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』か?」
「あ、それそれ。さすが相馬くん」
いや中等部レベルだろこんなの。
「あのー、椿先輩が後ろですごい顔して立っているんですけど、もう撮っちゃっていいですか?」
「え?」
「なんだか楽しそうなことしていますね、瑞葵さん」
「ひっ!」
俺が振り返ると、そこには般若が居た。
なに?なんで満面の笑顔なのにこんな迫力あるのこの人。
「じゃあ椿ちゃんがきたから私はちょっと動いてっと」
そう言って邑田が動いた次の瞬間、頭にズシっと、重みのあるものが載せられた。
言うなれば小さな米袋とでもいうのだろうか。しっかりと重みがあるにも関わらず、中身が流動的に動くことによって頭の形にフィットするというか…
「あの、邑田さん?」
「うん?載せているんだよ?」
何を!?何を載せられてんの!?って、椿先輩はなんでそんな怖い顔して…だからぼたんのそのたいしてない胸をかばうジェスチャーはなんなんだよ!
「あ、あの、相馬くん?あんまり動かれると…んっ…」
載せないで!変な声出すなら載せないで!
「はーい、じゃあ撮りますねー」
「ちょ、ま…」
待ってと言う前に、尾形さんは無情にもシャッターを切り、カシャリという軽い音が生徒会室に響いた。
まあ良いけどね。尾形さんは緋奈の名前を知らないからメールに添付して送ることはできないし、後で杏平にでも頼んで写真をもう一枚撮って緋奈には今の写真を見せなきゃ良いだけだし。
「アドレスアドレス…あ、あったあった。じゃあこれを緋奈ちゃんに送ってと」
しまったーーーーー!アドレス帳に家族の写真を設定してあったせいでバレバレだったー!
その日の夜。
俺は緋奈の命令っでリビングの床に正座させられていた。
「お兄ちゃん」
「はい」
「緋奈ね、浮気ってすごく駄目なことだと思うの。昔々から心の殺人なんて言われるくらいだし、すごく人を傷つけることだと思うの」
「あの…違うんですよ緋奈ちゃん」
「黙りなさい!」
「はい…」
「これ、どう考えてもこの胸の大きい人が浮気相手で、胸の小さい人が恋人候補…もしかしたら友達以上恋人未満…ううん、彼女はお兄ちゃんのことを恋人だと思っていそう」
まあ確かに椿先輩に『みんなにバレたしもう恋人ごっこは終わりにしましょう』とは言ってないから椿先輩の中ではそうなんだと思う。
「緋奈がこの胸の大きい人にちゃんと話してあげるから、明日にでも、それが無理なら連休が終わったらでもいいから連れてきなさい。それとこの胸の小さい人にもお兄ちゃんをよろしくお願いしますって言わなきゃいけないからちゃんと謝ってこの人も連れてきて」
「わかった。なんとか連れてくるけど、一つわかっておいてほしいのは、俺は本当に誰とも付き合っているわけじゃなくて――」
「いいから!」
「はい…」
今の緋奈には何を言っても駄目っぽいな。よし、少し冷却期間を置こう。
そんなことを思って逃げを打っていた自分を殴ってやりたい。
数日後、俺は心の底からそう思うことになる。