レポート1-15 彼女の事情
「ねえねえ、あたしも友達多い方じゃないから、これが不正解だといえるほど自信があるわけじゃないけどさ。多分これは間違っていると思うのよ」
隣に立っているぼたんは、俺の袖を引きながら、少し心配そうな表情でそんなことを言った。
「いや、でもみんなに対して椿先輩のことを言うわけにはいかないんだから、邑田との関係改善をするしかないだろ。そうすれば尾形さんの当たりは弱くなると思う。で、あとは杏平と話をして和解すれば、俺に対して敵愾心を持つのは柿崎だけになるってわけだ」
「まあ、そううまく行けばね」
そう言ってぼたんは目の前の門を見上げた。
数日前に来た時はこんなに大きくなかったような気がするが、俺にやましい…というか、気後れしているところがあるせいか、前に来たときよりも大きく見えているのかもしれない。
「で、あんた一体どうやって茉莉と和解するのよ。というか、変に触らないほうが良いわよ。あの子の婚約については」
「いや、そうは言うけど、もう触っちゃったからな。というか、やっぱり何か問題があるのか?」
「大問題よ。はっきり言って、どうにもならないと思う」
「一体どんな問題――」
「何だお前ら。うちは押し売りお断りだぞ」
後ろから声をかけられて振り返ると、190センチくらいありそうな背の高い男性が立っていた。
「あ、要兄。めずらしいね、こんな時間に帰ってくるなんて」
「おう。なんだぼたんと護衛か。着替え取って一息ついたらまた会社だよ。おめえの親父は人使いが荒いからな」
そう言って要と呼ばれた男性はぼたんの頭を乱暴にグリグリと撫でる。
要………?
「ん?お前うちの社員か?護衛やるくらいだから見覚えがありそうなもんだけど…」
「あ、こいつお姉さまの彼氏(仮)」
「ああ、じゃあこいつが茉莉と香華が言っていたやつか……ふうん…」
そう言って要さんは俺をジロジロと舐め回すように見た後、ポンと肩に手をおいて、ニッと笑った。
「……勇者だな」
「え、一体どういう意味ですかそれ」
「あの椿と付き合うなんて、もう尊敬するしかねえなって」
「いや、だから勇者とか、あの椿とか一体どういう意味なんですか?」
「…まあそれはともかく、立ち話もなんだから入れ入れ」
要さんはそう言って門を開けて手招きをした。
「あの…邑田は…?」
「茉莉はパーティに行ってる。忙しい俺の代理で出てもらってるんだよ。あいつにはこのために一応常務って肩書もつけてあるし」
え、邑田って役職付きなの?じゃあアルバイトみたいな立場の俺から見たら上司ってことなのか?
「要兄のは忙しいっていう理由をつけて、面倒なパーティをサボってるだけでしょ」
「出席のはずなのに、護衛を撒いてこんなところにいる奴が言うな」
「うへ、藪蛇だった」
うんざりしたような顔をしてそう言うと、ぼたんは出された羊羹を口に運ぶ。
「というか、今週がパーティだって忘れてたのよ。だから私は悪くない」
実際忘れて言うたんだと思う。覚えていたらここに来る前に、今日は邑田がいないって言っていただろうし。
「で、今日はどうしたんだ?ぼたんが椿の彼氏を取ったとかそんな話か?椿対策的な?」
もしそうなったら椿先輩に対して一体どんな対策が必要なのだろうかということに興味がないではないけど、今日はそういう話じゃない。
「いえ、先輩じゃなくて…邑田…茉莉さんのことで来たんです」
「あ、ちょっと馬鹿…」
「うちの妹に、何か?」
あ…あれ?さっきまですごく友好的だった気がするんですけど、なんで妙なオーラを漂わせているんでしょうか。
「お前、まさかうちの妹になにかしたんじゃねえだろうな!?」
「い、いや…」
「朝食にはいつもきちんと出汁を取るところから始めた味噌汁と焼き魚それに小鉢をつけてくれる将来良妻賢母になりそうなうちの妹に、汗っかきだからって気にして朝も夜もお風呂に入る身だしなみバッチリなうちの妹に、中学生になるなりわざわざ自分用の洗濯機を買ってきて、別になにもしないのに、お風呂に入ると同時に鍵をかけてさっさと下着を洗ってしまう貞操観念の強いうちの妹に何か用かね!?ことと次第によっては許さんぞ貴様!」
色々言いたいことはあるけど、それ、貞操観念じゃないと思います。っていうか、絶対なんかしただろこの人。
「……お前らの周りってろくな大人がいないな…」
「いや、別にみんながみんな要兄とか、香華みたいなのじゃないからね」
誰のことって言ってないのにすらっと名前が出てくるあたり、この二人がおかしいだけか……二人がおかしいだけだと良いな。
椿先輩とぼたんのご両親とかまともな人だと良いなあ。ろくにこっちの説明も聞かずに香華さんみたいに『うちの娘に手を出すなー!』みたいにならない人だと良いなあ。
「聞いているのかね!」
そう言って要さんはドン!とテーブルを叩く。
というか、なんで口調まで変わっているんだろうこの人。
「いえ、別に俺は茉莉さんのことが好きとかそんなんではないです」
「何!?うちの妹になにか不満があるのか!」
じゃあ、どうしろっていうんだよ…。
何度も…というか何を言っても地雷を踏む状態になった要さんと一触即発、道場に連れて行かれそうになったところで、ぼたんが振ってくれた『そういえば相馬も妹いるのよね』という助け舟のお陰で危機を脱した俺は、30分ほどですっかり要さんと打ち解けた。
「まったく、お兄ちゃんは辛いよなあ」
「でもそこが癖になるんですけどね」
「そうそう、そうなんだよ。わかってるなあ、お前」
「キモ。二人で似たような名前のシリアルでも食べてればいいのに」
失礼な、誰がシスコンだ。
「それで、結局茉莉に何の用だったんだ?」
「ああ、そうでした。妹さんの婚約の件について聞きたいんですけど」
「ああ……それか…」
俺の言葉を聞いた要さんはニコニコと笑うのをやめ、さっきとはまた違った真剣な顔でため息を付いた。
「…で、何が聞きたい?」
「邑田はなんで自分のことを好きじゃない杏平のことを好きだって言っているんですか?できればこう…上手く言えないんですけど、正常に戻すなり、解消するなりして、あいつに良いようにしたいなって、要さんだって、邑…茉莉さんにあんな辛そうな顔させるのは本意じゃないでしょう?」
「ぼたん?」
「言ってない。あたしがペラペラ話すことじゃないから。言うかどうかの判断は要兄に任せる」
ぼたん要さんからの確認に一度首を振ってそう言うと、出されたお茶を一口のんだ。
それを見て、カナメさんは一つ大きなため息をついてから口を開いた。
「そうか……あいつはな、両親のことが大好きなんだよ。で、その両親が決めた婚約者を好きでいることで、あいつは死んだ両親とつながっている気になっている。っていうのが、あいつが婚約者にこだわる理由だ」
今、重要なことをさらっと言われた気がするんだけど。
「え…ええと…」
「車の事故でな。もうかれこれ10年近く前になるんだけど、うちの両親は死んでいるんだ。それ以来俺が茉莉の親代わりになってあいつを育ててきている」
本当か?という視線をぼたんに送ると、ぼたんは黙って一度頷いた。
「まあ、だから俺達が何を言っても逆効果だし、ぶっちゃけどうにもならん。茉莉のやつがもう少し大人になればなんとかなるかなとは思っているんだけど、今は様子見だな。杏平にも悪いことをしているとは思っている。まあ、両親のことが吹っ飛ぶくらい衝撃的な出会いでもあれば、あいつも変わるかもしれないが」
そう言って要さんは少し悲しそうに笑った。
邑田の事情は俺が思っていた以上に重かった。
一学生の俺がなんとかできるような話では…というか、誰かがどうにかできるような話ではなかった。
杏平とは自力で、尾形さんのほうはぼたんにとりなしてもらい、なんとか関係改善し、一緒にダンジョンに潜れるようになったしレベルも上がったものの、レベルが上ったところで大人に慣れるわけでもなく、邑田のほうはどうにもすることができずに相変わらずで、かといって事情を知ってしまった以上、杏平に邑田とのことを無理強いすることもできないという、八方塞がりな状況だった。
そんな行くも引くもできない状況の中、みつきさんとの再再戦に備えて、いつものように仲見世で休憩を取っていると、これもまたいつものようにメロンパンを抱えた先輩が俺の顔を覗き込んできた。
「どうしたんですか?」
「結局、全部空回りしているなあって思いまして」
「……先週、私達が帰された後に何かありました?」
「ええ、まあ色々と…」
俺はみつきさんとのこと、ぼたんと一緒に要さんに会ったこと、邑田のことを聞いたこと、一週間なにか他にできることがないか色々と考えたことを話した。
「そうでしたか…」
先輩はそう言って俺のあたまをポンポンと撫でてからメロンパンを一つ差し出した。
「本当であればそういうことは年上の私がやらなければいけないのですが、相馬くんに負担をかけてしまいましたね」
「いえ…先輩が忙しいのはよくわかっていますから」
俺が、先輩からもらったメロンパンを一口かじると、先輩も隣でメロンパンをかじる。
こうしてニコニコしている時のこの人は、本当にかわいらしい。
でも、学校の中で見かける先輩はこうして美味しそうにメロンパンを食べている、一こ上の可愛い先輩ではなくて、生徒会長で学校の理事でもある、大人の顔をした年上の女性で。
でもやっぱり、大人に混じって無理をしている風にも見えて、これ以上の負担を先輩にかけるわけにはいかなくて。
「私も茉莉のことは今のままでいいとは思っていませんでしたし、これからは私もお手伝いしますから、一緒にやっていきましょう」
「いや、でも先輩は学校のほうも忙しそうですし、そんな、無理をしなくても大丈夫ですよ。邑田のことは俺だけの力で…は、なんとかならないかもしれないですけど、ぼたんも手伝ってくれていますし、杏平とも和解したんで、一緒にやっていくこともできそうですし…それに…」
それに…なんだろうか。それになんて言ったものの、俺には続ける言葉がなかった。
この一週間、今の俺にできることはやってきたつもりだし、これ以上、俺に一体なにができるんだろう。
「……相馬くんだけが無理しなくて良いんです。私もぼたんも杏平くんも、みんなで少しずつ無理すれば、負担は軽くなるし、一人でやるよりも、きっといい結果になると思いますから!」
椿先輩はそう言って残っていたメロンパンを口に押し込んで飲み込むと、スッと立ち上がって振り返り、座っている俺に手を差し出す。
「さあ、善は急げですよ、相馬くん。さっそくぼたんと杏平くんと一緒に作戦会議をしましょう」
にっこりと笑いながら、先輩はまだ少し迷っていた俺の手を引いて立ち上がらせてくれた。