ずっと、君を見ていた…
小さい頃から僕は大人になれないことを悟っていた。
病気を治すと奮闘していたこともあったけど、運命とは残酷なもので、覆すことはできなかった。
その内なにをするにも無気力で、自分が終わる日をただ、ただ、待つだけの日々を送るようになった。
僕の世界は灰色で、生きる屍だと自分でも分かっていた。
そんなある日、学校の演劇部の応援で着いていった大会で、僕は君を見付けた……。
その途端、僕の世界は灰色で色鮮やかなものに変わった……。
「主役だったあの子、輝いてたな……」
昼休み、いつもの仲間たちと屋上でお昼ご飯を食べながら、僕は空を見上げて思いを馳せた。名前も知らないあの子、残念ながら主役ではなかったけど、主役の人よりも輝いていて、敵役も舞台を演出する立派な役者であると再認識させられた。
僕は主役にはなれない。少年漫画での病気を抱えているキャラは天才的な才能を秘めているが、僕にはそんなものはない。
少女漫画なら、主人公が誰よりも心を打ち明ける相談相手として登場して、場を盛り上げる為に一番いいところで悪化して死に、主人公が彼氏との絆を深めるきっかけになるキャラだ。
僕の役割なんてそんなところだろう。
「幾ら台詞を完全に覚えられてもな……。お前には表現力がないからな。残念だけどウチの演劇部じゃあ舞台に上がるのも難しいな……。
エキストラだって、部長の心遣いでやらせてもらってんだぞ?」
声に出ていたらしい。僕の言葉に同じ演劇部の部員、チョイ役だけど毎回舞台には上がっている木ノ原が的確な感想を述べてくる。
「分かってるよ……」
あまりにも真実な言葉に僕は肩を竦めて苦笑する。言い訳をする訳じゃないけど、これまで入退院を繰り返して、ベッドの上で過ごしているのが長かった為、普通の人が嬉しいときや悲しいときにどんな動作で表現をするのか良く分からない。そして、分からないことはできない。
なのに、観察したり研究したりもしないで、ただ、覚えただけの台詞を読んで演劇をしているつもりになっていた僕に、他の熱心にやっている人より上手に演じられる訳もなく、本当は舞台に上がる資格すらないのかも知れない。
「だけど、お前の絵はみんな誉めてるぞ?
ウチの演劇部の評判がいいのは、劇の内容よりもお前が描く背景がいいからだって言う人も要るらしい」
木ノ原空を見上げてポツリと呟いた。そんな話は始めて聞いた。
僕の絵には人を惹き付けることができるのだろうか?
彼女のように、誰かを感動させられる事ができるのだろうか?
少なくても、演劇よりは可能性があると思った。
なにより僕には時間がない。
一からなにかを探しているだけの時間が……。
絵は、病室でも描けたから子供の頃からずっと描いていたし、色々勉強もしたから知識はある。才能なんかなくてもそれなりに描ける技術はある、と思う。
絵を描いて見ようと思った。今度は本気で……。
僕はその日の内に演劇部を辞めて美術部に入部した。こうなると、少しでも時間が惜しかった。
演劇部を辞めるときに、部長の言ってくれた『お前の中にある衝動を絵で表現できるといいな』と言う言葉が嬉しかった。
ちゃんと、僕を見ていてくれたのだ。
美術部に入り、基礎から学び直し、僕は一生懸命に絵を描き続けた。
だけど、旨い人は沢山いる。本気で画家を目指して、描き続けている人も多い。結局ここでも僕はその他大勢だった、と諦め掛けた時だった。
「お前は技術はあるが、情熱がな……。
もっと熱いなにかが欲しいんだよな……。いや、そんなのは俺だって持ってないんだけど……」
幾つ目かのコンクールでも、あまり評価されなかった僕の絵を見て、顧問の先生が苦笑混じりにそう言った。
情熱……。熱いもの……。
それなら僕は彼女を描こうと思った。
誰よりも真摯で、ひたむきで、汗がスポットライトを反射させてきらきらと輝いていて、小さな体を一生懸命に動かして、目が逸らせなかった彼女を……。
頭の中で何度も思い出して、何度も描き直して、彼女の美しさを表現できない自分の無力さ絶望しながら、それでもこの絵だけは絶対に完成させたくて……。
苦悩と焦燥、希望と絶望。それらを筆に託して一筆ひとふで、大切に……。大袈裟に言うなら魂を込めて……。
ゴールデンウィークの直後くらいから描き始めて、夏休みも学校に通い、文化祭にも不参加で僕はひたすら絵を描き続け、仕上がった時には十月を過ぎていた。
良かった。十一月のコンクールには間に合う。
僕の全身全霊の一作。別に誰かに評価されなくても構わない。
僕は、ただ、描き終えることができたことに満足していた。
始めて先生に誉められ、友人たちにもこれまでなかった迫力があると感想をもらい、女子には自分を描いてと頼まれるくらいに、絵は良いものに仕上がった。
そんな風にあの子を表現できた自分が、僕はとても誇らしかった。
なにかが変われる、そんな風にさえ思えた。
だけど、それは錯覚だった……。
次の日、僕は立つこともままならなくなってしまった。
やっぱり、僕は僕でしかなかった。
目標をやり遂げて気が抜けてしまったのだろうとお医者さんに言われた。僕が絵に打ち込んでいる間も病魔は体を蝕んでいたらしい。
その代償を支払うときが来たのだ。
僕は、どうして僕がこんな目に合わなきゃいけないと言う悲観と、ああ、やっぱり僕は僕かと言う諦めと、これまで頑張ってくれてありがとうと言う体に対する感謝を同時に抱いていた。
次の日から、また入院生活が始まる。
だけど、絵だけは完成できて良かった。
病室から空を見上げて、君の姿を思い浮かべる。
青空の下で、夕日を背景に、星空の中に、いつも君を思い浮かべていた。
そうしているだけで何時間も空を見ていられる。だけど、回りから見たらただの廃人みたいに見えるのかも知れないね。
点滴と安静で僕は基準値まで体力が戻り、退院ができることになった。
はっきり言ってしまえば、病院で治療を受けても、家で薬を飲んでいても、たいして変わらないらしい。
それなら動けるうちは家で過ごして、好きなことをやって思い出を作った方がいいと言うことらしい。
僕の絵はコンクールに出展されることになったことは、入院中にお見舞いに来てくれた先生が教えてくれた。
僕は恥ずかしいと思ったが、同じくらいに嬉しくもあった。
僕の描いた絵が多くの人の目に止まる。もしかしたら、僕の絵を見て勇気付けられる人がいるかも知れない。
そう思ったら、なんだかこのまま帰る気にもなれず、いつも乗るバスには乗らず、駅まで歩いて行くことにした。
いつもと違う道、ほんのささやかな非日常。小さな冒険心にわくわくしながら、僕は駅を目指した。
そこで僕は、彼女を見つけた。
普通の制服姿で、舞台の上での青白いオーラを発してもなくて、ごく平凡な女の子だったけど間違いない。彼女だ……。
声を掛ける勇気もなく、この道を歩いているのなら駅に行くのだろうと、彼女の反対斜線を歩きながら彼女を見つめていた。
ストーカー染みてるななんて思ったけど、僕はそれで幸せだった。
駅までの短い時間を見つめていられる。
僕にとってはそれだけで十分だった。
「ひゃっ!!」
その時、背後から女の人の悲鳴が聞こえてきて、僕は振り返った。
腕を押さえて蹲る女の人と、走ってくる何処か不振な男の人の姿が見えた。男の人は、ナイフを握って彼女へ向かっていく。
彼女はヘッドフォンをしているせいか、まったく気付いていない。
ダメだ! 僕は必死で走って彼女へ近付く。
格好いいヒーローなら、男の前に立ちはだかり、ちゃんと守れたのだろうが、僕には彼女を突き飛ばすのが精一杯だった。
彼女は土手に転がり、動かなくなる。
僕は慌てて声を掛けようとしたが、男の人がぶつかって来て、アスファルトに放り出された。
彼女は大丈夫かな?
あれ……? 僕は立ち上がろうとしたら、足に力が入らなくてその場に座り込んでしまった。
お腹に違和感を感じて撫でて見ると、そこは激しく濡れていて、なにかが突きだしている。
なんだろう? 不思議に思って触ってみて、それが僕の体に突き刺さっているナイフだと分かって衝撃を受けたのも束の間、目の前の景色が横に流れた。
横倒しに倒れたんだ、などと自分の状態を分析しながら僕の意識は途絶えた。
目が覚めたき、僕は宙に浮いてベッドで寝ている自分と、僕の体に抱きついて泣いている母さんや、病室で泣いている姉さんの姿を見つめていた。
一瞬驚いたけど、臨死体験や死後の世界の本はいっぱい読んでいたから、とうとうその日が来たんだなって変に冷静に受け止めていた。
僕は、死んでしまったんだ。
不思議と悲しくなかった。覚悟ができていたんだと思う。
動けなくなってからの介護を押し付けずに済んで、ほっとさえしていた。
どうせ、高校は卒業できないってお医者さんに言われていたんだ。ほんの少し早くなっただけ……。
だけど、ごめんね……。突然だったよね……。
病気で少しずつ弱っていけば、みんなはもっとすんなり受け入れられたよね……。
急に死んでごめん……。
僕はみんなが落ち着くまでそこで見ていた。
母さんは泣き疲れてねむってしまったようだ。
姉さんが、薄い毛布を掛けてあげていた。
「後は御願い……」
僕は姉さんに告げると、病室を出ていった。姉さんはきょろきょろと辺りを見回していたけど、僕の声が聞こえちゃったのかな……?
僕にはもう一つ気になることがあった。
それは勿論、彼女だ。
彼女の病室はすぐに分かった。僕は彼女の病室で彼女を見つめていた。
穏やかな寝息を立てて、ベッドで眠っていた。
突き飛ばしちゃったけど、怪我はしてないようだ、
良かった……。
彼女は突然笑い出したり、怒り出したり、眠っていても元気な人で見ていて飽きない。
このままずっと見つめていたいけど、それじゃあただの変態だ。
僕が立ち去ろうとした時だった。
「ひゃっ……!!」
彼女が可愛らしい声を上げてこっちを見ていた。
あれ……? 僕が見えるの……?
「おはよう……」
僕が見えていると言う確証はなかったけど、目を覚ました彼女に目覚めの挨拶をしてみた。
「あんた、誰よぉ~………!!」
彼女が不貞腐れたような可愛い顔で僕を見つめてきた。
自分のことをどう説明しようか、と思案する。
「君の演劇に感動したよ」「僕は君のファンだよ」「君のお陰で僕は色々頑張れたんだ」。どれも嘘っぽいし、今さら言ったところで無駄でしかない。
出来ることなら、生きている内に話したかったな……。
あのとき、勇気を出せなかった事が今さら悔やまれる……。
僕は誰なんだろう……。
「僕は悪霊だよ……」
そんな言葉が口から出ていた。
名前なんて今さら名乗ったところで無意味だし、悪霊ならずっと取り憑いていられるし、それでいいやと言ってから思った。
これから、彼女を見ていよう。
僕が消えるその日まで……。
『悪霊に憑かれて』の、松山君視点です。