二章・4
紅空を抱いているときのユノエは、部屋の、家の外でも幾分か落ち着いた様子を見せていた。
誰もいないときを見計らって、ユノエはひっそりとカズヒトの病室を訪れる。
彼女が自発的に人が多い場所に行くのは珍しいことだと、紫闇が言っていた。そして、そういった行動は、紅空が目覚めてから始まったのだと。
ユノエは何もしない。傍らの椅子に座るでもなく、眠っているカズヒトに近付くでもなく。ただ、そこに立っている。じっと、カズヒトを見下ろしている。
ユノエの細い腕に抱かれ、紅空も同じようにカズヒトを見下ろしていた。
(……やっぱり)
改めて、紅空は思う。
(カズヒトは、俺だ……)
――ユノエがカズヒトを見つめていたとき、空は赤い色をしていたか?
あのとき、レーヴェは紅空の問いにうなずいた。その答えは、とても重要なものだった。
ユノエはカズヒトのことを語るとき、決してカズヒトの行動以外を語らない。おそらくは、カズヒトの行動以外を見ていないのだろう。
レーヴェにおいては、そもそも時間の感覚がない。空の色が違うのは分かっていても、そこに時間の経過が存在することを理解することは決してない。
つまり、カズヒトがユノエを見た時間が夕暮れどきだという事実は、カズヒト以外に知りえる者がいないのだ。
紅空はそれを知っていた。覚えていた。
(俺が、カズヒトなんだ――)
ユノエが語る『カズヒト』の姿が、記憶の中の自分とずれていても。
それは、紫闇が今も紅空のことを少女として扱っていることや、紫闇の語るユノエが、紅空の思うユノエと違うのと同じことなのだ。
そこに意思がある限り、感じ方は人それぞれ違う。
だから、紅空はカズヒト自身なのだ――と。言い聞かせるかのように、紅空はそっと自分の服の裾を掴む。
多少身じろぎしたくらいでユノエに気付かれることはない。今の彼女はすべての感覚をカズヒトに集中させている。現に、以前紅空を落としたときも、悲鳴ひとつ上げなかったのだから。
不意に紅空がユノエを見上げると、そこには何の表情もなかった。ただ、食い入るようにカズヒトを見つめている。それだけだ。
ずきん、と胸が痛む。全身が、何かに包まれて、重くなっていくような錯覚を覚える。
ユノエは今、何を考えているのだろう。
時おり近付く足音に怯え、けれど決して視線を逸らしたりはせずに、カズヒトだけを見つめる瞳。
何故だろう。紅空には、ユノエが泣いているのだと分かってしまった。
(……泣かせたくない)
心の底から、紅空はそう思っていた。
紫闇との約束もある。けれど、ただそれだけではない。
「………っ!」
紅空は思わず歯を食いしばる。
多分、ユノエはカズヒトのことが好きなのだろう。だから、こんなにも痛々しい姿で、じっとカズヒトを見つめているのだ。
なら、今すぐカズヒトになって、ユノエを抱きしめられたら。
小さくて、もろくて、冷たい人間の複製品。美しい少女の人形のままでは、ひとかけらの感情も漏らさず泣いている大切な人に、慰めの言葉一つかけることもできない。
絶望的な無力感が、小さな器を満たすように紅空を苦しめる。それが主を愛する人形の本能なのか、それとも人間としての心なのか、自分では判別できない。
けれど、だからこそ強く思うのだ。
(絶対に、俺は……)
戻ってみせる。
(元の、姿に――!!)
そうすれば、この感情の正体が理解できるかもしれないと、そう思うから。