三章・2
窓から差し込むのは、あかあかとした夕暮れの光。部屋の中はすべて赤く染まっていた。
眩しそうに机に向かいながらも、ユノエはけっしてカーテンを閉めようとはしない。
ユノエは今、紅空のためにドレスを作っている真っ最中だった。
その正面に座って、紅空はじっとユノエの手を見ていた。
紅空を作っていたときと同じように、その手は魔法のように器用に動いた。どんな作業も、瞬く内に終えてしまう。
「……わたしね、夕日を見てると、工藤くんを思い出すの」
突然、ユノエはそう呟いた。
「あの人をずっと見ていた。こうして赤い光に染め上げられた美術室から、グラウンドを走るあの人を」
紅空の胸中に喜びが湧き上がる。
紅空もカズヒトとして、まったく同じ場面を覚えている。あの強い瞳を、覚えている。
「わたしは、工藤君の走り方が大好きだったの。まっすぐに前を見つめて、なんの迷いもなく前に向かって走っていく姿が、とても好きだったの」
ユノエの言葉は、とても耳に心地よい。
カズヒトについて語るときと同じくらいの優しさで、ユノエは紅空を慈しむ。
「……お前がいれば、工藤くんがこのまま目を覚まさなくても、悲しくなくなるかもしれないわね」
紅空の心が震える。人形としての本能――至上の喜びに、震えることしかできないのだ。
「コンクールは結局、わたしの望みを叶えてくれるものじゃなかった。誰もわたしを解ってはくれないし、わたしがここにいることを気付いてもくれない。なら、紅空をコンクールに出す必要なんてどこにもないわ」
ユノエは、そう独白する。その意味は、紅空には理解できない、
「ねえ、紅空。ずっとそばにいてね」
ユノエはそう言って、紅空に口づけた。
(……このままでも、いいのかもしれない)
ふと、そう思う。今やカズヒトの病室に行く機会は減り、ユノエはその時間を、紅空や紫闇と共に過ごしている。
学校も休みがちだ。時おり、ユノエと母親の口論が聞こえてくることがあった。
けれど、そんなことは些細なものだ。
自分を生んだものから、至上の愛情を与えられる。人形として、これ以上幸せなことはない。
それに、ユノエを悲しませることが、ユノエの幸せに結びつくとは思えない。
なら、このまま紅空として、人形として生きていけばいい。
そうすれば、ユノエとずっと一緒に過ごしていけるのだ――。
「……なあ、紫闇」
ユノエが部屋を出た隙を見計らって、紅空は紫闇にそう話した。
悪い話ではないと思っていた。けれど、紫闇は表情を曇らせる。
「何だよ、悪いっていうのか……?」
「そういうわけじゃないよ、紅空。けれど、忘れてはいないかい?」
紫闇の漆黒の瞳が、紅空を見つめる。
赤い光に満たされた部屋の中においても、紫闇はただ一人、完全な闇をまとっている。
硝子製の瞳から読み取れる感情は何もなく、紅空はまるで自分自身と向き合っているかのような錯覚に陥った。
「人形は、無条件で製作者を愛する」
紫闇は静かに告げる。
「君は人形かい? それとも、人間なのかな?」
紅空は何も言えなかった。紫闇もそれ以上何も言わなかった。
人形の身に違和感を感じ、少女の姿に違和感を感じていたからこそ、紅空は自分がカズヒトだということに気付くことができた。
だが、無条件でユノエを愛して、それを疑問にも思わない今の紅空は、人形以外の何物でもなかった。
「俺は人形じゃない……人間だ……!」
噛みしめた唇から漏れた言葉。
それは、紅空が『カズヒト』であるための言葉だった。
ユノエはすぐに戻ってきた。
その姿を見るだけでこみ上げてくる愛しさを認め、紅空は自分の意思に初めて嫌悪を覚えた。
そしてそれは、すぐにユノエからも感じることとなる。