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前編

ザザーン


 寄せては返す波が砂浜をきれいに洗ってゆく。

 陽も真上にさしかかろうかという刻限、昨晩に漁に出かけた船が戻ってこようかという頃合いに、海に面した街道を一人歩く影があった。

 日除けのフードをかぶり、大きな荷物を背負ったその影は、旅人であろうか。しかし、この街道は、海に沿ってのびるだけの寂れた街道で、主要な都市などかすりもしない。何かワケあってこの道を選んでいるのだろうか。


「……そろそろ、休憩にでもするかな」


 呟いた声はやや太めであった。旅人は手近な木陰に腰を下ろし、荷物から地図と水筒を取り出した。水をくいっと一口飲むと、頭にかかるフードをとる。


「おかしいな。そろそろ、小さな集落についてもいい頃なのに」


 旅人はダークブラウンの髪をかき上げた。地図と今通ってきた街道を、くりくりと可愛らしい黒の瞳が見比べている。マントからのびる手足もほっそりと白い。


「もう少し、頑張ってみるか」


 自分に言い聞かせるように呟くと、旅人は再び街道を歩き始めた。

 そして、そう長く歩かずに、旅人は足を止めることになった。


「なんだろう、これ?」


 旅人の前には、何かの立て札があった。頭上から降り注ぐ陽光でかえってよく見えないが、書かれている文字を読もうと、その立て札に影を作るべく手を伸ばす。


ガンガンガンガン……!


 突然、けたたましい音が鳴り響いた!


「何だっ!」


 旅人が音を頼りに辺りを見回すと立て札を越えた向こうに誰かが立っているのが見えた。そして、旅人は自分の目を疑った。

 こともあろうにその人影は鍋をおたまで思いきり叩いている。


ガンガンガンガン……!


 粗末な服を着た、中年の男。彼は大きな音を立てながら走ってくる。その男の鬼気迫る形相に、旅人も何があったのかは怖くて尋ねられない。

 何かから逃げるというよりは、明らかに自分に向かってくる。

 そして、旅人はさらに信じられないものをその男の後ろに見た。男の後方に十数人の男たちが走ってきている。それぞれが網やら紐やら棍棒やらを掲げて。

 身の危険を感じた旅人は、じりっ、じりっと後ずさりをしていたが、迫り来る恐怖にとうとう踵を返して逃げ始めた。

 頭の中は『?』ばかりなのだが、追いつかれてはヤバい気がする。

 だが、哀しいかな、旅の荷物を背負った状態で逃げ切れる筈もなく、旅人はあっさり追いつかれてしまった。大勢に囲まれては為すすべもない。旅人自身、武器になるようなものは持っていなかった。


「堪忍してくんろ!」


 男たちの一人が発した謝罪を耳にしながら、旅人は棍棒で殴られ、意識を失った。


――――立て札には『女人歓迎』とあった。



 ◇  ◆  ◇



 十日ほど前のことである。この鄙びた漁村に思いもよらない悲劇が起きた。

 あれは早朝、男たちが漁にでる時間。何艘もの船が大漁祈願をしながら仕事場へと乗り出したとき、まだ暗い海の中から異形のものが現れた。


「この海の恩恵を受けて暮らす者どもよ。よく聞くがいい」


 まるで海自身が轟くようなその世にも恐ろしい声は、波の音をも打ち消した。


「十日後の満月の夜、乙女を舟岩に捧げよ。さもなくば、海の恵みはこの一帯より消え去るだろう」


 村人たちは畏れおののき、すぐさま会合が開かれた。


「あれは、海神だか?」

「うんにゃ、海坊主に違ぇねぇ」

「なんにしろ、魚が捕れなくなりゃ、オラたち暮らしていけねぇべ?」

「どうすべ」

「どうすべ?」

「……皆の者、落ち着けい!」


 ただ慌てふためく村人たちに、長老が喝を入れた。何故長老かというと、一番年寄りだから長老なのだろう。

 騒いでいた者達の注目が、長老に集まる。

 長老は一人一人を見つめ返した。


「……すまん、言ってみたかっただけじゃ」


 村人達は再び頭を突き合わせて議論した。


「乙女ってどんなんだ? オラの娘は五歳だけんども乙女だか?」

「乙女ってのは長老ンとこの孫娘みたいなのを言うでねぇだか?」

「誰にしろ、いなくなっちゃ、まずいべよ」

「んだなぁ」

「なら、いねぇ人ならいいっぺよ」

「いねぇ人は、そこにいねぇから、いねぇんだべ?」

「村のモンでなきゃ、旅の人さ捕まえりゃいいだ」

「んだども、オラ、そっだら悪いこと出来ねぇべさ」

「村ァ守るためだったら、ご先祖様も何も言えねぇべ」

「やるしかねぇべ」

「そうだべ」

「んだな」


――――このような議論を経て、村の入口二つに一人ずつ日替わりの見張りをたて、女の旅人が来ないかと期待していたのである。

 一日目は誰も来なかった。

 二日目も誰も来なかった。

 三日目に人は通ったが、隣村の人で、しかも男だった。

 四日目も五日目も六日目も誰も来なかった。

 七日目に郵便が来た。

 八日目、九日目。村人に諦めムードが漂った。

 そして十日目の昼。一人の旅人が姿を現したのである。

 主要な街道より外れて遠くにあるこの道に十日目にして旅人が通ったことを、村人の言葉を借りると――――

「奇跡だべ」

「海神様のお導きだんべ」

「あれ? 乙女は海神様が要求したモンでねぇか?」

「……あれは海坊主だべよ」

「うんにゃ、海神様だべ。旅人が来たのは天の神様のおかげでねぇか?」

「んだども、この村には海神様しか祀ってねぇべさ。そら、おかしいんでねぇの?」

――――収拾がつかなくなるので、やめることにする。



 ◇  ◆  ◇



 一方、神様のお導きと言われる旅人は、男達の手によって、村の集会所へと運ばれていった。


「連れてくはいいけど、どうやって説得すんだ?」

「おだてて酒飲ますべ」

「いんや、問答無用で舟岩にくくりつけるべ」

「そうだ、問答無用だべ」

「だべ」

「だべ」


 ほどなく集会所へ到着すると、待ちかまえていた村の女達へと、旅人の身柄が預けられた。

 そして、幸か不幸か旅人が意識を取り戻したのは、そこでの作業が終わってからだった。

 目を覚ますと、まず、見慣れぬ天井が飛び込んできた。まだずきずきとする頭を持ち上げ、上半身を起こす。こざっぱりとした一室には、旅人一人だった。

 気を失う前にいったい何があったのか思い出せぬまま、立とうと片膝を立てて……


「なんじゃこりゃあ!」


 思わず素っ頓狂な悲鳴を上げた。いつの間にか服が替えられていたのだ。質実剛健を地でいく旅装束から、何とも形容しがたい、ひらひらの、薄衣の、チラリズムを誘うような服に!

 バタバタと声を聞きつけてか、急いだ足音が近づいてきた。がらがらっと引き戸を開ける音がして――――


「……起きてる」


 血の気の引いた顔をして、中年の女が一言呟いたと思うと、すぐに戸を閉め、パタパタと去っていく。


「おい、ちょっと待てよ。なんだ、これ?」


 ようやくしっかりしてきた頭が、気を失う直前の乱闘騒ぎを思い出す。


――――と同時に、怒りもこみ上げてきた。

 怒鳴り込みに行ってやる、と両足を踏ん張って立つものの、このくそ恥ずかしい服装を他人に見られるのかと思うと、どうにも動けない。

 その葛藤の間に、今度は複数の足音がパタパタと近づいてくる。


ガラガラッ


 入って来たのは、人のよさげなおじさんが四人。


「いや、すまねぇな。ささ、食事でもどうだべ?」

「ちょっと、待って下さい。何故、僕がこんなメに遭わなきゃなんないんですか!」

「まぁ、座って、落ち着いてくんろ。話は食べながらでもできっぺ?」


 奥さん方がどんどん運んできた膳を前に、旅人のお腹が反応する。外を見れば、もう夕刻に近い。


「えぇっと、ゴホン。……ノエルさんで間違いないべな?」


 もったいぶった咳をして、旅人の正面に座った男がきりだした。


「あ、はぁ……」


 肯定の返事をしたノエルに、他の村人の顔が動揺した顔をする。


「どうして、僕の名前を――――?」

「うむ、お告げじゃ」


 わざとらしく白装束に身を包んだしわくちゃのおばあさんが、もったいぶって入って来た。


「はぁ?」


 胡散臭そうな目でオババを見るノエル。


「この村からでないのが残念じゃが……お告げがおあるじ? いや、おヌシを指しておる」

(あるじ?)


 ノエルはじーっとこのオババを見つめた。その視線に気づいたのか、オババは慌てて袖で顔を隠した。胡散臭さ爆発である。


「水神様との橋渡し役じゃ。神と心を通わせる重大なお役目ぞ」


 大仰にばさっと袖を揺らすオババ。そこにノエルは発見した。袖口にびっしりと書かれた文字を。

 ノエルは膳を倒さないように立ち上がると、オババの腕をとった。


「――――分かりました。そのお役目、確かに」


 ノエルのオババの手を握る力がぐぐっと強くなる。


「……なんてあっさり答えられるかっ! このカンペはなんだ、このカンペ!」


 オババの両腕をつかんで持ち上げたまま、ノエルの怒号が響いた。


「どうか、怒りを鎮めてくんろ」

「事情はお話しするだ」

「老人に暴力はいけねぇべ」


 あわててノエルを押さえにかかる男達。


「まま、お酒でもひとつ……」

「魚もけさ今朝釣ってきたばっかだべ」


 さすがにノエルも空腹に抗えずに腰を落ち着け、出された魚に手を出した。


「実は、海に住む神様から、生け贄を要求されたんだべ」


 おそるおそる話し出した男に、おさまりつつあったノエルの怒りが再び爆発した。


「――――自分とこから出したくないからって、行きずりの人間を使うのか!」


 怒鳴りつつも、ワカメの酢の物に箸をつける。食べながら怒るというのも、なにやらしまらない。


「しかし、村の乙女など、数も僅かで――――」

「乙女ぇ? 僕は男だぞ!」


 箸を叩きつけるように盆に置き、ノエルの目がつり上がった。


「まったまた、女の一人旅は物騒だから、男装してるんだべ?」

「追っ手の目を眩ますのにもいいだなぁ」

「男のフリしたって、逃げられねぇべ」


 のほほん、とした村人の言葉にカッとなって、ノエルはとうとう立ち上がった。


「そんなわけあるかっ! だいたい追っ手って何だよ!」

「いやぁ、この街道はワケありな人がよく使うしな?」

「んだな」

「もうやってられるか! 僕はこんな村出てく! 荷物返せよ!」

「ワケありな人が一人ぐらい消えても、差し支えないべ?」

「んだな」


 怖いことを揃って納得する村人達。

 そして、一人が号令をかけた。


「それ、生け贄を舟岩にお連れするだ――っ!」

「おー!」

「ち、ちょっと待てーっ!」


 ノエルの必死の悲鳴もかまわず、男達は次々と襲いかかってきた。



 ◇  ◆  ◇



ザザーン……


「――っくしゅっ」


 可愛らしいくしゃみが、夕凪に吸い込まれていく。赤く染め上げられた岩場にくくりつけられた人の影が長くのびる。

 この村の要石として尊ばれている岩――舟岩である。

 形がまるで舟のようだから、という安直なネーミングであるが、海神に語りかける場所という神的な領域であることに間違いはない。


「あー……。もう、僕、どうなるのかな……」


 頭の中で何度もシミュレーションしてみるが、いい結果が出るはずもない。


 女と思われる→捧げられる。  男とバレる→怒った神に殺される


 明らかに男とバレる可能性が高いのだが、村人達は結局、女と信じて疑わなかった。自分の女顔に嫌気がさして、大きくため息をつく。


パシャン


 大きな水音が、ノエルの注意を引いた。

 村人の言う神が来たのだ―――


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