第五章
夜の砂浜には誰もおらず、静かな波の音だけが聞こえた。
「ここで良かったっけ?」
砂浜の入り口で自転車を止めた真琴は、深沢に向かって問い掛けた。
「ああ、もう少し行った所の岩場の辺りが、言い伝えの場所だ」
深沢は深く頷くと砂浜の方角を指差す。
「時間は大丈夫なの?」
「大丈夫……」
深沢は腕時計に目をやった。
深沢の腕時計の文字盤が淡い蛍のような光を放っていた。
「きれい……」
腕時計を覗き込んだ真琴は、思わず感嘆の吐息を漏らす。
「タイメックスさ、アメリカ軍が朝鮮戦争の時から使ってる時計らしい。ほら、よく見て」
深沢が誇らしげにそう言うと、真琴の目の前に腕時計を持ってくる。
「普通の時計と違って、二十四の数字から時間が始まってるんだ。変な時計だろ?」
深沢の言うとおり、光に浮かび上がる文字盤には十二の数字は無く、その場所に二十四の数字があった。
「気にいっているんだ。誰も知らないもう一つの世界にいるみたいな気分になれる」
「もう一つの……世界」
真琴は深沢の言葉に何か引っかかるものを感じたが、深沢はそれに答える事無く腕時計から目を上げた。
「亥の時は今の時間で九時、あと三分しかない。さあ、急ぐぞ」
深沢は厳しい表情でそう言い真琴に背を向けると、砂浜に向かって走り出した。
「あ、待ってよ」
真琴は慌ててその後に続くと、深沢の背中を追いかけた。
波打ち際を走る真琴の心境は複雑であった。
このまま鳥居に着き亥の時を迎えれば、言い伝えが起こっても起こらなくても、全ての答えが出る。
つまりそれは……この冒険の終わりを意味していた。
それに気づいた途端に、真琴の心に寂しさがこみ上げてきたのだ。
真琴は今、とても充実し満たされた時間の中にいる。
それは、ここしばらくは感じなかった感覚……生きている実感とでも言うべきか。
だから、この大切な時間が終わってしまうのが怖かった…またいつもの自分に戻ってしまいそうな気がしたから。
ずっとこのままの時間が続けば……
そんな真琴のささやかな願いは、深沢の声で終わりを告げる。
「あの大きな岩だ、あそこにある鳥居に光の船が現れるんだ」
深沢は立ち止まり海の方を指差すと、息を切らしながら声を上げた。
真琴がその方向に視線を向ける。
深沢の言うとおり砂浜から百メートル程の海の中に、大きな岩が何個か並んで浮かんでおり、その上には、かなり色褪せた朱塗りの鳥居があった。
真琴は湧き上る高鳴りを抑えながら深沢を見る。
「時間は?」
「ギリギリセーフ……あと十秒だ!」
時計に目を落としながら、深沢がカウントダウンを始める。
真琴も深沢の時計を覗き込むと、声を重ねてカウントダウンに加わった。
混じり合う二つの声が、その瞬間に近づいていく。
映画のスローモションを見ているように、時間の経過がゆっくり感じられた。
どちらからともなく目を合わせ、大きく一つ頷きあう。
「五、四、三……」
自分の声がとても遠くに聞こえる。
お互いの鼓動が伝わるくらい心拍数が上がる。
秒針はもう一つの世界である二十四時に向かって時を刻んでいき、そしてついに二十一時……亥の時を告げた。
「ゼロ!」
二人は期待と不安に声を張り上げると、光の船を求め鳥居に視線を釘付けにした。