1-8.
城から前庭に出ると、すでに大勢の人が待っていた。ポテンシャの兵士が闘技場を作るように四角く配置され、その後ろでプリミアの人々が見ている。高くそびえたつ城を見やると、ポーチのところで国王とフォルツが並んでいる。
フォルツと目があった。それに応えるように心臓が強く鼓動する。またしても体の中で何かが暴れ出すような感覚があったが、今度は何とかこらえることができた。大きく深呼吸をする。今はあいつを気にしても仕方がない。
ポテンシャの兵士によって形作られた闘技場にたどり着くと、前を歩いていた男は立ちどまり、アレックスに先を促した。アレックスはその男の横を通り過ぎ、闘技場の真ん中へ歩いていく。
その先には一人の兵士が立っていた。鎧に身を包み兜をかぶっているため、定かではないがこの間戦っていた兵士とは違うようだ。その佇まいから、明らかに強いということが伝わってくる。
前庭の真ん中でアレックスは兵士と向き合った。間近だとさらに迫力を感じる。歴戦を戦い抜いてきたものだけが身に着けることができる殺気にも似た雰囲気が漂っていた。思わずたじろいでしまいそうになるが、足を踏ん張りこらえる。
兜の下のわずかに開いた隙間から品定めをするように、兵士は目を光らせ、アレックスを観察している。こちらの強さを測っているのだろうか。それとも予想に反して、子供が出てきたことにあきれているのかもしれない。
アレックスも相手を見る。鎧や兜に覆われているとは言っても、全く攻撃する場所がないわけではない。兜と鎧の隙間の首元はもちろんだが、他にも動きやすくするために関節付近や手足は割と無防備だ。その中でもアレックスは、首と腰に狙いを定めた。決まれば確実に致命傷を与えられる。
もう一人別の兵士が歩みよってきた。そして二人に声を掛ける。「準備はいいのか?」
戦う方のポテンシャの兵士は頷いた。アレックスもそれに倣う。
それを見たポテンシャの兵士は城のフォルツの方へ合図を送った。フォルツもただ黙って頷いた。
フォルツは国王と二言三言、言葉を交わし、前へ歩み出た。観衆の注目が集まる。
「これより闘技会を開催する」フォルツは高らかに宣言した。「これは我々ポテンシャとこの国プリミアの友好の証であり、またお互いの技術交流の場である。その意味を理解し、これから戦う両名には全力を尽くしてもらいたい。それでは両名とも準備をしろ」
アレックスは一歩下がり、剣を抜いた。ポテンシャの兵士は木刀を構えた。
「準備は良いか。それでは試合開始だ!」
フォルツの開始の合図を受けて、ついに闘技会は始まった。アレックスは多少の緊張はあったものの、比較的落ち着いていた。ただ、初めの一手に迷っている。先に仕掛けるべきか、相手の動きを待つべきか。後手を踏みたくはないが、先に仕掛けるのは勇気が必要だった。
先に仕掛けてきたのは、ポテンシャの兵士の方だった。アレックスは迷っている間に後手を踏むことになってしまった。ポテンシャの兵士が一気に距離を詰め、木刀を振り上げアレックスの頭を狙ってきた。
アレックスは素早く体をよじらせ、攻撃をかわした。それでもポテンシャの兵士は止まらない。空振りした木刀をそのまま、横から払うように今度は胴体を狙ってくる。これは避けようがなく、アレックスは剣でその攻撃を受け止めた。想像していたよりも遥かに重い衝撃が腕に残る。
ポテンシャの兵士はもう一度、頭を狙って木刀を振り下ろす。このままではいつまでたっても攻撃に転ずることができない。アレックスは思いきって、前に踏み込みながら体を半身にした。木刀が目の前を通り過ぎる。そして、剣を鎧と兜の隙間に滑り込ませるように突き出した。
ポテンシャの兵士は上手く体を動かし、鎧に当てることでアレックスの攻撃を回避した。危機感を感じたのか、後ろに退いて態勢を立て直している。
そこで一度間ができると、観衆から大きな歓声が上がった。今度こそ勝てるのではないかという期待が溢れたのだろう。アレックスはポテンシャの兵士の攻撃を全てかわし、もう少しで致命傷を与えられるところに剣を当てたのだ。観衆が期待するのも無理はない。
だけど、当のアレックスは呼吸ができないほど、緊張感が増していた。攻撃はかなり早く、正確だ。確実に決まったと思った攻撃も難なく対処された。少しでも気を抜けばやられる。
態勢を立て直したポテンシャの兵士はもう一度仕掛けてきた。今回は反撃の機会を与えてはくれなかった。アレックスはかわしたり、時には剣を使って攻撃を受け止めるのが精一杯だった。
初めは前庭の真ん中にいた二人も、アレックスが防戦一方となり、次第に端の方へ寄って行った。
局面を打開するためにも、攻撃に転じないといけない。そうは分かっていても相手の攻撃は止まらない。アレックスは思いきって逃げるように距離を取った。
ようやくそこで一呼吸つくことができた。しかし、それもつかの間、すぐにポテンシャの兵士は追撃してくる。
アレックスは攻撃をかわすだけではなく、迎え撃つことにした。いつまでも避け続けることはできない。このままでは負けは見えている。鎧の上からでもいい。相手に脅威を与えることが必要だ。
それに攻撃を受ける覚悟はできていた。所詮は木刀なのだ。よほど悪いところに当たらない限り、一撃でやられることはない。
ポテンシャの兵士が斬りかかってくる。アレックスはかわしながら、首を狙って剣を振った。ポテンシャの兵士は首をすぼめ、兜でその攻撃を受け止める。
次の一手はアレックスの方が早かった。腰を斬りつけようと、体を前傾にして剣を払った。ポテンシャの兵士は木刀でそれを受け止める。
アレックスはそれでも止まらない。先ほど相手がやったように反撃の隙を与えないように剣を振り続けた。何度となく、鎧とぶつかる金属音が響く。
劣勢を跳ね返しつつあるアレックスにまたしても観衆はわいた。その歓声に押されるようにアレックスは攻撃を繰り出し続けた。
たまらずポテンシャの兵士が距離を取る。アレックスは呼吸を整えるために追撃はしなかった。
アレックスは呼吸を整えようと、何度も息を吸い込んだ。しかし、全く酸素が体に入ってくる気配はない。体が本能的に、緊張感を切らせることを恐れているのだ。
アレックスの呼吸はますます苦しくなる。水の中にいるみたいだ。緊張感を途切れさせないように、ぜいぜいと音を立てながら細かく息を吸い込むが楽にはならない。
耐えきれなくなって、本能に逆らい、酸素を取り入れようと大きく息を吸い込んでしまった。わずかに気の緩みが生じた。
その隙をポテンシャの兵士は見逃がしてくれなかった。素早く頭を狙って木刀を振る。
アレックスの反応が一瞬遅れた。それでも何とかして、剣を差し出して攻撃を受け止めようとした。
しかし、ポテンシャの兵士の攻撃は想像以上に重く、アレックスの差し出した剣は弾かれ、同時に額の左側に衝撃が走った。目の前が真っ暗になる。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。攻撃を受け止めたはずなのに、世界が暗転し、耐え難い痛みがある。
少しずつ世界が光を取り戻したとき、目の前ではさらに攻撃を加えようとポテンシャの兵士は剣を振り上げていた。アレックスは何とか首を動かして、左肩で受け止めた。肩にも激痛が襲う。
その後は逃げ回るようにと表現していいように、転がりながら、不恰好に攻撃をかわすことだけしかできなくなった。
額と左肩がずきずき痛む。額の方からは出血していた。
避けながらに、アレックスは気づく。今、自分を襲ってきているものは木刀ではない。明らかに鉄の塊だ。見た目は木刀に違いないが、おそらく本物の剣を木でコーティングしているだけのものだろう。それでなければあの攻撃力や、アレックスが剣で攻撃を受け止めたとき、切れるどころか、食い込むことさえしないことに説明がつかない。
ただそれに気づいたところで何かが変わるわけではない。死なないように避け続けるだけだ。
試合が始まるまではここまで苦戦するとは思っていなかった。少なくとも剣の実力が劣っているなんて考えていなかった。実際、目の前にいるポテンシャの兵士はかなり強い。どうにかして反撃を試みたいが、相手の武器の殺傷能力に気づいた以上、捨て身の攻撃はできない。
だけど、いつまでも避け続けることなど不可能だ。次第に木刀との距離は近くなり、ついには右腕にまともに攻撃を受けてしまった。
その攻撃でアレックスは剣を離してしまった。地面に剣が転がっている。防具の役割も果たしていた剣を失ったアレックスはまさしく丸腰の状態だ。
勝ちを確信したようにポテンシャの兵士はじっくりと構えている。アレックスはじりじりと後ろに下がっていった。
何とかして剣を拾いたい。しかし、剣はポテンシャの兵士のすぐそばにある。あれを拾いに行くのは困難だ。
ならばいっそのこと、逃げ出してしまおうかと考えた。もう武器はない。これでは負けたも同然だ。誰も責めることはないだろう。
ポテンシャの兵士が襲い掛かってきた。木刀が振り下ろされる。アレックスは逃げようと思った。しかし、勝ちを確信した油断からか、もしくは武器を持ってない相手を見下していたためか、わずかにその動きが大きくなっていた。
それに気づいたアレックスは最後の攻撃を仕掛けることを決めた。これが最後のチャンスだろう。後ろに下がるのではなく、前に出て行った。
体を低くし、木刀が振り下ろされるよりも早く、ポテンシャの兵士の懐へ滑り込んだ。そして剣を拾う。
木刀が振り下ろされるのと同時に、アレックスはポテンシャの兵士のわき腹へ剣を突き立てた。金属ではない確かな感触がある。人間の体内へ命を奪い去るように剣は進んでいった。そして、倒れこみながら、突き刺した剣を引き抜く。その剣先は相手の命を掴んでいるはずだ。
ポテンシャの兵士は崩れ落ちた。わき腹を真っ赤に染めている。内蔵のどこかの血管を切ったのだろう。せき込みながら、首元からも吐き出した血が見えている。
周りから大歓声が上がる。アレックスは手に残った感触に勝利を実感した。
仰向けになり、空を見ると青空が広がっていた。その青空のようにアレックスの心は透明感で満ち溢れている。ついにポテンシャの兵士を倒したのだ。空へポテンシャの兵士の鮮血で染まった刀身を掲げた。
観衆はなおも叫び続けている。今までの悔しさや惨めさを吐き出すことが許されたみたいに、大声を上げていた。
隣で同じように仰向けに倒れていたポテンシャの兵士は血で息苦しくなったのか、兜を外そうとしていた。そういえばポテンシャの兵士の素顔を見たことはない。そもそも仮面の下に顔があるのかすら分からない。
彼らは大量生産された機械のように、同じような出で立ちをしている。顔を隠し続けることに何か意味はあるのだろうか。
ポテンシャの兵士は兜を外した。その顔は真っ赤に染まっている。
その顔を見たときアレックスは息が止まりそうになった。いや、実際に息が止まり、頭の中が様々な色の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたようになった。自分が戦っていたのはポテンシャの兵士のはずだ。状況を飲み込めないでいる。
見間違えるはずはない。血に染まっていても、十年経っていても、その顔は見分けることができる。
「父さん……?」アレックスは呟いた。
体を引きずるように、アレックスはポテンシャの兵士の元へ近づいて行った。
「父さん、父さんだよな? 何で……」そのあとの言葉が続かなかった。何でこんなところにいるの? 戦争で死んだんじゃなかったの?
「アレックスか」父はアレックスに問いかけた。再びせき込み、吐き出した血がアレックスにかかる。
「そうだよ。俺だよ。アレックスだよ」
「そうか、俺が戦っていたのはアレックスだったのか」
アレックスは頷いた。涙が流れてきた。目の前に血だらけの父親がいるのだ。
「けがは大丈夫か」
アレックスは頷くことしかできない。嗚咽を漏らすばかりだ。
「悪かったな。しかし、お前も強くなったもんだ。この俺に勝つぐらいだからな」
アレックスは首を振る。そして嗚咽混じりに必死に声を出す。「何で、何でこんなことに」
父は優しくアレックスの頬に触れた。そして柔らかな笑顔で最後の言葉を告げる。「ありがとう」
父はそこで力尽きた。アレックスは父の手を握りながら叫び続けた。それこそ、怪物が雄たけびをあげるように。
アレックスの様子がおかしいことに周りは気づき、ざわめく。何が起きているのか理解している人はいない。
アレックスはまだ大声で泣き続けている。そうしていることが父親を殺したことの罪悪感から身を守る唯一の手段なのだ。
戦争で死んだはずの父親が目の前で死んだ。そして殺したのは他の誰でもない、自分なのだ。アレックスはどうしようもない怒りを覚えた。
なぜ気が付かなかったのだろう。あれほど近くにいたのに。あの強さを誇示するような雰囲気は父親そのものだったではないか。
誰かがアレックスの肩に触れた。アレックスはその方を仰ぎ見ると、フォルツがいた。
「彼は君の父親だったのか」
アレックスはフォルツを睨み付ける。何でお前が父さんを兵士として使っている? 戦争中になにがあった?
「悪かった」フォルツは頭を下げ、立ち去ろうとした。
離れてゆくフォルツをアレックスは追いかけた。たった今、父親を貫いた剣を持ち、近づいていく。相手に気づかれないようにこっそりではなく、獰猛な動物が近づくようにおもむろに走った。
近づいてくる足音にフォルツは振り返る。別段、驚いた様子はない。アレックスが斬りかかっても動じることはなかった。
アレックスは力任せに剣を振った。どこを狙うとかいう発想はない。今のアレックスは理性を失った怪物なのだ。自身の怒りが脳を支配し、それが指令を出す。アレックスが振った剣はフォルツの頭にぶつかった。
やはり手には固い感触が残る。
「信じられないかもしれないが、これでも痛みはある。この痛みは自分への戒めとして甘んじて受け入れよう。すまなかったな」フォルツはそう言い残し、城の中へ戻った。
アレックスはその場に崩れ落ち、再び泣き出した。