1-6.
国王は玉座に座り、その前にアレックスは片膝をついた態勢で下を向いていた。アレックスの左右には、少し離れた場所に兵隊が整列し、国王の両隣では国王の側近としてこの国を支えていると思われる人がいる。ここに来るのは立候補したとき以来、二度目のことだが、これほど人に囲まれてはいなかった。居心地の悪さを感じる。
「アレックス、顔を上げろ」国王が言った。国王は年齢でいえば五十歳ぐらいらしいが、綺麗に整えられた金髪やつやのある肌などを見るとまだまだ若く見える。「緊張しているのか」
「いえ」アレックスは顔を上げて国王を見た。「そんなことはありません」
「ならいい」国王は安心したように一つ息を吐き出した。「私はこの日を心待ちにしていた」
「僕も同じです」
「いや、おそらくお前とは違う意味だろう。これまで国民がどれだけ蹂躙されようとも、私にはどうすることもできなかった。残念ながら私には力が無い。これがどれほどつらいことだったか。そこにきて、あの闘技会だ。参加する者は全てなぶられ、それでも一縷の望みを抱いて挑んでいく。私は彼らが立候補するたびに、言ったよ。やめておきなさいと。それでも彼らはやめなかった。そのことがさらに胸を締め付けた」
「そうだったんですか」アレックスは相槌を打つ。
「だけどね、私も一縷の望みを捨てちゃいなかった。それはお前だよ。お前は間違いなく、この国で一番強い。ここにいる誰よりもな」
急に兵士たちの視線がアレックスに注がれた。さらに居心地が悪くなる。「僕よりも、多分イーグの方が強いです」
「謙遜はしなくていい。私はお前の方が強いと思っている。まあ、それはどちらでもいいのかもしれないな。少なくとも私はお前を最後の希望だと思ってこれまで我慢してきた。いつかはお前が奴らに一矢報いてくれるのではないかとな」国王は玉座からおり、アレックスと同じ目線になるようにかがみこんだ。「私はお前を信じている」
そう言い、国王は玉座に戻った。アレックスは国王の放つオーラに圧倒された。もう一度、下を向く。
「もし、僕が勝ったら、あなたはどうしますか?」アレックスは顔を上げることなく訊いた。
「何だ。褒美でも欲しいのか?」
「いえ、そういうことじゃありません」
「お前が望むことを何でもしよう。お前が勝って、国民の今までの鬱蒼とした気持ちを救うことができたなら、金が欲しいならこの国の金をすべてやる。王になりたいのなら、私が退いても構わない」
この人はどこまで本気で言っているのだろうか、とアレックスは考えた。決して冗談を言っている風ではない。ただ、本当にそれらのことを実現してくれるとは思えなかった。
「私のことを信じていないのか」
「いえ、そうではありません」アレックスは金持ちになったり、国王になった自分を想像してみようとした。しかし、どれも馬鹿げていて子供のままごとのようである。そんなものを望んでいるわけではないのだ。
「なら、何を望む?」
アレックスは、こんなことを言ってもいいのだろうかと不安だった。それでもこのとき以外に機会はないかもしれないと意を決して口を開いた。「戦争をしないでもらいたいんです。僕が勝っても、僕は戦争には行きません。そして、僕がどうしようとも僕に干渉しないでください。僕が望むことはそれだけです」
アレックスが恐る恐る顔を上げると、そこには国王の驚いた顔があった。次第に、表情が和らいでいく。
「お前が勝てば、私は戦争を仕掛けると思っているのか」
「王様が言わなくても、そう言う人がいるかもしれません。その時に、断固として戦争に反対してもらいたいのです」
ついに国王は声を出して笑った。「そんなことぐらい、お前に言われなくてもそのつもりだ。もう、前の戦争で懲りているからな。戦争に送り出すたびに、人が減っていく。あんなのはもう御免だ」そして、国王は顔から笑顔を消す。「お前は私のことを恨んでいるのか? お前の父と兄を勝ち目のない戦いに送り込んだ私を」
アレックスが答えようとしたとき、部屋の扉が開いた。扉を開けた男は大声で言う。「フォルツ様が到着されました」
アレックスが扉の方を振り返ると。数人の兵士を従えたフォルツがいた。後ろで束ねられた黒髪に口元の髭が存在感を示している。
アレックスの体は小刻みに震えていた。
フォルツが国王の前に行くと、国王も立ち上がり、握手を交わした。「わざわざ、こんなところまで毎月来ていただいて、申し訳ありませんね」
「いや、見回りのついでですよ。最近、私どもの兵士が力にものを言わせて、好き勝手やっているそうですからね」
国王の愛想笑いが引き攣った。「そうですか」
「こちらの国では迷惑をかけていませんか」
「いえ、そんなことはないですよ」
フォルツは満足そうに頷く。「それならよかった」
国王は悔しさを押し殺しながらも笑顔を保っている。これが王様であるという資質なのだろうか。悔しさを一身に受け止めている。
フォルツはアレックスの方を見た。「君が今日の参加者か。立ちなさい」
アレックスは言われたとおりに立ち上がる。
フォルツは従えて来た兵士に目配せをして、剣を持ってこさせた。それを受け取ったフォルツはアレックスに差し出す。「どうやら、王様の態度を見ていると今回はかなりの自信がありそうだ。楽しみにしているよ」
フォルツから剣を受け取ったアレックスはもう震えが止まらなかった。傍から見ても震えているのが分かる。体の中で、自分の知らない何かが暴れ出そうとしていた。もうそれをアレックス自身が押さえつけることはできない。アレックスは無意識のうちに剣を抜き、フォルツの首に切ってかかった。
フォルツは突然の攻撃に思わず手で受け止めようとする。しかし、その手をすり抜けてアレックスが振る剣はフォルツの首に向かっていた。誰もがフォルツの首を切ったと思ったとき、もちろんアレックス自身もそう思ったとき、何かに衝突してその剣は止まった。
手には人を斬ったものとは違う固い感触が残っていた。
確かにアレックスが振った剣はフォルツの首まで到達している。なのに岩にぶつかったかのように手がしびれていた。
驚いて、剣が触れている場所を見ると、噂に聞いた通り、そこだけがトカゲのような色に変色している。アレックスは思わず剣を落とし、よろけて地面に腰を付いた。そしてそのまま逃げるように後ずさりした。
フォルツがゆっくりアレックスに近づいてくる。アレックスの目の前まで到達したとき先ほどの国王と同じようにかがんで目線を合わせた。「君が戦う相手は私じゃない。彼だ」そう言い、自分の後ろにいる兵士を親指で差した。「不意を突かれたとは言え、素晴らしい腕だ。今日は期待してるよ」フォルツは優しく微笑み、アレックスの肩を一度叩いて、部屋を後にした。
フォルツが去った後、室内は静寂に包まれた。アレックスにはフォルツに叩かれた感触が肩に残っているだけだ。それ以外、その空間には何も存在していない。
時が止まったような空間を動かしたのは国王だった。国王は落ちた剣を拾って、アレックスに渡す。「なぜこんなことをしたんだ」
「分かりません」アレックスはまだ目の焦点が定まっていない。「こいつが父さんや兄ちゃんを殺したんだと思っていて、それで気が付いたらああなってました」
「気持ちは分からなくもない」国王はため息とともにその言葉を吐き出した。「私だってやつの顔を見るたび、どうしようもない怒りが込み上げてくる。さっきも白々しいことを言いやがって。この国の国民のことなど何とも思ってないだろうに。だけど私にはどうすることもできないんだ。それが何より悔しい」
「俺はやつに一撃を加えた」アレックスは空に向かって呟く。
「いい加減、正気に戻ったらどうだ。お前も体感した通り、やつにはどんな攻撃も効かないんだ。剣で斬ったって、魔法で燃えつくさせようとしても。我々には打つ手がない」国王はアレックスの手を取って立ち上がらせた。「今、お前のすべきことは闘技会に全力を尽くすことだ」
立ち上がることでアレックスは少しずつ周りのものが現実に戻ってきた。国王の顔もはっきり見える。そして今すべきことを思い出した。「必ず闘技会に勝ちます」
「私もそう信じている」
アレックスは国王から受け取った剣を鞘にしまって、腰に結びつけた。闘技会に勝たなきゃ何も始まらないと自分に言い聞かせる。
「お前のための控室が用意してある。始まるまで休んでなさい。気持ちを落ち着けることも必要だ」
国王は手下にアレックスを控室まで案内させた。