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オレンジの約束  作者: tomo
第一章 旅立ち
6/12

1-5.

 闘技会の当日、母の体調はすぐれなかった。アレックスが出かけるときもベッドに寝たままだ。


「本当は応援に行ってあげたいんだけどねえ」ベッドの上で上半身だけを起こした態勢で母は嘆いた。


「いいよ。ゆっくりしてな」アレックスはベッドの隅に腰かけている。


「自信はあるのかい?」


「分からない。相手が誰だか分からないし。前の闘技会のやつだったら勝てると思うけど」


「あなたなら大丈夫よ。自信を持って挑みなさい」


「ありがとう」そう言ってアレックスは立ち上がった。そして今まで誰にもぶつけられなかった疑問を母に訊いてみた。「もし、俺が勝ったらどうなるのかな。何か、みんなは俺が勝てば世界が変わるとか、そんなことを期待してるような気がするんだけど」


「それがプレッシャー?」母は優しく笑った。


「プレッシャーじゃないとは言わないけどさ、そんなに大したことではない気がするんだ。仮に俺が勝っても、それで終わり。それ以上でもそれ以下でもないって感じで」


「そんなことはないわよ。あなたは初めてポテンシャの兵士に勝った英雄として称えられることになるわ。でも、そうなったらあなたは遠い存在になってしまうのかしら」


「何それ?」アレックスは困惑した。母が何を言おうとしているのか分からない。


「あなたが勝てば戦争が始まるかも知れない。わたしには分からないけどね。少なくとも、何人かは戦争をしようと言うわ。あなたを先頭にしてね」


「俺は戦争なんてしたくないよ」


「わたしはあなたが戦争に行くと言っても反対はしない。だけどね、一つだけ憶えてて。父さんが言ってたことなんだけど、戦争は平和を勝ち取るために殺しあうことだって。だから自分はもちろん仲間だって死ぬこともある。戦争とはそういうものよ」


「だから俺は戦争には行かないって」


「あなたは優しいからね。わたしの前ではそう言うでしょう」


「本当だって。戦争なんかしてもいいことはない」


「父さんたちはそうは思ってなかったわ。さっきも言ったけど戦争は平和を勝ち取るためのものよ。それが正しい手段かは分からないけどね」


「だけどフォルツが勝ち取ったのは平和ではないと思う」少なくとも今の世界が平和だとは思っていない。


「あなたは今日の闘技会は何のために戦うの?」


 アレックスにはすぐに答えが浮かばなかった。自分の力を試したいから? この状況を変えたいから? それとも、父や兄の復讐をしたいのだろうか?


「そういうことは今まで考えたことがなかったな。俺は何のために戦うんだろう。みんながどうだって言うより、勝てば俺自身は何か変わるのかな。それを分かってないと戦っても意味はないのかな」


「今は分からなくても、いつか今日のことが意味を持つようになるはずよ。とにかく今日は頑張ってきなさい。みんながあなたに期待しているわ。勝てなくても、その人たちに希望を見せてあげなさい」


 家のベルが鳴った。イーグとサラが迎えに来たのだろう。母に別れを告げ、アレックスは家を出た。


 闘技会は城の前庭で行われる。城で働く人たち、つまりある程度の地位を持つ人は城の中からその様子を観戦し、他の人たちは立ち見だ。そのため、ほとんど最前列の人しか見えないが、工夫を凝らし、木に登って見たりする人もいる。


 アレックスは闘技会の前に国王と面会することになっていた。最後に激励してもらえるのかもしれない。


「調子はどうだ?」城へ向かう道中、イーグが訊いた。


「悪くないと思う。こればっかりはやってみないと分からないけど」


「お前なら大丈夫だよ」


 そうか、とアレックスはぼんやりと呟いた。


「どうしたの?」サラが不安そうな顔をする。


「何かあったのか?」とイーグも訊いてきた。


「もし、俺が勝ったらお前たちはどうする?」


 二人とも、えっ、と言い、顔を見合わせた。


「その先のことって考えたことあった? 今日の闘技会のあとのこと」


 イーグとサラは何も答えない。二人とも自分の中で何かを探しているのだろう。ぼんやりとだけ見えていたものをアッレクスの問いかけで掴み取ろうとしている。


 やがて、イーグの方が口を開いた。「お前が勝ったら、次は俺が戦う。前に言った通りな。それで、俺も勝てたら」イーグは言葉を切る。「俺が勝ったら、お前とこの国から出ていきたい。フォルツを食い止めるために戦うために」


「何言ってるの?」サラは素早く反応する。


 アレックスはあえて何も言わなかった。イーグが自分の中で掴み取ったものがはっきり見えていたにも関わらず。


「俺たちだけじゃなく、世界中にはポテンシャの兵士に好き放題やられてる国があるだろう。闘技会で俺たちがポテンシャの兵士に勝てるということが証明できたら、彼らを救うことができるかもしれないということだ。それなのに、それを見過ごすわけにはいかない」


「そんなこと言ったって……」サラは戸惑っていた。兄がいきなり旅に出ると言えば当然の反応だろう。それも気楽な旅ではない。ポテンシャの兵士との戦いの先には必ずフォルツがいる。そんな命の危険が伴うことをしようとしているのだ。


「お前は戦争がしたいのか?」アレックスは母の言葉を思い返す。


「そうじゃない。もう戦争はこりごりだ。まあ、戦争と何が違うのかって言われれば分からないけど、でも誰かがやらなきゃいけないことだろ」


「駄目よ、そんなの」サラが今にも泣きだしそうな声を出した。「お兄ちゃんがいなくなったらわたしはどうしたらいいの? お兄ちゃんしかわたしには頼る人がいないのよ」


「いなくなるわけじゃない。少しの間、留守にするだけだ。世界を正しに行くんだ。それにお前はもう十三歳だ。子供じゃない。少しの間ぐらい留守番できるだろう」


「そんな……」そこでサラは思い出したようにアレックスを見た。「アレックスからも何か言ってよ。あなたはこんな馬鹿げたことに付き合ったりしないよね」


 アレックスはその透き通った瞳を直視することができずに、視線を逸らした。そうしないと本当の気持ちが言えないと思った。心の奥を絡め取られるような気がしたのだ。


「サラには悪いけど、俺もフォルツのことは恨んでる。何せ、父さんと兄ちゃんを殺されてるからな。フォルツに復讐しに行くって言うのなら、俺も行く」


 サラは言葉を失い泣き出した。言葉にこそ出さなかったが、サラの気持ちがアレックスには分かる。イーグが家を出ていくことを恐れているのではない。この世からいなくなることを恐れているのだ。フォルツに挑むということはそういうことなのである。ポテンシャの兵士に勝てたところで、二人の実力がフォルツには遠く及ばないことは、サラもアレックスも分かっていた。


「サラ、お前も強くならなきゃいけない」イーグが兄として優しく言葉をかける。やはりイーグも分かっているのだろう。一度旅に出たら、もう二度と会えなくなってしまうということを。


 戦争は平和を勝ち取るために殺しあうこと。もし、平和を勝ち取れなかったら、ただ人が死ぬだけ。俺たちが命を投げ出したところで、勝てなければ、何も残せなければそれは何の意味をなすのだろうか、とアレックスは考えた。そして、頭の中には犬死という言葉が浮かんだ。いや、でも犬が死ぬことで世界が変わることもあるんじゃないだろうか。


 アレックスは足を止め、サラの目を真っ直ぐに見る。涙で潤んだその瞳は何よりも美しく、この美しさこそが世界のあるべき姿ではないかと思った。今の世界にはあまりにも醜すぎる。


「サラ、俺は今までフォルツ勝つために剣の練習をしてきた。それはお前も小さいころから見てきただろう。この先のことは、今は分からない。イーグが言うように、二人で旅に出るのか、王様の命令で戦争に行かされるのか、それとも何もないのか。分からないけど、少なくとも、今日はその第一歩なんだ。勝てなきゃ、その一歩は踏み出せない。俺だって、イーグだって辛いよ。出来れば、お前といたいし、母さんからも離れたくない。でもそれじゃ、何も変わらないんだよ。何かを変えるためには戦わなきゃいけないんだ。だから今日だけはその一歩が踏み出せるように応援してくれないか」


 アレックスが言い終えると、サラは来た道を戻るように駆け出した。そうすることで現実からも逃げ出せると思っているかのように。


「悪いな、こんな時に。俺がちゃんと言い聞かせておくべきだった」イーグは申し訳なさそうに頭を掻いた。


「いや、仕方ないよ。誰だって困惑するさ。少し時間を置いた方がいい。お互いのためにな」


「お前はいいのか?」


「俺は父さんと兄ちゃんの復讐をするために今まで鍛錬してきたんだ。それが叶うのなら、何も問題はないさ」


「そうか」イーグは何かを言いよどんでいる。


「どうかしたのか?」


「お前、自分がフォルツに勝てると思っているのか?」


 その言葉にアレックスはイーグが何を言おうとしているのか分かった。お前、死ぬことになるぞ、病気の母親を置いて、その覚悟はあるのかと聞きたいのだ。


 アレックスは考えた。病気の母が一人きりになれば、どうなるのだろう。体調が良い日はまだいい。体調が悪く、ベッドからも起きだせない日はどうするのだろう。誰かが世話をしてくれるのだろうか。


「俺も少し冷静になった方がいいのかな」アレックスも頭を掻く。


「そうかもな。まだ時間はある。いずれにしろ、お前が今日勝たなければ道は拓けないんだ。このことはまた今度ゆっくり考えるとして、今日は勝つことだけに集中しろ」


「分かってる」と言い、目の前に迫った城を見上げた。勝たなければ何も始まらない、と自分に言い聞かせ、城の中に入っていった。

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