1-4.
闘技会を翌日に控えた夜、仕事を終えたアレックスはいつもの場所でイーグたちを待っていた。アレックスが闘技会に参加することが決まっても、二人の剣の練習は続いている。ポテンシャの兵士を倒したいという思いは同じであったし、アレックスの次はイーグが立候補することが決まっていた。イーグ自身も腕を磨いておく必要があったが、そのためだけに特訓しているわけではない。二人は友達だ。アレックスが勝つために協力は惜しむはずはなかった。
あの対決でアレックスがイーグの首を模擬刀で切り勝負がついたとき、一瞬の沈黙があった。その間アレックスは様々なことを考えた。イーグに勝てた喜び、そしてこれきりイーグとの友達関係は終わってしまうのではないかという恐怖が頭をよぎる。小さいころから、木の棒を使って剣術の真似事をし、次第に模擬刀を使って本格的な練習を始め、今となっては二人ともプリミア一の剣士と言われるまでに成長した。次に戦争があるとき、必ず二人でこの国を守ろうと約束していたが、それも全てこの模擬刀で切ってしまったのではないかと悲しみが湧き上がる。これで良かったのだろうか。
アレックスは恐る恐る顔を上げ、イーグの顔を見た。イーグと視線が合う。するとイーグは小さく笑った。
「やっぱりお前の方が強いのか」
「いや、模擬刀だからだよ。多分、実戦だったらお前の方が強い」これは嘘ではなく、戦いながら、もし模擬刀でなかったら、力で押し切られ、やられていたかもしれないと思う場面があった。
「そんななぐさめはいらねえよ。お前に言われなくても分かってるっての」そこでイーグは声を出して笑った。
「今回は俺が戦うからな」
イーグはアレックスの肩をポンと叩いた。「絶対勝てよ。お前が勝って、次は俺も勝つからな。二人でやつらを倒そう」
そして、闘技会に向けた最後の仕上げとして、国の外に出てモンスターと戦うことになっていた。そのため持っているのは模擬刀ではなく、闘技会で使うのと同じ真剣である。
アレックスたちはポテンシャの兵士たちと違い、実際に命のやり取りをしたことがない。この差を補うためにモンスターと戦ってみてはどうかとイーグが提案したのだ。
モンスターは死んだ人間が成仏しきれなかった魂が形となったものであると言われている。そのため、人間に対する怨念は深く、人間を見つければ襲いかかってくる。以前の戦争で祈りを捧げられず、たくさんの人が死んでいったため、一時期ほどではないにしろ、かなり多くのモンスターが世界にはいるのだ。
少し待っているとイーグがやってきた。今日はサラを連れていない。
「サラは置いてきたのか?」アレックスが訊く。
「来るって言ってたんだけどな。さすがに連れていくわけにはいかない」イーグは苦笑していた。
「それもそうか」
アレックスたちは国の外に向けて出発した。腰に剣を一本ぶら下げているだけの、国の外に出るにはあまりに無防備な格好だったが、闘技会はこれで挑まなくてはならない。それに世界中を移動しているポテンシャの兵士たちはモンスターをたやすく倒すと言われている。これで勝てなければ、どちらにしろ明日も勝ち目はないということだ。
国の外に出ると、辺りは暗かった。それでも満月が照らしてくれているので、ある程度の視界は確保できている。二人が歩くと、草が潰れる軽やかな音が響いた。
「どうする?」アレックスはあまりの静かさに耐えきれなくなり、訊いてみた。
「適当に歩くしかないだろ。で、最初に会ったモンスターはお前が戦え。危なそうだったら俺も助けるけど」
「大丈夫だって」アレックスはそうは言ったが不安だった。得体の知れないモンスターを相手に、このような場面における自分の実力も分からない中で戦わなくてはならないのだ。
突然、背後から草が触れ合うガサガサという音が聞こえた。その音は猛スピードで近づいてくる。アレックスたちが振り返ると、そこには人の大きさほどの黒い塊があって、それがこちらに向かって突進しようとしていた。二人は反射的に転がってその突進を避けた。
その黒い塊は二人の間を裂くように突っ込んで、避けられたためにもう一度攻撃しようと態勢を立て直している。よく見るとその黒い塊の実態が見えてきた。人間に近い外見をしているものの、顔は醜く牙をむき出しにし、頭髪はなく、四足歩行している。仕草などはライオンなどの肉食動物に近いが、まだ人間の原型を留めていた。ただし、下半身は毛に覆われている。
アレックスは剣を抜いた。いつもの模擬刀とは違い、ずしりと重さを感じる。
剣先をモンスターに向け、威嚇した。モンスターも負けずに牙をこれ見よがしに見せている。
ある程度の距離を保って、アレックスはモンスターとにらみ合っている。しかし、モンスターの牙やそこから流れている涎、闇夜に怪しく光る瞳を見ていると、アレックスは剣を構えたまま、頭の中が真っ白になってしまった。体の動かし方を忘れたように身動きが取れない。生まれて初めて命が狙われているのだ。あの牙で襲われたらどうなるのだろうか。これが戦いなのかと思うと、足が動かない。
次の瞬間、モンスターはアレックスに飛び掛かってきた。それでもアレックスは動けない。脳裏にあの牙が自分の首に深く突き刺さる映像が浮かんだ。
避けなきゃと頭からの指令が出ても体が反応してくれない。どんどんモンスターは近づいてくる。足音が大きくなり、次第に息遣いも聞こえてきた。
駄目だ、殺されると思って覚悟を決めたとき、横から重たい衝撃があった。イーグに押し倒されたのだ。そのおかげでかろうじてモンスターの攻撃を避けることができた。
イーグはアレックスの胸ぐらをつかんで起き上がらせた。
「何やってるんだよ!」イーグは怒鳴った。
アレックスは上の空で、いや、とか、ああ、とか言うだけだ。
イーグはアレックスの頬を平手で殴った。パチンという音が夜の闇の中に響く。
「お前は俺に勝ったんだよ。明日闘技会に出るんだろ。なのになんであんなモンスターなんかにびびってるんだよ。情けなくないのか」
アレックスは頬の痛みとイーグの声で我に返った。体に感覚が蘇ってくる。そうだ、俺は闘技会に出るんだ、明日ポテンシャの兵士と戦うんだ、こんなところでやられている場合じゃない、と頭の中で言い聞かせた。「ごめん。もう大丈夫だから」
アレックスは剣を構え直し、もう一度モンスターと対峙した。モンスターは、今度こそ仕留めてやると息巻いている。アレックスはモンスターの目を見据え、必死に恐怖を飼いならそうとしていた。恐れることは悪いことじゃない。でもそれは時と場合による。今はそれを心の奥底にしまっていないといけないのだ。
そしてまたしてもモンスターが飛び掛かってきた。今度は問題なく体が動く。冷静に体を右に倒して、攻撃をかわし、避けた態勢から剣を振り、モンスターの胴体を切り裂いた。モンスターは空中から投げ出され転がり、うめき声をあげ、息絶えた。
そして、死んだモンスターが小さな光へと変わり、その光が空へ昇って行った。
「これって死んだ人の魂かな」アレックスはその美しい光が描く軌道を眺めている。
「多分そうだろ。モンスターになってしまった魂が、お前によって成仏されたんじゃないのか」
「モンスターになってまで俺に殺されて成仏できるのかな」
「誰だってモンスターになんかなりたくないさ。多分モンスターになってしまったことを後悔している。それが、お前に殺されたことによってモンスターの中に閉じ込められた人間の魂が解放されたんだ。喜んでいるはずだ」
どこまでもその光は昇っていく。不意に父や兄はどうしているだろうかと考えた。こうして美しい光となって、天に昇っていくことができたのだろうか。そうなってくれていればいいなとアレックスは願った。
「ごめんな。情けなくて」
「気にするな。お前に足りないのは自信だけだ。お前は間違いなくこの国で一番強い。もっと自分のことを信じろ。そうすれば明日だって必ず勝つさ」
その後は何体かモンスターを倒してから帰った。幸い二人とも怪我をすることはなかった。何より、戦いに対して自信がついたことが収穫だった。