1-1.
プリミアは農業の栄えた国である。そのため、国の男たちはポテンシャの兵士に監視されながら日が昇っているうちは農作業に励んだ。アレックスもその中の一人である。両肩に肥料の入った袋を乗せ、畑まで運んでいた。十五歳のアレックスは体力は有り余っているが、何時間もこれを繰り返すとさすがに堪える。何よりポテンシャの兵士に使われていることが耐え難い。
「ほら、ぐずぐずしてないでさっさと運べ」兵士が剣の柄で先頭を歩いている男の頭を殴った。
すいません、とその男は歩くスピードを上げた。それにつられて、他の人も歩を速めた。こんなことは日常茶飯事だ。決してぐずぐずしているわけでもないのに兵士の気まぐれでプリミアの国民は殴られる。いや、気分次第ではあるが無意味に殴っているわけではないのだろう。おそらく主従関係を忘れさせないために殴っているのだ。
「何だよ、偉そうに」アレックスはわざと聞こえるように呟く。
「おい、聞こえてるぞ」兵士はアレックスを睨み付けたが、兜に覆われてその眼は見えない。
そう言われてもアレックスは何も答えず、歩く速度はそのままに、兵士の方へ近づいていった。
「すいませんでした」と反省している素振りを微塵も見せず、その兵士の横を通り過ぎた。
「文句があるのなら、闘技会のときに聞こうじゃないか。フォルツ様の粋な計らいによって催されるあの闘技会のときにな」兵士は明らかに見下したように、アレックスの背中に声を投げかけた。
アレックスは振り返ることなく、一度袋を担ぎ直しただけだった。
闘技会というのは、戦後に始まった、月に一度開かれる兵士対国民の剣術の戦いのことだ。建前上はお互いの技術向上のため、また両国の友好関係のためと言われているが実際はそうじゃない。ただフォルツは自国の兵士がプリミアの国民をいたぶるのを見たいだけなのだ。その証拠に、兵士は頭の先から足の先まで鎧と兜ですっぽり覆われているが、国民は基本的に防具を持たない。その代わりに兵士が使うのは木刀だが、国民は真剣を使うことが許されている。フォルツが言うにはこれが平等性を保たせているそうだが、そんなはずがない。例え真剣を使おうとも、完全防備された兵士にダメージを与えられるはずもなく、ただ一方的に国民は木刀で殴られるだけだ。しかもその闘技会には審判がいない。木刀で殴られ意識を失おうとも、フォルツが満足するまで終わらない。そのため、参加した国民は大抵の場合重傷を負い、時々死ぬこともある。
それでもプリミアの国民は闘技会に参加することをやめない。ポテンシャに一矢報いることができるかもしれないという一縷の望みがあるからだ。自らの命を投げ出しても、国民の鬱憤をわずかでも晴らしたいと願う人は少なくない。しかし、アレックスに言わせれば、それは無駄死に他ならない。武器や防具の不公平さとかいう前に、剣術の実力の差が大きすぎるのだ。仮に同じ防具と武器を使ったとしても、実際に戦線をくぐり抜けてきたポテンシャの兵士にプリミアの国民が敵うはずがない。
「もう我慢できねえ」突然、畑を耕していた男は大声を上げた。全員の視線がその男に集まる。
「おい、立ちどまるな」兵士はアレックスの背中を剣の柄で小突いた。そして、その兵士は畑を耕していた男のもとへ歩いて行った。「どうした? 何が我慢できない?」
「この状況がだよ」畑を耕していた男は持っていた鍬を兵士に投げつけた。ガシャンといいう金属音が響く。
「だから、何が我慢できない?」兵士は何事もなかったかのように平然としている。
「お前らは何の苦労もなく、ただ暇に任せて俺たちを殴るだけで、俺たちの作ったものを奪っていく。なんで俺たちはお前らのために働かなきゃいけないんだ!」
周りから、「そうだ、そうだ」「俺たちはお前らの奴隷じゃない」と声が上がった。
兵士は何も言わず、ゆっくりと剣を引き抜き、畑を耕していた男に差し向けた。男は恐怖で震えていたが、強気の姿勢は崩さない。「何だよ、そんなもので脅したって俺はびびらねえぞ」
兵士は剣を振り上げ、先ほど投げつけられた鍬に叩きつけた。キンという高い音が響き、すぐにあたりは静寂に包まれた。
「お前らは何を勘違いしてるんだ。この国は敗戦国で、我々に降伏したからこそお前たちは生きているんだ。奴隷として生きる道を選んだんだ。それが我慢できない? ふざけるな!」
兵士の一喝がその場の空気を凍りつかせ、緊張の糸というものがあったとすればわずかに指を触れるだけで切れてしまうほどに張りつめていた。この先に何が起きるのか、漠然とではあるがここにいた人々は想像できていただろう。
「だけど、俺たちだって人間だ。生きているんだ」震える声で男は反論する。
「不満だというなら、闘技会に出てこい。そこでなら思う存分、俺たちを甚振ることができるぞ」表情は兜で見えないものの、明らかにその仮面の下の表情は嘲笑していた。
「あんな、馬鹿げた闘技会があるもんか。お前らはそうやって鎧に覆われているだろうが、俺たちはむき出しなんだよ。さっきだって、鍬が当たったってびくともしなかったじゃないか。あれが俺なら大けがしてるさ。下手すりゃ死んでる」
「公平性と保つために俺たちは木刀を使い、お前たちは真剣だ」
「あれだって、フォルツが俺たちが甚振られるのを見たいだけだろう。真剣なら俺たちがすぐ死んでしまうもんな」
兵士は素早く剣先を男の顔の前に向けた。「フォルツ様だ。お前らはフォルツ様のおかげで今生きていられているんだ」
「ふん。こんな人生なら死んだ方がましだ」男の歯はがたがた震え、目には涙が浮かんでいた。だらしなく鼻水も垂らしている。
「そうか。なら仕方ないな」兵士は突き出した剣を一度引込め、次に力任せに男の心臓を貫いた。男の小さなうめき声が上がり、男を貫いた剣の先からは真っ赤な血がぽたぽたとしたたり落ちている。そして兵士は無造作に剣を引き抜いて、刀身についた血を眺めている。支えを失った男の体は崩れ落ち、地面を真っ赤に染めた。
「貴重な労働力を一つ失ったな」兵士は剣をしまうと、無残に打ち捨てられた男を見て言った。そして、その様子を見つめていた人々に向き直った。「おい、よく聞け。くだらないことで仕事をさぼろうとするとこうなる。文句があれば闘技会に出てこい。そこで力を示せ。フォルツ様は力のあるものの言うことなら耳を貸してくださるはずだ。力こそ世界を支配するものだからな」
プリミアの国民は何も言えなかった。このようなことは決して珍しくないとは言え、力が無ければ何もできないということをまざまざと見せつけられたのだ。ここにいる全員で立ち向かおうとも勝ち目はないと分かっている。
「さっさとこいつを片付けて仕事に戻れ」兵士は男の死体を蹴り上げ、立ち去った。
何人かが男の死体に駆け寄り、ただ黙って男の死体を持ち上げた。男たちは涙を流し、男の死体を持ちながら震えていた。それは悔しさであり、悲しさであり、絶望でもあっただろう。そして、その様子を見ていた者は死んだ男に祈りを捧げた。
アレックスも両手を組んで、目を瞑り祈った。そして誓った。誰の命も無駄にしない、次の闘技会で俺があいつらに一矢報いてやる、と。