第二話「渦巻く陰謀」
グランデ大陸にはさまざまな諸国が広がっている。
その中でも南東に位置するエスクード国は、数ある内の大国といってもいいだろう。国全体の食料を供給できる肥沃な大地を有し、国情も比較的穏やかな国である。隣国のブリジャールと協定を結んでからというもの停戦状態が続き、今では大きないざこざも起きていない。
そんな安泰した国で今宵、一大行事が催される。
それは諸外国から集まった姫君――エスクード国国王の妃になるために呼ばれた彼女たちのお披露目の儀が執り行われるのである。総勢五十近くの妃候補者がいる中でそこから選ばれる姫は誰なのか、その話題は王城や巷で持ち切りであった。王が若くその評判が良いだけに妃候補の枠から外れた貴族令嬢も気が気じゃなく、何が何でもその麗しき姿を拝見しようと舞踏会の開かれる宮殿まで押しかけてくる始末である。その数がまた多く、舞台会場であるペリプエスト宮殿敷地外の門にごった返すほどであった。
王は即位から間もないということもあり、エスクード国国王は社交界にあまり顔を出していない。大半の者は王のその姿を知らないのである。
ペリプエスト宮殿に豪華絢爛に飾ったひとつの馬車が門を潜る。人目を引くその馬車に贅を注ぎ込まれていることは一目瞭然で、その場にいた誰もがその持ち主の顔を見たくてもどかしい気持ちになる。
馬車の停止とともに数人の召使いが、硝子細工の施された馬車の扉を静かに開けた。同時に赤い絨毯が宮殿の中へと敷かれる。
「随分と冷たいお出迎えのこと」
その場に居合わせたひとりが「デグニダル国第二王女」だと声に出した。
「ようこそお越し下さいました。デグニダル国第二王女、エミリア様」
「わたくしが今宵ここに来たのは、陛下がお見えになると伺ったからよ。それにしても、陛下もひどくなくて。わたくしこの王都なら目を開けなくても歩けますわよ」
「それは、それは。エミリア姫がそれほどこの国で満喫できたのであれば、嬉しい限りでありますな。陛下は、今日は体調がすこぶるよろしいのです。――さあ、どうぞこちらへ」
真っ赤なドレスに、真っ赤な口紅を塗って登場した彼女に誰もが派手だと思う。しかし、その色が似合っていることは確かであった。すでに、デグニダル国の象徴の色である赤を身に纏った彼女に誰もが釘付けなのだ。やはり、密かに「第一王妃候補」と囁かれているだけの魅力を彼女はその美貌に備えていた。
彼女を迎え入れたのはこの国の宰相ライネリオである。二十六歳という若さで宰相の地位まで上り詰めた彼は、かなりの敏腕家で、王の右腕とも称されているだけの明敏な頭脳の持ち主だ。彼を失脚させようとするものなら、我が身を捨てる勢いで彼と張り合わなくては無理であろう。
そんな彼が出迎えたことには大きな意味がある。しかし、デグニダル第二王女は露とも知らないのでる。
――すでに、王妃候補者選抜が始まっているなどと。
場所は変わり、ペリプエスト宮殿の西口の廊下ではひとりの少女が歩いていた。
広大な敷地面積がある宮殿で迷う者は少なくないが、彼女はどうやら迷ったのではないらしい。元から複雑な構造をしている宮殿だが、そこを地図なしで歩ける者は多くない。そういった者たちは長年この宮殿で務めてきた給仕の者か女中ぐらいである。
そんな宮殿をまるで手慣れたように、少女はどんどん光のない方へ進んでいく。
漆黒の髪はすっかり暗くなった闇夜に隠れ、深紫というあまり明るい配色でないドレスも彼女の存在を場に溶かしていくにはちょうど良かった。
何度目かの角を曲がった後、彼女はしばらく壁に身を隠して立ち止まっていた。
「――効き目はどのぐらいだ?」
「一滴もあれば、牛一頭を殺せましょう」
「……なるほどな」
男女の声がした。ただならぬ雰囲気を漂わせ、明らかに何かを企んでいる会話である。
少女は警戒しながら、そのひそひそ話に聞き耳を立てた。
「……本当にお使いになられるので?」
「なぜ、お前が怖気つくのだ」
何もしゃべらない男に、女は鼻で笑うと続ける。
「妾はこの国ためを思ってしているのだぞ。それに加担したのはお主の方ではないか」
「……しかし、」
「ええい、黙らぬか」
その言葉と同時に鈍い音が響き渡った。どうやら女が男に危害を加えたらしい。
「どいつもこいつも妾のことを否定しおって。邪魔者は早々に排除するに越したことはないではないか! 何故、お主らはそうも――待て、誰か来る」
カツン、カツンと遠くの方から靴音が聞こえる。どうやらこちらに誰かが向かって来ているようだ。
「お主、何をしているっ……、さっさと立ち去らぬか! 見つかればすべての計画が水の泡になるであろう!」
その一言で、男の方はたちまち闇夜に消えていった。そして、その場で立ち聞きをしていた少女――アリシアもその場を離れようとした。だが、去り際に見てしまう。
(ああ、なるほど……。この国は思っていた以上に厄介なのかもしれない)
思いもよらない人物を目撃してしまったアリシアは、ひとつ悩むと静かにその場から遠ざかって行った。