第十二話「振り回される」
エミリアの専属の女中3人が同時に辞職の届け出すといった出来事は、各々が体の不調を訴え休暇を取り、そして回復してからまだ数日として経っていなかった。
彼女たちの主であったエミリアの性格というと、我が侭で高飛車。気が強く癇癪持ちで口も立つ、誰もが認める傲慢な姫君である。ペリプエスト宮殿に彼女が居住するようになってからというもの、彼女の専横な振る舞いに、宮殿に仕える者たちも困惑の色を隠せないでいた。
そんなエミリアに襲った突然の専属の女中全員が辞退するといった事態に、宮内の者たちは彼女の大変な癇癪を想定した。けれど、その事実を知ったエミリアは、怒りに駆られて取り乱すどころか、腹を立てることもなく、むしろ気味が悪いぐらいの冷静さを保っていたのだという。
そんな皮肉な出来事を耳にしたリタはさっそくアリシアに報告すると、不気味だ、アリシア様を陥れる策略だのとぶつぶつを言っては駄弁り続けた。
そして、リタの愚痴は最終的にアリシアに対しての不満へと繋がっていく。
「――ですから、アリシア様。あの高慢女のいいようになってはなりません! 顎の先でいいように扱き使われて、何故、対抗なさらないのですかっ! 貴女様なら皮肉の一つや二つぐらい、いえ、相手を口車に乗せて惨めな思いをさせることだって、アリシア様になら――」
「リタ、静かにしなさい。煩いわ。」
相変わらず、エミリアに要求されることに付き従い、自尊心の欠片も見せないアリシア。自分の仕える主が取るその行動にリタは、我慢ならないでいる。いつ何時、堪忍袋の緒が切れてもおかしくない状態だ。
「ですが、アリシア様!!」
窓側に設置されたロッキングチェアに座り、景色を眺めながら編み物をしていたアリシアの反応はとても薄い。アリシアは編み物をする手を止めると、興奮するリタの方を見ずに、手のひらを振って退室を促した。リタはそれに対して、反抗の言葉を口に出しかけたが、ぐっと堪えて飲み込み、しぶしぶこの場から立ち去っていく。
ところが、リタが部屋を退出する直前で扉が凄い勢いで開け放たれた。
「――アリシア!! 貴女に用があるわ。いいからわたくしと一緒に来なさい!」
煌びやかな赤のドレスを身に纏った彼女、エミリアはズカズカと部屋に入り込んでくるやその華奢な体のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほどの強さでアリシアの手首を掴んだ。
その衝撃を受けて握っていた棒針と一緒に編んでいたものとが床へと落っこちたが、拾うこともできぬまま、ガタンと腰かけていたチェアが倒れ、アリシアは引きずり出されるような形で自室を後にすることになった。途中、リタが後を追ってくるのが見えると、アリシアは部屋で待つよう命令した。すると、彼女の姿は見えなくなり追ってはこなかった。
「――早く来るのよ、アリシア! まったく、何をさせても鈍いのね!」
エミリアの態度といえば、日に増して荒くなりアリシアに対しての当て付けも悪化する一方である。そんな彼女に、アリシアが付き合わされているということは一目瞭然で、宮内の者たちにとってアリシアという存在は救いであり、また同時にアリシアに同情の眼差しを向けているのであった。
カツン、カツンと廊下を高いヒールでかき鳴らして進んでいくエミリア。その後ろに続くアリシアに表情に変化はないが、少なくとも突然の事態に驚いていたのは確かである。
(ああ、もう。――この人は一体私に何の用だというんだ。ほんと、振り回される身にもなってもらいたいな。……手首が痛い。)
アリシアは内心で深い溜息を吐いた。後で手首を冷やした方が良さそうだ。
そんなエミリアといえば、えらくご立腹な様子であった。しかし、少々変なのは目の前に嫌がらせの的であるアリシアがいるにもかかわらず、嫌味や皮肉を言わずに歩くペースを変えずに前進していることだ。何かあったのか……? アリシアはちらりとエミリアの横顔を盗み見た。
「一体、何なのかしらねっ! 本当に最悪よ!!」
急に彼女は立ち止まった。そこは、彼女の部屋の前である。アリシアは彼女の目線に沿って部屋の中へと視線を向けた。
「アリシア! わたくしの部屋に先ほどから居座る、この不作法な殿方を――今すぐ追い出してちょうだいっっ!!」
エミリアがひとさし指を突き出した先には、その場にいるだけで重厚感が漂う男が長椅子に座ってくつろいでいるのだった。それも口元に微笑を浮かべて。
その人物を見てアリシアは文字通り固まったのだった。