第十話「エミリアの攻撃」
「エミリア様、ドレスに紅茶はかかりませんでしたか。」
それはアリシアがデグニダル国第二王女エミリアの話し相手として、部屋に通い始めてから数日のことだった。今、アリシアは床を布巾で拭いているところだった。女中紛いのことをアリシアがしているその理由は、エミリアに仕えている女中がおらず、またアリシア付きのリタの姿がないからである。テーブルに横たわるティーポットはすでにカラで、床に滴る紅茶の香りが部屋中を満たしていた。
「まあ、貴女のせいでドレスが台無しだわ。まったく酷くなくて。」
出会いがしらエミリアのアリシアに対する攻撃は過激だったが、今ではさらにその拍車を掛けている。アリシアに会う以前までは、ピクスという国すら知らなかっただろうに、どこから集めてきたのか国の内政への皮肉を始め、アリシア自身すらあまり知らない出身までも掘り出してくる始末である。孤児院育ちであることも知っており、「卑しい子でも姫様になれるものなのね」と、言われた時はいくら冷静を装うことに慣れたアリシアでさえ一瞬我を忘れかけた。
「エミリア様、そのままでは風邪を引いてしまいますね。……ライネリオ様に頼んで陛下の女中を下してもらいましょう。」
「ふん、何を言っているの。アリシア、貴女が着替えさせるのよ。」
もともと卑しい身分なのだもの、そのぐらい手馴れているのでしょう。と、エミリアはいやらしく微笑んで見せた。
アリシアとエミリアの仲が良好でないのは誰の目から見てもはっきりとしていた。アリシアが彼女に寄り添おうと努力しているのをエミリアは嘲笑うかのように、無理難問を押し付けてはアリシアの反応を見て楽しんでいる。気性が穏やかなリタでさえ、何故抵抗しないのかと腹を立てるぐらいアリシアはエミリアの言うことに従いすぎていた。
「……ええ、わかりました。では、お部屋を移りましょう。衣装室はあちらですね。」
アリシアは隣の部屋の扉に目を向けた。エミリアは「そうよ」と上機嫌に言う。
二人は衣装室に移動すると、エミリアは椅子に座わるとまるで女中のようにアリシアを顎で使った。エミリアのころころと変わる注文。しかし、アリシアは不服を感じている素振りを見せず最初から最後まで聞き入れた。
「ほら、手が止まっているわよ!」
ここ数日、何度も扇子で手を叩かれて赤く腫れた手首。表情が乏しいアリシアの顔が一瞬だけ歪むのを彼女は見逃さない。
「あら、痛かったかしら。でも、平気ですわよね。こういう仕打ちは身分の低い出の貴女にとっては慣れているのでしょう。」
アリシアが何も反論しないことをいいことに、エミリアはアリシアをいいように使っている。この王宮という閉鎖空間から出られない鬱憤も王に会えない苛立ちもすべてアリシアに攻撃することで晴らしている。
アリシアは自身の思惑をけして表へと出さなかった。そして、アリシアの瞳にエミリアという人物が映っていないのも確かであった。