世界を照らす桃色の星!
「わぁ~⁉ 遅刻ちこく~!」
桃瀬桃名は慌てふためきながら走っていた。
ひと昔前のアニメの如く、トーストを口にくわえてもぐもぐ食べながら、学校に遅刻しないために精一杯急いでいるのだ。
桃名はこの春、高校1年生になったばかり。
持ち前の元気さと人懐っこさで新生活は順調なスタートを切っている。
中学生の頃の友達もいて、新しい友達もできて、勉強は少し苦手だけれど、毎日楽しく学校に通っていた。
しかしこの春から彼女は高校生活だけでなく、新しい出来事に見舞われている。
そしてそれは彼女の事情とは関係なく襲ってきた。
「モモナ! ネガティブモンスターの気配キュル!」
彼女が提げている鞄からがばっと顔を出した、ぬいぐるみのような見た目の白うさぎが声を発して警告してきたのである。
桃名は驚いた。
ぬいぐるみのようなその生物にではない。遅刻しそうなのに見過ごせない状況に出くわしてしまったことにだ。
「えぇ~⁉ 何もこんな時に出てこなくたって!」
「しょうがないキュル! こればっかりはキュルルに言われたってどうしようもないことキュル~!」
星々の国から来たらしい妖精のキュルルがぷりぷり怒った。
そう言われたからには仕方ない。
無視するわけにもいかず、桃名は言われた通りの道を進んで進む。
目標はすぐに見つかった。
朝っぱらから公園で頭を抱えてうんうん唸っているスーツ姿の女性だ。
「いた! 思い悩んでる人、発見!」
「まずい! ネガティブモンスターに入り込まれるキュル!」
女性は常人には見ることのできない黒い靄にまとわりつかれていた。よく見れば目のような二つの赤い光がある。
表情どころか顔も体もないのだが、どこか生き生きしているようにも見える様子で女性の体の中にひゅっと入ってしまう。
「あぁ~んもうっ! 間に合わなかったキュル! あいつらほんとに心の中まで侵入するのが早くて嫌になるキュル!」
「大丈夫! まだ間に合うよ! きっと助けられる!」
桃名は一切迷わず女性へ駆け寄っていく。
その前に女性はがくりと地面に膝をついてしまい、まるで気絶してしまったかのように動かなくなった。
駆け付けた桃名は女性の肩に優しく手を置き、星を模ったペンダントをぎゅっと握って、強い意志で念じると光が生じる。
それは星々の国から持ってこられた宝物。
人間の心の力に反応し、救済の力を生み出すのだ。
「待っててください! 私が助けますから!」
「モモナ! 変身だキュル!」
「リリカル☆マジカル☆ハートビート!」
叫んだ途端、桃名の体は光になり、女性の体に吸い込まれた。
魔法少女とは!
様々な星の力を得た“リズムストーン”によって変身し、人間がそれぞれ持つ心の世界に入り込み、困っている人の心を救済する存在である!
人々の心に侵入し、感情を暴走させるネガティブモンスターを倒すことのできる唯一の存在でもある!
とにかく魔法少女とは!
魔法という不思議な力を使って人々を守っているのだ!
セミロングの髪がピンク色に染まって。
ピンクを基調とした服にふわふわのミニスカート。
手には輝く星が付けられたハンドマイク。
「魔法少女ピンクビート! 参上~!」
桃瀬桃名ことピンクビートは、見知らぬ女性の心の世界へ降り立った。
辺りは暗がりで一片の光すらなく静寂に包まれている。
人間の心の世界は人によってまるで景色が違う。
その時の気持ちや気分だけで全く形を変えてしまう。
楽しい気持ちなら光で満ち溢れ、寂しい気持ちなら暗い世界になる。
そしてネガティブモンスターは人間の心の世界に侵入し、人間を暗い気持ちにしてしまうことで生じるネガティブエネルギーを食べることで成長する。
人間の悪感情こそが彼らの食料であり、存在理由でもあった。
より強く、より大きく、より暗い気持ちに。そのためだけに存在している。
突然、パンッとピンスポットを当てられるように一点の光が灯された。
そこにいたのはこの世界の主である女性。
「毎日毎日同じことの繰り返し……」
「どうして私ばっかり怒られるの? 私だけが悪いわけじゃないのに……」
「みんな私のせいにして、自分ばっかり助かって……」
「私が何をしたっていうの……⁉」
「もういやっ! みんなみんな大っ嫌い‼ 何もかも消えちゃってよ‼」
彼女は悲痛な叫び声をあげていた。
日々の疲れや痛みやストレスが、その声によって衝撃のように伝わってくる。
彼女の悪感情が力を手に入れつつある証拠だった。
このまま放っておけば彼女の心は壊れ、肉体は暴走し、きっと自らの怒りのままに他人を傷つけてしまうだろう。
そうなれば傷つくのは周りの人間だけではない。
彼女自身を救うため、行動を起こす前に止めなければならなかった。
「すっごく暗い気持ちになっちゃってる……よーし! 私に任せて!」
「ネガティブモンスターを倒すキュル!」
ピンクビートは一切迷う素振りを見せなかった。
すぐにパッと笑顔になってウインクすると、魔法の力でキラッ☆ ときれいで小さな星が散る。
桃瀬桃名が魔法少女になった理由。
それは女性だからでも、若いからでも、学生だからでもない。
桃名が超絶ポジティブだったからである。
即断即決。考える前にまず行動。
ミスをしたら即座に反省。取り返すためにすぐさま行動。
わからないことはあっても思い悩むことは一切ない。
「大丈夫だいじょーぶ! あなたが今感じてるその重くて苦し~いやつ、私も一緒に持ってあげる!」
「そしたらきっと楽になるよ!」
「こう見えても私、結構力持ちだから大丈夫!」
異常にポジティブな心が尋常ではないパワーを生む。
そのため彼女は、少なくとも魔法少女になった直後の時点だけを考えれば、歴代最強の魔法少女と言っても過言ではない。
「こんなに暗いところにいたら気持ちまで暗くなっちゃう。まずはここを明るくしなきゃね」
「辛いままでもいいから、ちゃんと部屋を明るくしよ!」
「ポップ☆ステップ☆ビート‼」
ピンクビートはぴょん、ぴょん、ぴょーんっと前に向かって跳んだ。
彼女が地面を踏みしめる度、波紋のように光が広がり、最後に力強く跳んだ瞬間に花火のように色とりどりの光が弾けた。
暗闇はまだそこにある。だがほんの少しの光が辺りを照らした。
変化に気付いた女性は俯いた状態から顔を上げる。
「え……何? きれい……」
「見て見て! 花火みたいでしょ! 私これ好きなんだ~!」
ぴょんぴょん跳ねながらマイクを使って声を伝え、着地した地面から、或いは笑い声や笑顔から、光の玉がどんどん生まれてあちこちへ散っていく。
まるで遊んでいるような姿だ。しかし暗闇の中で跳ね回る光の玉があまりに幻想的で怒る気にもならなくなる。
女性はその光景にしばし見惚れた。
癒されるというほど状況を理解できていなかったが嫌なことは考えなくなる。
ほんの一瞬、ぼーっとする時間が生まれていた。
たったそれだけのことでも大きな変化。
辺りが暗いままでも明確な違いが現れたのだ。
周囲の暗闇に溶け込んで隠れていたネガティブモンスターが姿を現した。芋虫のように細長い黒い靄の塊である。
せっかく居心地のいい空間だったのに光のせいで壊れてしまった。
赤い二つの目を睨むようにピンクビートへ向けている。
「出たなぁ~! 悪い虫!」
「まだ幼体だキュル! 成長する前に倒すキュル~!」
ステップをやめたピンクビートがネガティブモンスターと対峙した。
マイクを両手で握り、先端を自身の口元へ向けて、大きく息を吸い込む。
そして思い切り叫んで、マイクが拡声して辺りに轟かせた。
彼女は暴力が好きではない。軽いものでもケンカなどもってのほか。
それでも落ち込んでいる人を助けるためなら、戦うことを躊躇いはしない。
「みんなそれぞれ違った素敵な世界を持ってるのに~!」
「暗くしちゃったら何も見えないでしょー!」
「明るくキラキラ! 高鳴るハートビート!」
「いっくよー! 最大出力!」
「ぶっ飛ばすキュル~!」
「スターライト☆トゥインクル☆バスタァァァー‼」
大口を開けて叫ぶと、口から飛び出るかのようにピンク色のビームが放たれた。
高速で疾駆したそれは狙い違わずネガティブモンスターを貫き、最たる弱点であるポジティブパワーをこれでもかと注入すると、黒い靄が軽く弾けて消滅する。
決着は一瞬。まさに圧倒である。
「やった~! 倒したよ~!」
「まだ喜ぶのは早いキュル! 仕事は終わってないキュル!」
そうだった! と叫んでピンクビートはすぐに駆け出す。
一連のやり取りを見たあとも呆けている女性へ小走りで近付き、目の前に立ってまずはにこっと笑いかけた。
反応が薄いとはいえ一応視線は合っている。
「お姉さん、スッキリしました?」
「え……あ、何? 何が……?」
「あちゃ~、これだけじゃまだ足りないみたい」
「仕方ないキュル。この人はストレス社会でまじめに働いているのだキュル。まじめな人ほど損をするのは人間界の常識キュル~」
「ん~そんなの認めたくない! だってお姉さんは、ちゃんと頑張っててえらいんだもん! こんなに追い詰められるまで頑張ったんだもん!」
ピンクビートはマイクを構えて「わっ‼」と大声を発した。
彼女を中心に波紋のように強い光が広がり、魔法陣を描いて二人を照らす。
直後、光の中から様々なものが飛び出してきた。
「可愛いもの! 犬! 猫! ハムスター!」
「わああああっ‼ 可愛い! かわいい!」
「おいしいもの! ステーキ! お寿司! おっきなケーキ!」
「いい匂い……! 美味しそう!」
「体を休められるもの! ふかふかベッド! でっかいテレビ! 面白ゲーム! 高品質スピーカー! ちょうどよく気持ちいいクッション!」
「す、すごい……私の部屋より豪華……!」
「そしてミュ~ジィーック‼」
天を指差しながら叫んだ途端、スピーカーからお洒落さを感じさせるミドルテンポのポップスが流れてきた。
女性は背中を押されるとベッドの縁に座らされ、隣にピンクビートが座って笑いかけてくる。
「お姉さん、いつもお仕事お疲れ様」
「あなたはとっても頑張ってますよ」
「だから休みたい時は休んでいいんですよ。辛いときは辛いって言ってください。そうしたら胸がスッキリします」
「うっ……うぅ……! 私……わたしぃ……」
女性は目に涙を溜めて俯いてしまう。
「入社してからずっと頑張ってるのに……! 同僚にいじめられてて、上司に軽んじられてて……!」
「ずっと、ずっと独りぼっちで……!」
「そっか……一人でずっと戦っていたんですね。だけど一人でも諦めずに戦ってきたお姉さんはすごいです!」
ピンクビートは女性の手を握った。
彼女が顔を上げ、笑顔で見つめてくるピンクビートと目を合わす。
「告発しましょう!」
「……え?」
「あなたをいじめる人たちのことも、軽んじてる上司のことも、ぜーんぶ周りのみんなに喋っちゃいましょう!」
「辛いと思ってるなら我慢してる必要なんてないんです!」
「思いのままにやってみちゃえばいいんですよ!」
「そう考えたら、元気が出ませんか?」
「たしかに……なんで私、あんなやつらの言いなりになってたんだろ」
私はすごい。私は本当に頑張ってきた。
ピンクビートの言葉が胸の内まですんなり入ってくる。
そうだ、と思った途端に力が湧いてくるようだった。
決意が力になり、心の世界が見る見るうちに変化していく。
天から光が降り注ぎ、辺りを覆っていた暗闇が晴れて、一片の曇りもない美しい青空が広がっていく。足元は豊かな緑が生まれてあちこちに立派な木々が立つ。
気付けば美しい森になっていた。
女性の表情が変わる。
疲れた様子は変わらないが生気が戻ってきたのだ。
「私……やってみる! 告発してみる!」
「はい! あなたならきっとできますよ!」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
彼女の体から強い光が放たれ、やがて心の世界を満たしていった。
女性がハッと気付くと、目の前ににこにこ笑う女子高生がいた。
知らない人だ。だが不思議と嫌悪感はなく、人嫌いを自覚しているのに触れるほど近くにいても安心していることに驚いてしまう。
なんとなく懐かしいような、前から知っているような気がした。
「お姉さん、いつもお仕事お疲れ様です」
「え、あ……どうも」
「毎日会社に行ってお仕事してすごいです! 私なんて朝が弱いからいっつも遅刻しそうになっちゃって、学校は好きだけどたまにめんどくさいって思ったり……」
「だからお姉さんはすごい! えらいえらい!」
「あっ……」
「今日はきっといいことありますよ!」
両手で右手をぎゅうっと握られた。
普段なら同性でも反射的に嫌だと思うだろう。ところが今は嫌な気持ちが欠片すらなく、むしろぐああっと力が湧いてくる気がした。
彼女に褒められて女性の顔つきが変わる。
力強く頷くと、自ら顔を近付けて宣言するのである。
「わ、私……がんばる!」
「はい! 応援してます!」
「よっしゃー! 今までのこと全部バラすぞー! 告発するぞ~‼」
女性は元気に駆け出していった。
笑顔で手を振って見送り、桃名は満足そうに頷く。
「うんうん! 人間やっぱり元気が一番! だね!」
「よくやったキュル、モモナ。これでまた一人ネガティブモンスターの脅威から救われたキュル」
「さあ、魔法少女の務めを果たしたら次は学校キュル!」
「早くしないと遅刻するキュル~!」
「あーっ⁉ 忘れてたぁ⁉ いっけなーい!」
桃名が慌てて走り出した。
心の世界に入っている間は外界との時間のズレがほんの数秒。見知らぬ女性を救うまでに現実時間では10秒も経過していなかった。
なのに慌てて走る羽目になるのは桃名の寝坊のせいである。
キュルルはやれやれとため息をついた。
魔法少女としては最高なのに、日常生活はちょっと抜けている。
先が思いやられるなと思ったのはこれで何度目だろうか。
「まったく……あとは寝坊しないで、成績をもっとしっかりしてくれたら言うことなしなのに……」
「え~んひどいよー! 私だって頑張ってるのにー!」
「あっ! でも私の悪いところを今言ってくれたってことは期待してくれてるってことだよね! そこを改善すればいいんだ!」
「まずは朝起きるのと勉強! 遅刻はいい加減やめなきゃね!」
「私頑張るよ! キュルル!」
「うーんこのポジティブさ……素晴らしいキュル! それでこそみんなの心を震わせるビート! 最高だキュル!」
キュルルに褒められて素直に喜び、桃名は跳ねるように走った。




