エリクサーの製法は秘密です・・・
(おやっ、この本はっ、、、いや、まさかな・・・ )
革を使用した重厚な装丁が施された分厚く大きな本が整然と並んでいる。どの本も年季が入っていて風格がある。それらが壁のように立ち並ぶ本棚に、隙間を埋め尽くすようにきっちりと納められ天井付近までそびえている。
ここは地方都市にある小さな古書店だった。
小規模な学会を訪れたその合間、偶然通りかかって気になったので少し覗いてみただけだった。しかし、ここで思いがけず長い間探し求めていたものを発見することになった。
(偽物という可能性もあるが、、、)
手に取ってパラパラとめくってみる。紙の質感、文字のにじみや筆圧の強弱。どれをとっても本物のように見えてくる。願望がそう思わせているだけなのだろうか?
頭の片隅にどうせ偽物だという警鐘が鳴り響いているが本を手に取る男には遠くの音にしか聞こえていない。
(店主にいくらか聞いてみよう、、、)
値段を聞いてから最終的な判断をすることに決めた。聞いたところで本物であるならば男に買えるような値段ではないだろう。買える程度の値段であるならば偽物だろう。聞く意味は論理的にはない。
しかし、男の正気は揺らいでいた。心臓は早鐘を打っている。
興奮と焦燥を抑えつつ本を持ってカウンターへ行く。若干足取りは覚束なかったが今の男にとってどうでもいいことだった。
店主の前に行くと意を決したように口を開く。
「この本はいくらだろうか? 」
平静を装ったつもりだったが声がわずかにうわずっていた。しかし、店主は気にした風でもなく本を確かめながらやる気なさそうに答え始める。
「こんな本うちにあったかな? まあ、五十万シリングでいいでしょう 」
シリングというのはここホルムス王国の通貨である。五十万シリングあればこの地方都市で一人暮らしをするなら半年は優に暮らすことが出来るだろう。だが、本物であるならばこの程度であるはずがない。
(偽物か、、、)
男は先ほどまでの興奮も何処へやら落胆する。やはり本物な訳がない。本物は古書を蒐集している富豪の書棚に眠っているのだろう。手に取って開かれることなく仕舞い込まれる本。その真価を発揮することなくただただ眠り続け表に出てくることはない。そう思うと怒りすら湧いてくる。
しかし、それと同時に男の中には得体の知れない予兆のようなものが生じていた。
(いや、、、もしかしたら本物なのかも知れない・・・ )
何故だかそのように思えた。錯覚だろうが本が囁きかけてくるような運命めいた感覚がある。思わず店主にその本を買うことと銀行で金を下ろしてくることを伝えて店を後にした。
他にあの本を求める客などいないだろうが足取りは自然とはやる。胸の内はこのまま進んでしまえという気持ちが大部分を占めていた。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車が真っ直ぐな街道を進んでいく。向かう先は男の住居兼店舗がある大都市、リンドバウムである。男は腕のいい錬金術師であった。
錬金術師とは一般的に様々な物質を調合して目的の効果がある薬品・物質を生み出していき販売して生計を立てる仕事だ。特に魔法薬の作成が人々がイメージする代表的な錬金術だ。様々な回復効果のある魔法薬、いわゆるポーションを作れることが必須とされる。錬金術師の格を決める試金石ともいえた。
男の名はアルベルトと言った。今年で齢二十七になる。
十歳の時に両親と死別した。父親の友人であった錬金術師のところに引き取られてから十二年の修行期間を経て独立し、今の場所に居を構えてはや五年となる。彼は長年ある野心を抱いていた。
ゆったりと揺れる客室の中でアルベルトは期待と後悔の入り交じった思いにさいなまれている。原因は昨日、古書店で購入したあの本にある。
稀代の錬金術師、オルセンティウスが残したとされる“ポーション大全”。その原本を追い求めていた。これがもしも本物であれば彼の研究は飛躍を遂げるだろう。
オルセンティウスは200年ほど前の人物だ。現在まで続く錬金術の基礎を築いたとされる。彼の最も偉大な功績は奇跡の秘薬、エリクサーを人工的に精製したこととされている。
エリクサーとはあらゆる病気や怪我をたちどころに治すことが出来る魔法薬である。フィールド型ダンジョンの奥地でごく稀に発見されることがあり、発見した冒険者は一生遊んで暮らせるほどの富を得ることが出来る。
発生条件は不明だが決まって何故か泉のように地面に溜まっている状態で発見されると言う。そのためダンジョンの地下深くで生み出されたものが何かしらの影響で地面まで上がってくると仮説が立てられている。
一時期はエリクサーの大本を手に入れようとダンジョンを掘削するもの達までいたと言うが、そのすべては失敗に終わったと歴史書に記されている。
そのエリクサーを人類史上初めて精製したとされる彼だが、彼の死後、そのすべてを受け継いだはずの弟子達でエリクサーを精製出来たものは誰一人としていない。彼以外には不可能だったのだ。
ポーション大全にはその製法が記されていたというがそれにも関わらず精製出来た者はいない。
材料の品質が違うと言う話があったりオルセンティウスにしか出来ないほどの高度な手技が必要なのだという話もあったがとにかく今に至るまで誰も成し遂げた者はいない。
そのため記された製法は出鱈目であったというのが今の定説だ。オルセンティウスが本当にエリクサーを精製出来たのか疑わしいという評価もある。
だが、実際に彼がエリクサーを精製出来たとしか考えられないぐらいの量を供給していたことは間違いないようだ。彼が優秀な錬金術師であり様々な技術や調合レシピを生み出していることは事実だ。
そして、彼が残したものを受け継ぎ、この200年で錬金術は更なる発展を遂げた。その間にエリクサーの製法、すなわちポーション大全は古びていき歴史の闇の中に消えていった。
今更ポーション大全に実質的な価値があるとは思われていない。せいぜい科学史的な価値があるか古いものに価値を見いだす好事家が求めるぐらいだ。
それでも、アルベルトはオルセンティウスがエリクサーの精製に成功したのではないかと考えている。それを証明する手がかりがポーション大全の原本にあると考え、長年追い求めていた。
その原本かも知れない本が今、鞄の中に入っている。早く工房に帰って試したくてしょうがない気持ちになっている。
エリクサーの精製は錬金術師の夢だ。なんとしても成し遂げたいと思っていた。
それだけでなくアルベルトがエリクサーに拘るのには理由があった。両親を病気で亡くしたとき、もしエリクサーがあったなら救えたのではないかという思いがいつまでも残っている。師匠の元で錬金術を学びその存在を知ったときからずっとだ。
少し眠ろうと思ったがまったく眠ることが出来ずにいる。鞄の紐を握りしめ悶々と考え続けていた。
馬車は一定のリズムで音を立てながら進んでいく。
◇ ◇ ◇
「お帰りなさい、先生 」
「ああ、ただいま 」
自宅兼工房に戻ると店番で雇っている女性、エルシィに自分がいなかったときのことを聞く。特に大きな出来事はないと確認すると引き続き店番を任せて自分はオーダーの入っている薬品の精製業務を行っていく。
エリクサーの研究はしたいが普段の仕事も熟さなければならない。営業中は通常の業務の合間を縫って研究を進め、店を閉めてから睡眠を削って研究に没頭する。そんな日程をこの日より続けていくことになる。
そうして一月ほどが立った。結果としてアルベルトはエリクサーの精製に成功していなかった。
(何故だ・・・ )
アルベルトはオルセンティウスの弟子達がエリクサーを精製出来ていたと仮説を立てていた。大量生産により価値が落ちることを危惧して精製出来ることを秘匿していたと考えた。彼らが残した写本には間違った製法が意図的に記載され、正しい製法は原本のみに記されていると、、、
そのつもりで精製に挑んだのだが失敗続きだ。ポーション大全には確かに製法が記載されていたが、精製されたものはせいぜいC級ポーション程度である。
手に入れた本が原本ではなくて写本だったという可能性はもちろんある。だが、そう思えない理由はある。
写本にも程度というものがあり初期型と後期型に分類される。後期型になるとエリクサーの項目は無駄なものとして除外され記載されていない。記載されているものは初期型の可能性があるのだがこれは数が少なく歴史的な価値がある。まず市場に出回ることがない。アルベルトが手に入れたものが初期型写本であるという可能性は低い。
となると長らく行方知れずだった原本か偽造品のどちらかだ。普通に考えれば偽造品の可能性を疑うのだがそれもおかしいように感じている。
偽造品であっても低難易度の項目ならちゃんとした製法が記載されていておかしくないのだが、中程度から高難易度の項目まで古典的手法でかつしっかりとした製法が記載されている。
そして何より掲載されているエリクサーの製法からはある程度効果のあるポーションが精製出来ている。エリクサーは精製できていないのだが、これは出鱈目を書いたのではあり得ない。
何から何まで本物のように思えるのだが製法通りに作業を行っていてもエリクサーは精製出来ていない。疑問は深まるばかりだ。
自分の技術に問題があるのだろうか? そう考えたがそれは違うように思える。確かに当時としては難しい技術が要求されるが現在では効率のいい魔法や魔道具も利用出来る。アルベルトの技術も十分以上にある。それは問題ではないと考える。
では材料に問題があるのだろうか? それも違うように思える。当時使用されていた材料と現在の材料では若干成分が異なる。不純物は確実に現在の材料の方が少ない。不純物が重要な役割を果たしていたという見方もあるだろう。
しかし、魔法薬で重要なのは主要な魔力成分であり一般薬よりも不純物に対する許容範囲が広い。わずかな不純物に効能が左右されるとは思えない。
失敗する原因がわからないままに日々が過ぎていく。そんな時に転機となる出来事が起こる。
◇ ◇ ◇ ◇
「先生、いらっしゃいますか? 」
地下にある調合室の扉をエルシィが叩く。彼女は普段、下まで降りてくることはなかったのだがこの日はいつもと違った。
「ああ、入ってきてくれてかまわないよ 」
今日はエリクサーの精製をやめていて調合室では作業をしていない。行き詰まったのでポーション大全を再び読み込むことにしていた。そのため、普段は入れることがない調合室にエルシィに入ってもらうことにした。
エルシィは扉を開けて中に入る。
「失礼します 」
「何かあったのかな? 」
「消魔力薬とか魔法解熱剤とか… 魔法薬の一部の在庫が軒並み減っているんです。詳細はこのメモに書いておいたんですが、、、」
メモを受け取るとアルベルトはそれに目を通す。
「どれどれ… 本当だ。熱病でも流行っているのかな? 」
「そんな噂は聞かないんですけどね… 少し前に多めに買い付けていく人はいましたけど 」
「そうか… 良くわからないね。まあ、いいか。すぐに作っておくよ 」
用件は済んだのだがエルシィは初めてみる錬金工房に興味津々といった様子で見回していく。見慣れない道具が所狭しと置かれている光景は子供の頃に読んだ絵本に出てくる魔女の家のようだ。アルベルトもそんなエルシィの様子を微笑ましく思い好きにさせておく。
(俺も師匠のところに初めて来たときはこんな感じだったな・・・ )
両親を亡くして落ち込んでいたはずだった。ガラスの器具が立ち並び光を反射する様や薬液や薬草が入った瓶が棚に整然と収められている様子。何に使うか分からない怪しげな道具、童話の中で魔女がかき混ぜているような巨大な錬金釜。それらすべてが少年だったアルベルトの心を捉え、前向きな気持ちにしてくれた。
エルシィはそれなりに広い部屋をゆっくりと見て回るとあるものを見て少し驚いたような顔をする。それが気になってアルベルトは声をかける。
「どうかしたかい? 」
「先生… これって…… 」
彼女が指したのは銀色のバケツのような容器だった。エリクサーを精製するに当たって魔道具師に特注で作ってもらった物だった。ミスリル製で保存の魔法がかかっている。これに魔法薬を注ぎ込むと魔力の抜けや劣化を防いでくれる。ポーション大全に形状から寸法まで記載されている物だった。
「それがどうかしたのかい? 」
初見にも関わらずそれがエルシィの目に留まったことに違和感を覚えて興味が出てくる。自然と疑問が口に出る。
「これも錬金術の道具なんですか? 」
「そうだよ。一時的に魔法薬を保管しておくための道具だね 」
エリクサーのことは伏せて答える。
「そうなんですか… てっきりおまるかと思いました。なんでこんな物がここにって思って… 」
「おまるだって? どうしてまたそんな風に思ったんだい? 」
「わたし今、親せきの子供の世話をすることがあって・・・それでおまるを使っているんですけど、その… それにそっくりなんですよね 」
「おまるにかい? 」
「・・・はい、正確に言うと… その… 排泄物を受けるトレーのような部分ですけど。取り外しが出来るようになっていて 」
「そ、そうなのか・・・」
それなりの金額をかけた物をおまると言われて少なからず気落ちしたアルベルトだが何かを受けるという機能は一緒だなと納得させる。
「それでは追加分の精製をお願いします 」
「ああ、直ぐにやっておくよ 」
一通り見て満足したのかエルシィは自分の仕事に戻っていく。部屋に残るアルベルトはポーションの精製作業に入った。
◇
それからさらに数日のこと、エリクサーの精製に行き詰まったアルベルトは道具一式を机に並べて精製手順を確認していた。手にはポーション大全が開かれている。
彼は今、いよいよ苦悩の中にいた。何度やっても上手くいかない。オルセンティウスが本当にエリクサーを精製出来たのか疑問に思えて来る。
(そもそも人類には不可能なことなんだろうか・・・)
アルベルトにはポーション大全に記されている製法に不可解な点があった。それは最終工程が終わった後に一度特注のミスリル容器に移した後、そこから改めてポーション瓶に移す行程を挟むと言うことだった。
保存の魔法がかけられた容器はポーションの劣化を防げるものの直接ポーション瓶に移したほうが効率はいいはずだ。
製法にはどの程度の時間、容器に入れておくのか記載されていない。そこで容器で長時間寝かせてみることも試みたが寝かせる時間が長くなるほど劣化が徐々に進んでいくだけだった。魔法薬は基本的に熟成されるようなことはないのだが基本通りの結果にしかならなかったというわけだ。
(これも無駄になってしまうのか・・・ )
大枚はたいて特注したミスリル容器を手に取って眺めながらぼうっとしているとふと以前にエルシィと交わした遣り取りが思い出される。
(確かおまるに似ているとか言っていたな )
ミスリル製の特注品で保存の魔法まで付与されている逸品だ。その値段をエルシィに伝えたら彼女は驚愕することになっただろう。それ程のものをおまると表現されたことに苦笑を禁じ得なかった。
(ハハッ… このまま無駄になるならおまるとして使った方がまだ有意義か… )
苦笑から自嘲気味な考えに至ったその時だった。
(ん? おまる……? )
アルベルトの脳裏に何か閃きにも似た引っかかりが生じる。
次の瞬間、何かに弾かれたようにポーション大全を引き寄せると勢いよくページをめくっていく。めくっていく場所はエリクサーの製法が記載されている場所とは離れている。初級ポーションについて記載されている項目だ。
素早く動いていた手が止まる。
アルベルトの視線は一点に注がれている。
そこはページの一番下、余白の部分だったが何やら短い一文が荒々しい筆遣いで書かれていた。アルベルトはその一文を何度も読み直す。
そこにはこう書かれていた。
―エリクサーは尻から出る
その意味を頭の中で反芻すると一つの結論に至る。
◇ ◇ ◇ ◇
「さて、やるとしようか 」
新たに発注した木製の台座にミスリル製容器を設置するとアルベルトはいよいよ自ら出した結論が正しいのか間違っているのかを試す時間に挑まんとする。
ここ数ヶ月何度となく繰り返してきたエリクサーの製法を手際よく熟していく。いつもであればミスリル容器に移す最後の行程の段階になって止めておく。
大量に出来た原液を前にして緊張からゴクリとつばを飲み込む。これからこの量を飲み干すと思うと躊躇がある。
ほぼ完成された魔法薬でしかない。これだけの量を飲み込んだとしても健康に影響はないはずだが1リットル程にもなる量には尻込みせざるを得ない。
(やると決めたはずだ… やるんだ… )
覚悟を決めると容器に口をつけて一気に飲み下していく。抽出して高度に精製された薬液は無味に近いがそれでも薬草の青臭さは残っている。鼻に抜ける不快なにおいを堪えつつゴクリゴクリと喉を鳴らす。
職業柄、薬液のにおいには慣れている。それに、顧客が自分の作ったポーションを飲むときも少なからずこういった感覚を味わっているはずだ。制作者がそんな弱音を吐くのは格好がつかない。
錬金術師としての意地で飲み続けていくが胃が苦しくなってくる。だが、途中でやめるわけにはいかない。これを最後にするつもりで始めたことだ。中途半端では終われない。
息苦しさと膨満感に耐えつつ永遠のような時間に耐えていると容器の底が見えてくる。少なくなった残りをラストスパートでズズっと音を立てて口の中に吸い込むとゴクリと飲み下す。
これで一つの関門を通り過ぎることが出来た。
アルベルトの予想ではこのまま待っていれば体に何らかの反応が起きるはずであった。椅子に座り静かにその時を待つ。
コチコチと規則的な音を立てる時計の音を聞きながら不安に耐えていく。どんな反応が起きるのかも不安だが何も起こらずに失敗に終わるのも不安だ。じりじりと過ぎていく時間にさいなまれながら耐える。
そうして一時間ほどが経ったときだった。唐突に肉体に異変が起きる。
「ぐっ… はっ、腹が… 」
………Guぎゅるギュるぅぎゅルlulるルllu………
腹を割くような痛みに襲われ思わず声が出る。同時に静かな部屋に腸の蠕動音が鳴り響く。それから数十秒も経たないうちに猛烈な便意が襲ってくる。
経験上、直ぐに出す訳にはいかなかった。腸内で何らかの反応が起きているとするならば反応が完了するまで我慢しなければならない。
(耐えろ… 耐えるんだ… )
腹痛と便意に耐えていると頭がクラクラしてめまいに襲われる。額にはびっしりと玉のような汗が浮かぶ。
(そろそろいいだろう… )
特注した木製の台座の前にいくと後ろを向いてズボンを下着と一緒に下ろし腰掛ける。腹の痛み具合から言って直ぐに出ると思っていた。しかし・・・
(出ない… だと… )
何故か出そうとしても出なかった。栓でも詰まっているかのようにピクリとも反応しない。それに反するように腹痛は増していく。
(だっ… 大丈夫なのか…? )
アルベルトに焦りと恐怖が生まれる。このまま出なければ自分は死ぬのではないかという考えが頭をよぎる。この先どうなるか見当もつかなかった。
台座に座ったまま痛みと恐怖に嘖まれていた。苦悶の表情を浮かべ歯を食いしばっていると不意に事態が急変する。
「えっ・・・ 」
驚きが言葉に出る。あれだけ猛威を振るっていた腹痛と便意が嘘のように消え失せる。
何が起こったのかと自分の腹部をのぞき込んでアルベルトは絶句した。腹が光っているのだ。腸管から肉体を通して魔力光が透過してきているらしい。
次の瞬間、堰を切ったようにあふれ出した。アルベルトの意思などお構いなしに流れてミスリル容器の中に溜まっていく。
それは直ぐにおさまり容器からまばゆいばかりの光があふれている。その光にしばらく見とれていたが我に返るとすぐに次の作業に移る。
台座から立ち上がると素早くズボンをはき直し液体の入ったミスリル容器を液がこぼれないように慎重に取り外す。
容器の中の液体は光を放っている。その光はまばゆいばかりに輝いているようでいて、しかし、不思議とまぶしさは感じなかった。虹色に揺らめく優しい光が柔らかく辺りを照らしている。
光の美しさに見蕩れそうになるがやるべきことを思い出して保存用のポーション瓶に注いで小分けにしていく。ミスリル容器に保存の魔法はかかっているが完全に劣化が防げるものではない。作業は早ければ速いほど良い。
25ミリリットルの容器に四本が完成する。1リットルの原液に対して100ミリリットルほど、10%程度の歩留まりであるがこれがもし本物のエリクサーであるならばおつりが来るどころの話ではない。
保存用のポーション瓶の中に納まってなお外部に魔力光をほんのりと放つ液体はエリクサーで間違いないように思う。しかし、確認作業は必要だ。
ミスリル容器にわずかに残った液体をスポイトで集めると検査装置にかける。
(すごいな…… )
装置が示す値は最も一般的なC級ポーションの300倍以上の魔力量だ。S級ポーションと比較しても10倍を超えるだろう。
だが数字だけではエリクサーであることの証明にはならない。本物のエリクサーと比較をすることが確実だがもちろんそんなことは出来ない。このままではただただ破格の性能をもつポーションでしかない。
エリクサーと認められた物だけがエリクサーである。ブランドを確立しなければ価値を示すことが出来ない。
(実績を示さなければならないな… )
ポーション瓶を握りしめてじっと見つめる。これがエリクサーと認められれば富も名声も思うがままだ。仄かに煌めくポーションの光を反射してアルベルトの瞳が怪しく光る。一介の錬金術師でしかない男の心に野心のようなものが生まれる。
改めてポーション瓶を宙に透かして見てみるがそこに固形物のような物は見られない。一切の濁りを見せない完全なる清浄に自分から出てきた物であるとは思えなかった。
そこではたと気付く。
(これを口から飲むのか・・・・・・ )
そこでアルベルトの思考は停止した。何故か熱病にうなされる死んだ両親の顔が脳裏に浮かび胸が締め付けられる思いになった。
◇ ◇ ◇ ◇
「すみませんが、店主殿はおられますか? 急ぎのようなのですが、、、」
「はっはい、こちらにいます。少々お待ちください。直ぐに呼んできますね 」
エリクサーが完成した翌日、アルベルトの店を身なりのいい老紳士が訪ねてきた。特別に礼節を身につけてきたわけではないエルシィにも老紳士が取るひとつひとつの所作にただならないものを感じて緊張する。おそらくは格の高い家に仕える執事のような身分だろう。
急いで地下にある錬金室に行くと扉をノックしてアルベルトを呼び出す。話を聞きその老紳士に直ぐに会うと決めて店頭に向かっていく。
その間、エルシィから聞いた話を反芻して疑問に感じたことをまとめる。
(高貴な家の人、おそらく執事か… どういう用件なんだろうか? 普通だったら御用商人なんかが用立てるはずだ。直接家人が薬品を買いに来るものなんだろうか? )
違和感を生じさせる部分もあり、きな臭さを感じつつもとりあえずは直接話を聞こうと決めるとカウンターにいる老紳士を前にして話しかける。
「お待たせしました。私が店主のアルベルトです。ご用件はなんでしょうか? 」
「おお、あなたが…… 失礼を承知の上で申し上げさせて頂きますが何も聞かず私についてきて頂けますでしょうか? 謝礼は十分に支払わせて頂きます。外に車を用意してありますので… 」
それを聞いてアルベルトは相当な大事に巻き込まれつつあると思った。こちらが名乗りを上げたのに相手は名乗り返さない。相手から感じる家格から言えばあり得ない対応だがそれが事態の大きさを表している。
荷が重いことかも知れないが錬金薬店にこのような思い詰めた雰囲気で来るのは誰かの命に関わるようなことなのだろう。そう見積もると自分に出来る最善を尽くさなければという使命感のようなものが湧いてくる。
だが、このまま何も聞かずについていくのでは十分なことが出来ない。まずは少しでも話を聞くことが必要だ。
「わかりました。しかし、何も情報がないではやれることもできません。少し話を伺ってもよろしいでしょうか? 」
「、、、そうですね。わかりました。ですが、、、」
エルシィにチラッと視線をやると困った顔をする。どうやら本当に極秘にしたいことのようだ。少しの情報も部外者に知られたくないらしい。そう悟るとアルベルトは提案を行う。
「二階に行きましょう。狭い場所ですがここよりも話しやすいかと思います 」
「ええ、ではお願いします 」
二階にある、アルベルトの居室に行く。カーテンは開いていて明るさは十分にあったのだが老紳士の要望で電気をつけてカーテンを閉める。そこでようやく話を少しだけ聞くことが出来た。
「私の名はハインスと申します。実を申し上げますと・・・ 」
ハインスと名乗った老紳士は訥々と語り始める。
なんでも、やんごとなきお方が不治の病に苦しんでいるという。高熱と低体温を繰り返しながら衰弱をしていく症状を見せているそうだ。このままだとそう遠くないうちに命を落とすことになると主治医は見積もっているらしい。
それを聞いてアルベルトは呪病だろうと推測した。
呪病というのは原因不明で起きる魔力障害による病のことをいう。症状は多岐にわたるが共通して他者に感染しないことと完治が難しいことが挙げられる。
死ぬような症状を見せないこともあるが体力を奪うような症状があるならば衰弱して確実に死に至る。
魔法薬の投与によって症状を緩和できる場合もあり投与し続ければ余命を伸ばすことも運が良ければ普通の生活を送ることも出来るがそれは金銭に余裕があるものだけである。
アルベルトの両親も呪病によって命を落とすことになった。話を聞く限りでは同じ症状のように思えた。幼き頃の苦い記憶が蘇る。
(これは運命なのかも知れないな… )
未証明ではあるがエリクサーの精製に成功したその翌日にこのような話が舞い込んできたことに偶然では考えられないような因縁めいたものを感じていた。
聞けばハインスがこの店に来たのは自分が調合した魔法薬が症状の緩和に一番効果があったからだという。それでも余命を幾ばくか伸ばすことが出来るだけだったが一縷の望みをかけてアルベルトに相談してみることになったというのが実情だった。
自分の技術を認められ求められればやる気にもなる。そして、それが両親の命を奪った呪病ともなれば義憤にも似た使命感が芽生えてくる。
要請に対して快諾すると準備のために少しばかり時間をもらう。急いで地下の錬金部屋にいくと鞄を用意してストックの解熱ポーションを含めて役立ちそうなものを詰め込んでいく。
最後に光を放ち出番を主張しているかのようなエリクサーの瓶を前にする。
(これを使うのか・・・ )
エリクサーを使うことに運命を感じていたが製法が製法だけに使用することにためらいが生じる。
だが、効果を証明する絶好の機会でもある。位の高い家の人間を救うことが出来ればこの上ない宣伝効果をもたらすことになる。上流階級に太いパイプができれば錬金術師として更なる飛躍をすることができるだろう。
使命感と功名心。その二つがアルベルトを突き動かした。エリクサーの瓶を掴み鞄に入れる。もう前進するしかないと心に決めた。
準備が整うとハインスの案内で店から少し離れた場所に駐めてあるという自動車に向かう。その間、ハインスは誰かにつけられていないか周囲を確認したり道を迂回したりする。余程情報を漏らしたくないようだ。
用意されていた自動車は当然のように高級車であった。その威容を見てアルベルトは少なからず驚愕することになる。艶のある黒に塗装された外装は金色のドアモールに縁取られ、太陽の光を受けて輝いている。
生半可なものではないと予想をしていたが最新式の魔動車、それも高級仕様の物を見て子供のように興奮を覚えてしまった。
ドアを開けるハインスに促されて後部座席に腰と背中を落ち着けるとその座り心地の良さにまた驚かされる。その驚きから冷めないうちにいつの間にか隣に着席したハインツの指示により車は発進していた。
走行中、車内はとても静かだった。車の性能もあるが運転手もハインスも一言もしゃべろうとしない。余計なことは何もしゃべらないように指示を受けているのだろうか?
話しかければ応えてくれるのかも知れないが何も聞く気にはならなかった。とてもそのような雰囲気ではない。
大人しくして車が目的地に到着することを待つことにする。しばらくすると街にある高級住宅地に入っていく。
ここまではアルベルトも予想出来ていたのだが、車は進んでいき一際大きな豪邸の前に止まる。おそらく魔動装置で稼働するようになっているのであろう門が自動的に開くと敷地内にゆっくりと入っていく。
(まさか、、、領主の邸宅なのか )
この街を実質的に支配しているハイブラム伯爵が住まう宮殿のような建物が間近に見える。話ぐらいには聞いていたがアルベルトの身分では到底縁のない場所だった。
正面玄関の前に側面を向けて止まるとハインスが先に降りて車のドアの横に立ち、指を揃えた手を玄関の方に向けて移動を促してくる。それと呼応するかのように屋敷の中からメイド達が出てくると扉を開けたままにして中に入ってくるように誘導する。
車から見える部分だけでも調度品や建築の豪華さは覗える。威厳の前に身がすくむ思いがした。このまま帰りたいような気分にもなったがここまで来て帰るなどという選択肢は当然与えられない。
意を決して車の中から這い出すようにして両足を石造りの床に立たせると屋敷の中に歩を進める。敷居をまたぐ瞬間にもっといい服を用意出来ていればと思ったが後の祭りだ。
決してアルベルトの収入は少なくはないのだがそのほとんどは研究に消えていく。今着ている服は別に見窄らしいと言うほどではないのだが場所が場所なだけに比較してしまう。
なんとなく居たたまれない気分になって玄関ホールに佇んでいると屋敷の中に入ってきたハインスの案内によって屋敷の中を進んでいく。
階段を上り二階の廊下を進んでいくと奥まったところにある部屋の前に来る。ハインスがその扉をノックすると直ぐに中から扉が少しだけ開けられる。その隙間からメイドが顔を出すとハインスである事を確認してから扉を開けて二人を中に通す。
「旦那様、アルベルト様をお連れいたしました 」
中に入ったハインスはまず最初に彼の主人に声をかける。繊細な金髪を後ろになでつけた、すらりと背の高い男性がキビキビした足取りで二人に近づいてくる。
「ご苦労。そちらがアルベルトさんだね 」
落ち着いた声のトーンの様にも思えるが、どこか焦りと疲労を含んでいるようにも思えた。非常に若く見える男性で意外な気もしたがこの人物がリールベルト伯爵なのだろうとアルベルトは考えた。
いつもの自分であれば貴族を前にして心中穏やかでいられないはずだったが不思議と落ち着いていられた。それは目の前にいるのが患者の家族だったからだろう。
伯爵の後ろ、広い部屋の奥にはベッドが置かれ誰かが臥せっている。髪の長さから言っておそらく女性だろう。
その周りには三人の人物がいる。一人はドレスを着た女性でドレスのデザインと質から伯爵の妻だと推測される。もう一人は伯爵の面影を残す少年でありおそらくは子息だろう。最後の一人は女性で着用している衣服から医師であると思われる。
いずれも顔色は優れない。部屋の中の雰囲気もどことなく暗く緊張感が漂う。
伯爵に視線を戻すと無理に表情を作っている様にも感じた。よく見れば疲労がにじんでいることがわかる。
自分に期待をかけていてそこに縋ろうとしているのだろう。そこまで追い詰められていることが覗えた。かつての自分もそうだったからわかる。錬金術に縋っていたのだ。だからそこに打ち込んだ。
何とかしなければならない。そう思い覚悟を決める。
「こちらへどうぞ 」
ハインスと手短に遣り取りを終えた伯爵の招きで患者のそばまで来る。近くで見るとまだ年端もいかない少女であるとわかった。熱にうなされて苦しそうだ。呼吸も荒い。
大量に汗をかいているがそれを伯爵夫人がぬぐう。夫人の顔色は優れない。おそらく眠れていないのだろう。
医学の心得が十分にあるわけではないがアルベルトの眼にももうさほど長くはないように映った。この場の重苦しい雰囲気がその考えに現実味を与える。
「アルベルト様、こちらがお嬢様の主治医を務めていらっしゃいますマリー先生です 」
主に代わってハインスが紹介をしてくれる。患者の家族ほどではないがこちらも疲労が見られる。
「あなたがアルベルトさんですね。医師のマリーです。あなたが精製された魔法薬が一番高い効果を発揮したのです
それで何かもっと活かせるような知見をお持ちでないかとこうして呼び出しをさせて頂きました。どうか力をお貸し頂けないでしょうか? 」
「私に出来ることならば喜んで… 」
アルベルトは一度視線を患者に向けた後、マリーに向き直ると患者について聞いてみることにした。
「患者の容態は今、どのような感じなのですか? 具体的な症状は? 」
「リナリスお嬢様ですが一月程前に微熱の症状が現れ始めました。その時は大した病状でもなかったので安静にさせるだけでしたが直ぐに熱は引いて回復したようにみえました
そこから発熱と平熱を繰り返していき、だんだんと高熱になっていったんです。その内、平熱が下がっていき衰弱が見られるようになりました
その手前ぐらいの段階で呪病であると診断をして魔法薬を用いた治療を行うようになったんですが症状の緩和は見込めるものの根治にはほど遠く徐々に効果が薄くなっていきました。
このことから根源の部分に大きな障害が発生していると考えています。相当に強力な魔法薬でなければ根治は難しいと思います 」
この世のありとあらゆるものは存在するために必要な根源というものが存在していると考えられている。呪病はその根源の形が変化して起きる。根源を完全に修復しなければ完治をすることはない。
「今は症状を抑えることは出来ているのですか? 」
「アルベルトさんが作ったC級解熱ポーションを定期的に飲ませることで症状の緩和をさせることが出来ていますが食事を取ることが難しくなっています 」
(栄養を取れていないのか、、、それはまずいな )
それでは呪病で亡くなる前に栄養不良で亡くなってしまうだろうと考える。
解熱ポーションはC級までの魔力量のものしか作成出来ない。B級以上になると人体に悪影響がでるからだ。根治をする必要があるが今のままでは不可能だ。
この呪病を治療するには強力な魔法薬が必要になる。それも呪病の性質にあわせたものが必要になるが性質を合わせた上で含有魔力量を引き上げるのはそう簡単な話ではない。
その点で言うとエリクサーはあらゆる性質を無視して超回復をさせる究極の治療薬と言える。外傷にすら効果を発揮して即死さえしなければ完治可能とすら評価されている。
今の状況はアルベルトにとってエリクサーの効果を試す絶好の機会だ。まるでそのために用意された舞台のようにも感じられて使命感に燃える部分もある反面、恐怖も感じる。
早く試してみたいという気持ちを抑えつつ、慎重にことを運ぼうと質問をして状況を確認していく。
◇ ◇ ◇ ◇
「マリー先生の見立て、ですが、、、リナリス様の容態はあとどのぐらいもつと考えていらっしゃいますか? 」
患者の家族の前でこれを聴くのは憚られたが踏ん切りをつけるためにも必要なことだった。他人で効果を試すことになる以上、そうする以外に道はないという大義名分が欲しかったのだ。外堀は丹念に埋めておきたい。
「、、、そうですね、、、あと二、三日は持たせることが出来るかと思います。それ以上はわかりません 」
アルベルトの覚悟を感じ取ったのだろうかマリーはためらいながらも自分の見立てを正直に言葉にする。あるいは別の何か、自信のようなものを感じたからなのかも知れない。
もうあとがあまりない事を確認するとアルベルトはいよいよ決断を下すことになる。
「そうですか…… では直ぐにこれを使用しましょう 」
鞄の中から精製エリクサーを取りだして光にかざす。陽光が差す部屋の中にあってもその煌めきは衰えることを知らない。
(こんなにも早く試すことになるんだな… )
光を放つエリクサーを見つめながら運命を噛みしめていると伯爵が驚愕に満ちた声を上げる。本物のエリクサーを見たことがあるようだ。
「ア、アルベルトさんっ、、それはまさかエリクサーなのでは・・・ 」
「そうです 」
伯爵の指摘にはっきりと答える。確認は出来ていないがもう引き下がれないところまで来た。信じるより他はない。
「やはりっ! それがあれば娘は助かるのですねっ! 」
アルベルトの答えに伯爵は疲労も吹き飛んで喜悦を浮かべる。効果を知っている伯爵からすればここにエリクサーがあると言うことは娘の呪病が完治することと同義だ。
「あなた… もしもエリクサーなら十分な謝礼をお支払いすることが難しいのでなくて……? 」
夫人もその価値を知っているようだ。娘が助かることに伯爵同様喜んで笑みを浮かべていたが次の瞬間に表情は曇る。対価を払えるのかどうか不安になったようだ。
エリクサーは最低でも2億はする。それも王族などが払い下げをする場合の価格だ。
魔法薬にも一応使用期限が決められていて新しくエリクサーを手に入れた場合に古い物を臣下に有償で譲り渡すことがある。その時は入札制ではなく指名制で取引が行われるのでその程度の価格に納まるのだ。
通常、ダンジョンでエリクサーが発見された場合は競売にかけられる。その時は一国のみならず周辺の国々から王侯貴族や富豪が参加するので当然のように値段が跳ね上がっていく。
あれば自分や家族の命が助かるのだ。そして、金で命を買うことは出来ない。金があるならばなんとしてでも所有したくなるのが人情というものだろう。
競売での最終的な価格は10億を下回ることはないだろう。その価格は裕福な領地を治めている伯爵家でも簡単に用意出来る金額ではない。夫人の懸念はもっともなものであった。
伯爵も娘の命が助かるならばいくらでも積む覚悟であったが、妻の懸念に冷静さを取り戻すとおそるおそる訪ねる。
「アルベルトさん… それはおいくらぐらいするものなのでしょうか? 」
「事前に提示された金額でかまいません 」
ハインスから聞いていた報酬で問題ないと答える。
エリクサーの対価としてはまったく釣り合わない。しかし、まだエリクサーとしての価値を示したわけでもない。それに《《製造工程》》のことを考えると自分から価格をつり上げていくなどと言うことはアルベルトには出来なかった。
「し、しかし、それではあまりにも安すぎる 」
事もなげに言うアルベルトを伯爵は信じ切れなかったようで質問を重ねる。
アルベルトはどう答えたものか困ってしまった。このままの値段を頑なに維持しようとすれば反って怪しまれるかも知れない。かと言って要求は出せない。
考えた末にもっともらしい崇高な能書きを並べ立てることにした。
「命に値段はつけられません。私は提示された金額がどうであれ死に瀕している患者がいるならば… この薬を必要としている人がいるならば使うことにしたでしょう。錬金術師の使命というものです 」
その言葉を聞いた伯爵は感動して涙をこぼす。部屋にいる他の人々もメイドに至るまで感じ入っていた。それを好機と捉えてたたみ掛ける。
「では、早くリナリスお嬢様に投与することにいたしましょう。なるべく早く苦しみから救ってあげるべきです 」
「そっ、そうですねっ… よろしくお願いします 」
伯爵の了解が得られると早速、投薬手順に取りかかる。主治医であるマリーに患者の最大魔力量を確認すると必要量を算出して投薬用の容器に移し替える。
そのまま一瓶を与えても良かったがエリクサーの効果を確認するには正確に計量をした方が良い。節約すればその分多くの人々に使えるという狙いもある。
計量も終わりいざ投薬しようと薬の入った容器を熱にうなされながらベッドに横たわる少女の口に近づけていく。
容器の端がやや色あせた唇に触れようとした時だった。急にアルベルトの心の中に罪悪感が芽生えてくる。
(このまま飲ませてしまっていいんだろうか? )
そう思うと手が動かなくなってしまう。それを見た伯爵が問題が起きたのかとおそるおそる尋ねてくる。
「どうしました? 」
このままではまずいと思ったアルベルトは機転を利かせてマリーに託すことを思いつく。
「ここは主治医であるマリー先生に任せるべきでしたね。後をお任せしてよろしいでしょうか 」
「はい、もちろんです 」
錬金術師は基本的に製薬するだけだ。薬を飲ませるのはどちらかと言えば医師の領分であり不自然なことではない。エリクサーの存在に圧倒されて医師のマリーでさえそのことを忘れていた。
(流石です… アルベルトさん )
この場でそこに思い至って役割をゆずるアルベルトをマリーは心の中で高く評価する。周囲にいる人々も同じように高い評価を与えたことだろう。
家族や家人に見守られながらマリーはエリクサーを飲ませていく。誰もが固唾を呑んでその瞬間を見つめる中、アルベルトだけは人の輪からやや外れた一番後ろで目を逸らしていた。
(すまない… すまない… )
何故か謝罪の言葉が頭の中で繰り返される。まともに見ることができたのは投薬が終わってからだった。
直視しづらいが効果を確認するためにもその目で見なくてはならない。意を決して患者を見る。それが責任を全うすることの様にも思えた。
投薬後しばらくすると患者の体が淡い光に包み込まれる。徐々に光が強くなり輪郭を残して消えるほどになる。その後、光が納まっていき顔かたちがはっきり確認出来るようになった。
荒かった呼吸は楽になったようだ。安らかな寝息になっている。発熱は治まったようで額に浮かんでいた玉のような汗はすっかり引いていた。血色も良くなりふっくらとした唇は本来の色であろう瑞々しい赤色に見える。
見た目には劇的な回復を示しているようだ。
マリーが体温や魔力などを測定して状態を確認する。それにより完全に呪病から回復したと診断された。明日の朝には意識を取り戻すだろうとのことだ。
「アルベルト先生っ! ありがとうございますっ! 」
伯爵はマリーの診断を聞くと感極まって涙を流しアルベルトに心からの感謝を告げる。貴族として感情を露わにするのは失格と言えるだろう。伯爵としてではない父親としての顔を見せていた。
◇
その日の伯爵邸の夕食は普段より豪勢なものだった。娘が病気から回復したことを祝うためのものでもあるが、主な目的はアルベルトをもてなすことだ。
アルベルトは断りを入れようかと思ったのだが是非にと請う伯爵の勢いに押され、夕食を共にしてからそのまま泊まることとなった。翌朝は自動車で店まで送迎してもらう。
店番のエルシィにはアルベルトの帰宅を待つことなく店を閉めて帰るように使いを遣ってもらっている。もう家に帰っていることだろう。
滞りなくことが進んでアルベルトも一息ついていた。罪悪感も含んだ奇妙な緊張から解放されて今は食べたことがないような色とりどりの料理を前にして素直に楽しんでいる。
いつも以上に食が進んでいた。伯爵の勧められることもあるが、あまりの美味しさについつい食べ過ぎてしまう。
(しまったな… なんだか腹が痛くなってきた… )
腹部に感じる重しに嫌な予感を感じたアルベルトはここで引いておくことにする。ベッドで横になれば少しは楽になるだろう。割り当てられた客室に戻るため伯爵に声をかける。
「すいませんが私はもう食事を終えようと思います。あまりに美味しかったので少々食べ過ぎてしまったみたいで… 」
恩人の食べっぷりは確認していたので然もありなんと伯爵は気を良くする。概ね満足してもらえたと内心ホッとしながら笑顔で申し出に応える。
「それはいけませんね。ぜひ当家のベッドでお休みください。きっと寝心地に満足頂けると思います、、、ああそうだ、胃薬などはいかがですか? 」
「お心遣い感謝いたします。ですが薬に関しては私は専門家ですから・・・ 自分の薬は用意してありますので 」
「はははっ! それもそうでしたねっ! 私としたことがとんだ失礼を・・・ 魚に泳ぎを教えるというものだ。ごゆっくりお休みください 」
かなり酔っているようでいつもより饒舌になっている。それを見た家族も家人は驚きつつも温かい気持ちになっている。
そんな心地よい食卓を後にしてベッドを目指し広い邸宅の中を進む。鈍痛は重さを増していっている。
客室に辿り着くと転がり込むように入った。伯爵家が用意してくれた寝間着に着替えようと直ぐに服を脱いでいく。脱ぐと締め付けがなくなったからなのか痛みが和らいだ気がした。
すべすべした手触りのシルク製の寝間着に着替えると、ひとまずはベッドに横になって楽な姿勢をとる。高級ベッドが体全体を適度な反発力で押し返してくれる。心地よい感覚に軽い眠気が襲ってきて腹痛も徐々に治まっていくように感じた。
ただの食べ過ぎだ。このままでも直に完全になくなるだろう。そう思っていた。
だが、突然―
―……Gぎゅるrrrぅ…ギュGルrrr……
猛烈な腹痛がアルベルトを襲う。
#
食卓では伯爵とその家族が締めのデザートを食べているところだった。
伯爵は甘味をフォークでつつきながらもワイングラスに注がれた白ワインに口をつける。
「あなた、少し飲み過ぎですよ 」
「そうかな? ああ、でもそうだね… 浮かれすぎてしまったかも知れない。これで最後にしておくよ 」
妻に窘められて素直に聞ける程には理性が残っていた。酔っていても流石は伯爵と言ったところだ。そんな時にハインスが更なる朗報を持ち込んでくる。
「旦那様っ、お嬢様が目を覚まされましたっ 」
「本当か! 直ぐに行く!」
#
異様な腹痛に襲われているアルベルトだったがこの感覚には心当たりがあった。
(これは… エリクサーだ… )
今頃になって精製反応が襲ってきていることに疑問を感じつつも思いのほか歩留まりがいいのかもしれないことに期待感もある。しかしながら今この場で出してしまうことに危機感がある。なんとか回収しなければ無駄になってしまう。
回収する準備をしなければならない。だが、強烈な腹痛により動きは鈍い。額からは脂汗が浮き出てくる。
それでも起き上がってミスリル容器に変わる何かを部屋の中から見つけようとする。
机の足元のゴミ箱が目に留まった。
たどたどしい足取りで近づき手に取る。ちり一つないぐらいに綺麗に清掃されていた。木製だったが作りはしっかりしていて水漏れはしなさそうだ。保存の魔法はかけられていないが素早くポーション瓶に移し替えれば十分劣化は防げるだろう。
受け止める容器に目処が立つと採取準備を開始する。
#
意識を取り戻して起き上がる娘を見て伯爵は涙を流していた。リナリスは完全に回復したようでとても血色が良い。呪病にかかる前よりも健康そうに見える。エリクサーの効能のすさまじさを物語っていた。
「リナリス… もういいのかい… 」
「お父様? どうしたんですか? みんなも…? 」
リナリスは自分が呪病による高熱にうなされていたことを覚えていない様子だった。その戸惑う仕草を見て伯爵は娘が帰ってきたことを確信して力強く抱きしめる。
「お父様… 痛いです… 」
「ああ、すまない。私としたことが… 」
わけがわからないリナリスはいつもと様子の違う父親の行動が理解出来ない。それを察して引き下がる伯爵だが胸いっぱいに広がる歓喜を抑えるには不十分であった。
「そうだっ! アルベルト先生に知らせないとっ! 」
喜びを分かち合う相手として降って湧いたようにアルベルトの存在が浮かび上がってきた。酒の力も手伝ったのだろう。興奮したように叫ぶと弾かれたように部屋のドアに向かって走り出した。
#
鞄を漁り空のポーション瓶を取りだして机の上に並べていく。幸い十分な本数の空瓶が入っていた。
何も入っていない綺麗なゴミ箱を念のためにアルコールで清拭して乾かすと作業に適した位置を定めてそこの床に置く。少しでも劣化を防ごうと灯りを最小限にしてデスクライトだけにする。
これで準備は整った。
#
「お待ちください! 旦那様っ! 」
ハインスの制止を振り切ってドアを開けて部屋の外に飛び出す。目指す場所はこの部屋と同じ2階にある客室。屋敷の反対側にある。そこにアルベルトがいる。
伯爵を静止しようと後ろをハインスが追いかける。大人二人が前後に並んで廊下を走って行く。
「旦那様っ! アルベルト様は今… 」
お休みになられています…そう続けようとして続きを言えなかった。転んでしまったからだ。普段走ることがないハインスには若き当主についていける運動能力がなかった。
顔を上げた先では主の後ろ姿が遠ざかっていく。小さくなっていく背中に向けて必死に静止の声を上げる。
「お待ちくださいっ! 」
#
(なんだか外が騒がしいな… )
気にはなったが気にしていられない。それどころではないのだ。
ゴミ箱を跨ぐと寝間着のズボンを下ろして尻との位置を外さないようにしっかりと合わせる。
あとは出すだけだ。腹部に力を入れて息む。だが、出ない。
しかし、それは想定済みだ。一度は経験している。相変わらずの苦しさではあるが落ち着いて対処していく。
深呼吸をして全身の力を抜いていく。発光を始めている腹部の状態に精神を集中していくと程なくして解放の予兆を感じる。
(出るぞっ! )
#
ドアの前に辿り着いたとき伯爵は肩で息をしていた。長い廊下ではあったが酒が入っていることが大きいだろう。若干頭がクラクラする。
そのままドアノブに手を掛けるとノックもせずにいきなりドアを開けようとする。顔には満面の笑みが浮かぶ。開けながら弾むような声で部屋の主に声をかける。
「アルベルト先生っ! 娘が……
部屋の中は七色の魔力光で満たされていた。
空気中の塵がその光を蓄えてから放射することによりいくつもの小さな光の玉がただよっている。
子供の頃に絵本で読んだ妖精の国の話。
想像の中で思い描いていた光景が蘇る。
美しい光景に涙が出てくる。
それは、幻想的で… まさしく異世界であった。
ただ一点を除いて
◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ… どうしてこうなってしまったんだろうな・・・ 」
錬金道具を梱包しながら思わず一人つぶやいた。
結果から言うとアルベルトはこの街から追放されるということになるのだろう。
『申し訳ないがこの街から出て行ってもらえないだろうか? 』
そう告げる伯爵のなんとも言えない表情を思い出すと胸が苦しくなる。怒りを抑えているようにも悲しんでいるようにも、心残りがあるようにも見えた。本当はこんなことを言いたくはなかったという感情があったように思われる。
アルベルトの方にも伯爵に対して申し訳なかったという気持ちが残る。
命が助かったのだから薬の出所などどうでもいいだろうという気持ちもないわけではない。命以上に大切なものなどないだろうとも。
しかし、貴族にとって体面はときに命以上の価値を持つものなのかも知れない。娘が変な薬品を飲まされたなどと噂が立っては今後の人生にも影響が及ぶ。下手をすると貴族としての未来はなくなってしまうのかも知れない。
そう考えると生きてさえればいいだろうなどと思うのは勝手な思い込みのようにも感じられる。
直すことしか、ひたすらに強力なポーションを精製する事しか頭になかった。
自分は浅はかだったのか?
このような事態になるまでそこに考えが及ばなかったことが悔やまれる。
更には伯爵の危惧は単に自分が秘密を漏らすことだけではないようにも思える。
もしこの街でずっと錬金薬店を営んでいた場合どうなるか?
リナリスが成長して大人になればいつか自分の命を救ったエリクサーについて疑問を持つことになるだろう。
錬金術について調べていけば直ぐに気付くはずだ。タイミング良くエリクサーが手に入るのは異常なことであると。奇跡を信じるのは子供までだ。
アルベルトが処方したのだとわかればここに来て聞いてくるだろう。自分があの時飲んだものは本当にエリクサーだったのか? もし本当だというならばどのようにして手に入れたのか?
もちろん答えなければ問題はない。秘密だと突っぱねればいい。本当のことを伝える義務などないのだ。アルベルトさえしっかりしていれば真実が漏れることはない。
しかし、それが出来なかったからこそ今このようなことになっているとも言える。自分がこの街を離れることは必須なことであると納得はしている。
時代が時代なら闇に葬られてもおかしくはない。それどころか報酬は約束の倍の金額が支払われていた。口止め料も含んでのことだろうがむこう十数年は金銭的に困ることはないだろう。
エルシィの再就職先も伯爵が世話をしてくれることになっている。得意先には少し申し訳ないがこの街に錬金薬店は自分のところ以外にも何軒もある。新しく開業する店も出てくるだろう。
あとの心配をするようなことは残っていない。この街を出てからどうするかが当面の問題だった。
考えながら荷物をまとめていき、エリクサー用に作った特注のおまるに手を着けようとした時、ふとポーション大全に書かれていた一説が頭の中をよぎった。
―エリクサーは尻から出る
稀代の錬金術師は何故関係ないページの余白にこの言葉を記したのだろうか? 無性に気になってくる。
思うにあれはオルセンティウスの心の叫びだったのではないかとアルベルトは半ば確信めいた思いを抱いた。
誰にも真実を伝えることができない。弟子にすら秘密にしなければならなかった重責と自分の知識を誰かに託したいという思いがあの言葉に込められていたのではないだろうか?
(調べてみようか… オルセンティウスについて )
かの錬金術師には不明な点も多い。功績は後の世でも語られているがあくまで錬金術師や関連する専門家の間に限られる。人物像に関しては錬金術師でも知る者は少なく知っていたとしても断片的なものばかりだ。
旅をしよう。オルセンティウスの軌跡をたどりながら各地を巡り彼について理解を深めていこうと決意をする。
その先に何か答えが見つかるような予感がしている。
幸いにして、伯爵からもらった報酬があれば当てのない旅でも金銭に困ることはないだろう。店を開きながらの巡礼の旅であれば錬金術師としての腕もさび付くこともない。
荷物の梱包をしながら最初に行くべき場所を考えていた。




