梅よ狂いて咲き誇れ ~ Bloody Plum
その屋敷には呪われた梅の木がある。
定期的に人間の血を捧げないと、呪いでこの土地の人間は全員死んでしまうらしい。
僕はそんなのは迷信だと思っていた。
でも見てしまった。星を見ようと木に登った時、偶然その屋敷で梅の木に縛られたまま無数の矢に貫かれて死んでいく娘の最期の瞬間を。そして流れる血を吸ったかのように紅く染まる梅の花を。僕は怖くなってすぐ逃げ帰った。道中、風のざわめきがまるで梅の木が笑っているように聞こえていた。
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あれから数年後、青年になった僕は何の因果かあの屋敷で使用人をする事になった。今日が初日だ。
僕は門の前に立って呼吸を整えると戸を叩く。すぐに使用人が出てきて案内してくれた。
「これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。まずは屋敷を見て回ると良い」
僕は対面した屋敷の主人に頭を下げる。主人は優しい雰囲気で僕を迎えてくれた。それから僕は屋敷の中を見て回った。その内に裏庭の見える縁側に着くと、そこにはあの梅の木が立っていた。木を見た途端、僕の頭にあの光景が蘇る。無数の矢に貫かれて事切れる娘の最期の瞬間が想起され、思わず膝を付いてしまった。
「大丈夫ですか!?」
遠くから少女の声が聞こえて駆け寄ってきた。僕は情けなくもその少女の助けを借りて立ち上がる。
「大丈夫です……ありがとうございます」
僕は礼を言って少女を見る。見るからに格の高い着物を身に着けているその姿から屋敷の娘だとすぐに気づいた。
「これは失礼しました。お嬢様に助けていただくなど使用人として……」
「気にしないでください。それと、私はそういった上下関係が好きではないんです」
僕はつい謝ってしまうが、少女の方はそうされるのを嫌っているようだった。僕はどうしたらよいのか分からず沈黙してしまう。
「では、私はどうしたら良いのでしょうか?」
僕はどうするべきか分からなかった。一方で彼女は少し考え込むように顎に手を当てている。
「……じゃあ、お嬢様じゃなくて、「華月」と呼んでください」
少女――華月はそう言って僕に笑いかけた。その笑顔はまるで綺麗に咲く花を見ているようで、僕の心はあっという間に彼女に奪われてしまった。
「分かりました……では華月様とお呼びします」
流石に呼び捨てはできないので妥協案で僕が承諾すると、華月は笑顔のまま僕の手を握ってきた。その手から伝わる熱は僕にはとても心地よく感じられた。
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それからの日々は忙しくも幸せだった。華月はよく隙を見て僕に会いに来てくれた。流石に堂々とは会えないので、夜に離れにの蔵で待ち合わせる事が殆どだった。華月はよく僕に屋敷の外の世界について聞きたがった。彼女は殆ど外に出ないので、僕が語る外の世界に憧れているようだった。
しかし、最近の華月はどことなく寂しさを纏っているように見える。
「ねぇ……もし暇を出したら、あなたはどうする?」
この日の夜も僕たちは蔵で話していたが、華月は急にそんな事を言ってきた。もう屋敷での生活に慣れてしまっていて、僕もすぐには答えられない。
「分かりません……実家に帰るとは思いますが。華月様だったらどうするんですか?」
僕は逆に華月が何をしたいのか聞いてみる。すると彼女が途端に悲しい表情になってしまい、僕も狼狽えてしまう。
「あ……すいません。変な事を聞いてしまったようで」
「いいの……私は、もう望むものが無いから」
華月は今にも泣きそうな声だった。身体も少し震えている。彼女は何かに怯えているようだった。僕は言葉ではなく、彼女をそっと引き寄せることで気持ちを伝えた。
「もうすぐ花が咲く……あの呪われた紅い花が」
華月は小さな声で語りだす。彼女の言葉で、僕が記憶の奥底に封印していた記憶が蘇る。
「あれは梅の木じゃない。太古の神が残した呪怨の木よ。封印から解き放たれれば、根を張った土地全ての生命を吸いつくしてしまう……でも、定期的に人の血を吸わせれば封印を維持できる」
そこまで聞いて僕は確信する。華月が怯えている理由、それは彼女がその木に捧げられるからだと。
僕は何も言えなかった。彼女ひとりの命と、この周辺にある多くの命……天秤に掛けるまでもない。頭では理解できたが納得はできない。こんな理不尽があってたまるものか。僕の心は段々とその理不尽の元凶であるあの木に対する怒りと憎しみで溢れていった。
「なんとかできないのか……」
僕はこの悪しき連鎖を断つ方法を考えようとする。しかし華月は僕の心情を察したのか、僕から離れていった。
「もうどうにもできない……もうすぐ父上が使用人たちに一時的な暇を出す。それが合図よ」
華月は背を向けながら蔵の扉を開ける。僕は彼女を引き留められなかった。
「ありがとう……私を「私」として見てくれて。私の望みはもう叶ったわ。悔いはない」
振り返った華月は、僕に今にも消えてしまいそうな笑みを向けるとそのまま出て行った。
僕はそこに立ち尽くす事しかできず、無力な自分に涙が出てしまった。
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数日後。
華月の言う通り、日ごろの労いと称して主人が暇を出してくれた。殆どの使用人が一時的に屋敷を離れていく中、僕は屋敷の周りをうろうろしていた。太古の神に対抗するなんて僕にはできない。ならせめて、彼女の最後を見届けたい。そう思った僕はあの光景を見た木に再び登る。そこからは屋敷の庭がよく見えて、何やら準備をしているのが分かった。
それから様子を見つつ二日待った。
夜に木を登ると、庭に人が集まっている。その時が来たと直感が告げていた。誰かが木に縛られている。華月なのは明らかだが、遠くからその表情は読めない。だけど彼女と目が合った気がした。
そう感じた時、僕は何も考えられなくなって身体は勝手に屋敷の方に駆け出していた。
自分が何をしているかなんて実感していない。ただ華月の姿を見たかった。屋敷の塀を勢いで乗り越え、裏庭へ突進する。そのままの勢いで僕は華月と彼女に矢を放とうとする者たちの間に割り込んだ。直後に放たれた矢は次々に僕と彼女を貫いていく。その痛みに意識が飛びそうだったが、そのまま僕は彼女に抱き着いた。
「華月様……共に参ります!!」
僕は血を吐きながら叫んだ。唐突な事で彼女も驚いていたが、やがて彼女の目は涙に溢れていく。
「ばか……本当に、ばか……」
動けない彼女は目だけを僕に合わせてくる。僕も彼女を見返した。互いに矢に射抜かれていて、身体が赤く染まっていく。
「ありがとう……本当に、もう悔いはない」
華月は最期に笑ってくれた。初めて見た時のような綺麗な笑顔で、彼女はそのまま逝ってしまった。
「私も……悔いはありません」
僕も同じだった。むしろ幸福にさえ感じた。そして僕も意識を手放した。
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それから何百年と過ぎた。
あの悪しき風習も時代の流れによって消滅し、その梅の木が何なのかを知る者はもう居ない。
しかしその地は平和で、人々は自由を謳歌している。
いつしかあの梅の木には、『紅い花が咲くこの木の前で愛を誓うと永遠に幸せになれる』という噂が流れていた。
噂の真偽は誰にも分からない。
ただ今年も、紅い梅の花は綺麗に咲き乱れている……。