見たら死ぬペンギン
動物研究員の天城は浮かれた気分で廊下を歩いていた。
この国際的な動物研究所で切望していたペンギンの研究室に異動できたからである。
幼い頃からの夢が現実となり、天城は深呼吸してから期待を胸に扉を開けた。
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「よく来てくれたね。君の論文は読んだよ、中々面白い意見だった」
天城を出迎えてくれたのは主任を務める及川博士だった。彼は動物研究者なら知らぬ者は居ないと言われる程の大物である。そんな彼から自分の論文を褒められて天城はますます嬉しくなった。
「ありがとうございます。私も主任みたいにもっと頑張りたいです!」
天城は元気よく答える。明るい表情の天城に及川もつい笑みを浮かべてしまう。
「元気が良いね。では君に担当して欲しい研究対象を見せるとしよう」
及川は天城に付いてくるよう促して奥へ進んでいく。しばらく歩くと、先ほどの研究室とは明らかに雰囲気の違う扉が現れた。及川はそのまま扉を開けて中へ入っていくので、天城も少し緊張しながら入っていった。
部屋には巨大なモニターと何かしらのコンソールが備え付けられていた。そしてそのモニターには1羽のペンギンの姿が映っていた。
「このペンギンは……」
天城はモニター越しにペンギンを観察するが、その姿は今まで見たことのない種類だった。
「これはね、『見たら死ぬペンギン』と呼ばれている」
「見たら……死ぬ?」
及川の言葉に天城は思わず聞き返してしまう。
「そうだ。カメラ越しなら問題ないが、肉眼で見たら即死してしまう。実際この個体の確保するだけで多くの犠牲が出た」
及川は淡々と説明するが、天城にはまだ信じられなかった。そんなオカルトみたいな力を持ったペンギンなんて存在するのかと、天城は疑心暗鬼だった。
「君にはこのペンギンを担当してもらう。今からコンソールの説明をするからよく聞いてくれ」
しかし及川は疑心暗鬼な天城を余所にコンソールからカメラの切り替えや給餌システム等を説明してくるので、天城は仕方なくそれをメモしていった。時々モニターのペンギンに目をやるが、どう見ても普通のペンギンなのにどこにそんな恐ろしい力を持っているのかと疑ってしまう。
結局、天城はまだまだ未知の世界が有るんだなと無理やり自分を納得させるしかなかった。
「説明は以上だ。報告書は毎週私に提出してくれ。ではこれから頼んだよ」
及川はそう言って部屋を出て行ってしまう。残された天城は仕方なく椅子に座ってモニター越しにペンギンの行動を観察することにした。
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見たら死ぬペンギンを担当してから2週間。天城はモニター越しにずっとペンギンを見続けていた。決まった時間に給餌ボタンを押して餌を出し、眠ったら電気を消し、起きたら電気を付ける。観察していると、ペンギンは何故かカメラの方を見ようとしていない事に気付いた。天城はそれも含めて行動をを記録して報告書を提出した。天城は最初は真剣に取り組んでいた。しかし何の変化も無いとなるとモチベーションは下がってしまう。次第にこの研究に意味があるのかと疑問を抱くようになった。
「……」
天城はモニターを眺める。画面の向こうではペンギンが何をするでもなく無機質な壁を眺めていた。きっとペンギンもあんな無機質な部屋に閉じ込められてつまらないだろうなどと考えていると、突然ペンギンが鳴き始めた。突然のことで天城は驚いたが、今まで鳴いたことが無かったので、彼女は初めてペンギンの声を聞いた。
ペンギンは鳴きながら壁にぶつかっている。まるでここから出してくれと訴えているようだった。そう思うと、天城の情が揺れ動いてしまう。
「ダメよ……」
天城はカメラの音声をミュートにしてモニターから目を逸らす。結局その日はまともに観察ができなかった。
次の日もペンギンは壁に向かって鳴いていた。外に出たいと懇願するように、ペンギンはずっと壁にぶつかっている。天城は及川にペンギンの異常を報告した。それを聞いた及川は少し険しい表情になる。
「一時的な衝動に駆られたんだろう。そのまま観察を続けて、治まったらまた報告してくれ」
及川はそれだけ言って歩き去ってしまった。明らかに態度がおかしいと感じた天城だったが、それ以上できることは無かったので止む無くペンギンの観察に戻ることにした。
結局この日もペンギンは鳴き続けた。天城は後ろめたい気持ちを抱えながらその日の業務を終えた。
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ペンギンが鳴き始めて4日目となった。
天城は暗い気分でいつものように餌を送り出す。しかしペンギンは餌に目もくれず壁に向かって鳴き続けた。音声は切っているが、天城の頭にはペンギン鳴き声が木霊していた。
ペンギンは出してくれと訴えているようにも、まるで何かから逃げようとしているようにも見える。
「私たちから逃げたいの……?」
天城はそんなことを呟きながらモニターを見る。確かにこんな環境なら逃げたくなるし、人間なんて見たくないだろう。そう思うとまた罪悪感が湧いてしまい、天城はまたモニターから目を逸らした。
それから天城は段々と不安に見舞われるようになった。このままでは観察なんてできない。こんなのは望んでいた研究じゃない。天城は次第に研究の無意味さを感じていた。ふとモニターを見ると、なんとペンギンがカメラを見つめていた。天城は初めてペンギンを真正面から観察する。肉眼じゃ無ければ死なないというのは本当らしく、天城はその見たら死ぬペンギンをじっと見つめた。ペンギンの小さな目がカメラ越しに天城に訴えてくる。
その目を見て天城はもう耐えられなかった。気付いたときには走り出していて、あのペンギンの飼育室に向かっていた。肉眼で見なければ死ぬことはない。だから直視しなければいい。それか扉を開けてやるだけでもいいだろう。そんな気持ちが天城に溢れていた。もう研究なんて知ったことではない。あのペンギンは自由でいるべきなんだと強く感じていた。
やがて天城は飼育室の扉の前に立つ。ここを開ければペンギンは自由だ。天城はもう迷わなかった。
天城がゆっくりと扉を開けた瞬間、ペンギンの小さな黒い瞳がまっすぐ天城を捉えた。天城は一瞬のうちに自分の死を予感してしまう。血の気が引き、心臓が跳ね上がり全身が硬直する。私は死ぬんだ。そう感じて目を閉じたが、天城の意識は飛んでいかなかった。
不思議に思って目を開けると、さっきまで立っていたペンギンが力なく倒れていた。
「え……?」
天城は何が起きたか分からなかった。倒れたペンギンが動く様子はない。まるで死んでしまったかのようだった。
その直後、異常を察知した及川が飛び込んできた。
「バカ! 言っただろう、見たら死ぬと!! これが最後の個体だったのに……」
震える声でそう言いながら膝をつく及川の言葉で天城はようやく理解した。見たら死ぬペンギンというのは、『ペンギンが人間を見たら死んでしまう』という事だったのだ。だからモニター越しでしか観察できなかったのだ。直視すると、ペンギンが死んでしまうから。
天城はとんでもないことをしてしまったとようやく気付き、その場に崩れ落ちた。
こうして、この世界からまた動物が絶滅してしまった。