83.キロヒ、丸投げ条約を締結
「キロヒ、ちょっと話がしたいんだけど……いい?」
夕食後、屋根裏部屋組がそれぞれ自室に帰ろうと立ち上がりかけた時、クロヤハが彼女を呼び止める。
「えっ、二人だけで残るの? どういうこと? そういうこと?」
カーニゼクが、交互に視線を投げながら、二人の関係について疑問を呈する。呈するついでに、謎の推測を押し付けようとしてくるのはやめてほしいとキロヒは思った。相変わらず思っただけである。
「休暇中に、うちの兄が少し世話になったから、その話をするだけだよ」
クロヤハはさらりと自分の家族を盾に、個人的な会話でありながらも、カーニゼクの考えるような話ではないことを匂わせる。
「では、先に戻っていますわね」
納得したのか皆は避難部屋を経由して帰って行く。あっという間に、食堂に二人だけになる。食堂そのものも、遅れて食事に来た生徒が二人ほど遠くに残っているだけ。
食事中は隣に座っていたクロヤハが、立ち上がって向かい側に座り直す。その方が話しやすいのだろう。
「兄の話は本当だけど、兄が世話になった話というのは嘘だよ」
そして、いきなりさっきの言葉の否定から始まる。キロヒは面食らった後、眉間にうっすらと影を落とした。何だか面倒臭そうな話の予感が生まれたからだ。
「キロヒ、君には謎の精霊が憑いている。そして、屋根裏部屋のスミウの一人であり、女生徒でもある……そして、利害に関しては冷静だし嗅覚も優れていると思っている。だから、この情報を君に共有しておきたい」
クロヤハの事実の陳列と奇妙な誉め言葉の前置きは、彼女を喜ばせることはない。この話を聞くのは避けたいという、キロヒの利害の嗅覚が訴えて続けている。
「……聞かないという選択肢はありますか?」
「あるよ。でも、確実に現時点で既にサーポクには関係しているし、スミウが特級に上霊すれば全員に関わって来る」
聞かなければ不利益を被るかもしれない話を、キロヒが拒否できるはずもない。クロヤハは「女生徒」という珍しい表現を使い、「スミウ」に限定した。特級の女子に関係している話だと、いやでも覚悟せざるを得なくなる。
そしてキロヒは──特級女子の卒業後の推測を、男子生徒により聞かされることとなった。
フキルが反抗し、ラエギーが受け入れたであろう、女性精霊士の現実を。
「……サーポクとニヂロが問題ですね」
「キロヒが冷静で……本当にほっとしてるよ」
少し肩の荷が下りたかのように、クロヤハがため息をつく。男の口からは、しにくい話だったのだろう。
キロヒには年上の姉がいるし、周囲に父の仕事関係の大人も多かった。聞きたくなくても聞こえてくる話は、いくらでもあるものだ。子供だから分からないだろうと語られる話も、数をこなせば少しずつ理解してしまうものである。
そしていま扱っている内容はスミウの話であり、他人事だから冷静に考えられるところがあった。自分事なら、いまごろ恐ろしい未来にガタガタ震えていたに違いない。
「ニヂロのことは、私ではどうにもできないと思うので、本人に聞かせて本人に判断させるのが一番かと思うんですが……拗らせるとフキルみたいになるかもしれないのが……問題ですね」
この話を聞いて、イミルルセのように隠して上霊を目指してくれるのが一番いい。だが反抗心が芽生える可能性もかなり高い。
キロヒ自身は特級を目指しているわけではない。「離」に懲りたというのもあるし、卒業後に人を率いて戦いたいわけではないからだ。
「僕もニヂロの反応が、どの方向に飛ぶのか分からないし恐れてもいるよ」
「そうですね……ニヂロが自棄になったら、屋根裏部屋が崩壊しますから。ただ、利害については彼女もしっかりと考える人ではあるので……隠した方が得であるということを、どうにか伝える方法を考えてみます……」
「……君に丸投げしてごめん」
ぼそりとクロヤハが言った言葉に「本当にそう」と言い返せない言葉を呑み込む。自分もクロヤハに丸投げしているところがあるからだ。
「その代わり、フキルのことは……クロヤハに丸投げします。平穏な学園生活のために頑張ってください」
だからキロヒは、それをきちんと言葉で告げた。お互い丸投げする事案がある。協力はするけれども、主体はそっちだということを明確にした。
「うん、フキルも『離』のことは知ってると思う……彼女が幻級になる前に僕が特級になって捕まえるよ」
苦い話は、こうして終わった。
「おかえりなさい、キロヒ」
「おかえりとよー」
避難部屋に入り、清潔室ですっきりしてから自室に戻ると、二人が出迎えてくれる。我知らず肩の力が抜ける。
ニヂロは机に向かって本を読んでいるようだ。
「ちょっと避難部屋で、ヌクミと語り合ってきますわ。寝る前には戻りますわね」
「分かりました。いってらっしゃい」
「いってらっしゃいとよ」
イミルルセは、さっそく上霊に必要な絆肉の強化を頑張るようだ。時期もヌクミにはぴったりだ。おそらくそう遠くなく、上級になれるだろう。
部屋に残されたサーポクは、亜霊域器の中の島を眺めてにこにこしている。その中のビニニの木が立派に育つのを楽しみにしているに違いない。
サーポクのことを守れるように何とか知恵を絞ろう。そうキロヒは考えている。既に隠しようのない特級精霊である。きっと手を尽くせば抜け道があるはずだ。
イミルルセは慎重に立ち回るだろうし、ニヂロは結局自分自身で決めて判断するだろう。その判断が悪い方に傾かないように、工夫して伝える方法を考ようとは思った。
「……ビニニが食べたくなったとよ」
そんなキロヒの心も知らず、サーポクは指輪から黄色い果物を一本取り出し、食べたい気持ちと我慢しようという気持ちで壮絶な戦いを繰り広げていたのだった。




