71.キロヒ、戻って来る
無事、イミルルセの母からの返事を受け取ったキロヒとクロヤハは協会に戻り、学園へ帰る亜霊域器の中に入った。
明日が出発ということで、ほとんどの生徒が戻ってきており、宿舎の周りは再会を喜ぶ少年少女で溢れている。
「離れたところに行こう」
クロヤハに呼ばれ、キロヒは宿舎から離れた位置に移動する。移動用の亜霊域器ではあるが、宿舎の周辺には小さな林もある。
「クルリをじっくり見せてくれる?」
「ど、どうぞ」
襟から出したクルリを両手に乗せて差し出すと、彼は眼鏡ごしの真剣な眼差しで見つめている。
「目の形が変わって、ちょっと手足が長く感じるけど、スミウやイヌカナでもない限り、人の中級精霊を観察することもないから、これならきっと分からないね」
感心したように呟く彼に、キロヒはほっとした。どうにかごまかせそうだ。
「その、内部の霊密を上げる方法、教えてもらえる?」
メガネの姿が顕れる。クロヤハの頭の上に。どうしてもそこがいいのだろう。
そして、彼はこう言うのだ。
「もし間に合うなら、僕も上霊を隠したい。見た目そのものは、さほど変わってないから」
「結構かかりましたよ。私が上手くできなかったんだと思うんですけど、二十日くらい頑張りました」
「上級精霊は姿を隠せるから、ごまかしがきくと思う。その前にバレたら、休暇後に上霊したことにするよ」
「お兄さん……とか、家族が知ってますよね? そこから知られたりしません?」
「……ちょっと手紙書いて送ってくる」
一時間ほど休憩となった。
「おかえりなさい、キロヒ」
「ただいま帰りました」
王都組の生徒は無事学園へと帰還した。授業が再開される三日前のことだった。
屋根裏部屋に戻ってきたキロヒを迎え入れてくれたのは、イミルルセだ。彼女の笑顔を見ると、帰って来たなあという実感を覚える。ニヂロは、休暇中に開放されている図書室にこもっているそうだ。サーポクたちの海組は、まだ帰って来ていないという。
「サーポク、大丈夫かしら」
「心配ですね」
ふぅと二人でため息をつく。乗り遅れていないといいのだけれど、と。
「あ、手紙は無事届けてきました。お金は使わなかったので返しますね。それと……返事です」
忘れないうちにと、キロヒは指輪から、預かった銅貨と白い封筒を取り出して差し出した。
「ま、まあ……まあ……」
イミルルセは大きく目を見開き、それから両手で幸せそうにそれらを受け取った。
「まあ、キロヒ。わざわざ届けてくださったの? 返事まで……何て素敵な人なのかしら」
あまりの喜びようと持ち上げように、キロヒは焦ってしまった。
「ク、クロヤハがっ、クロヤハが一緒についてきてくれたんです。道も教えてくれて、クロヤハは王都に家があるから詳しくてっ」
感謝されて照れすぎたキロヒは、自分一人の手柄でないことは必死にイミルルセに伝える。
「クロヤハにも感謝を伝えなければ、ですわね……キロヒ、本当にありがたく存じます。あなたのスミウであった幸運を、精霊とあなたに感謝しますわ」
事実を伝えたにも関わらず、目を潤ませて更なる感謝を伝えられ、キロヒは恥ずかしさに軽く煮えた。
「母は元気にしていました?」
「ええ、元気、そう? でした」
微妙な表現になってしまうのは、その姿のほとんどが隠されていたから。
「ふふ……驚いたでしょうね」
「いえ、良い人なのは見えなくても分かりましたし」
「そうね……それが一番いいのよね」
ふぅとイミルルセはため息をつく。長いまつげが揺らめいて、憂い顔さえも美しい。本人が望まなくても、こうしてその美しさを周囲に認知され目を奪われる。
「学園に来る前の、私の話を聞いたかしら?」
「……聞きました」
前髪で顔を隠し、アザを描いて周囲の目から美しさを隠し続けた彼女のことだろう。
「そう……」
イミルルセはキロヒに向かって、十一歳とは思えない、とびきり艶めいた笑みを向けた。同性であっても、心臓がばくばくと早鐘を打つ美しさだ。
「私は、母のように何もかも隠して生きていくことはできないと思いましたの。この顔とうまく付き合っていく方法を、ここで学ぼうと思いましたわ。学園にいる間はスミウもいてくれますし、誰かにいきなり攫われたりしないでしょう」
攫われることを前提に、自分の行動を考えなければならないのは、本当に難儀なことだ。
「て、手紙でよければ、私が持っていきます」
「私もキロヒの役に立てるよう、頑張りますわね」
キロヒにできることは多くはない。けれども、今回手紙の配達を無事終えることができたし、イミルルセの母とも面識が出来た。
この休暇中、キロヒは多くの新しいことに出会って、多くの新しいことを乗り越えてきた。得意ではないが、何回もやれば彼女も慣れることはできる。
女二人で笑顔で見つめ合っていたら、いきなりバタンと扉が開いた。
ニヂロのクローゼットの隣に、扉が出現していたのである。避難部屋を経由して、彼女が帰って来たのだ。
「あん? のろまブスじゃねぇか。戻ってたのかよ」
相変わらずのニヂロ節を浴びて、キロヒはもう一度戻って来たという実感を強く覚えたのだった。




