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7・キロヒ、日常担当になる

「おい、のろまブス。お前が田舎ブスの面倒見ろ」

 暖かく明るい屋根裏部屋。そこで行われている第一回スミウ(部屋姉妹)会議は、開幕一分で終了の危機を迎えていた。


 初めて使われた、部屋の中央の四人掛けの丸テーブル。テーブルの上には、デンっとサーポクの海亀(ザブン)が鎮座している。サーポクはその固い甲羅に上半身を預け、気持ちよさそうに目を開けたり閉じたりしていた。

 そんなサーポクの頭の上から投げつけられたニヂロの要求に、キロヒが「はい」と答えたら、それで本日の大きな議題である「サーポクの読み書き計算をどう教えていくか」が、表面上は解決する。会議終了、はい解散、となるわけだ。

 しかし、キロヒは即答しなかった。引き受ける引き受けないではなく、いきなり自分に強い言葉が浴びせられ、頭が真っ白になって硬直していたからである。

「それは対等なスミウの会議ではなくて、ただの押し付けではなくて?」

 そんなキロヒに代わって、イミルルセが言葉の盾で押し返す。

「あぁ? コイツは、のろまだけど勉強もできねぇワケじゃねぇだろ? これで馬鹿までついてたら、この学園には入れてねぇしな。ということは、勉強はできるのろまだってことだ。のろまなら、勉強が出来ねぇ奴に短気も起こさねぇだろ。何か間違ってんのか?」

「あなた……口は悪いですけれど、意外とちゃんと人を見てますのね」

「あん? ケンカなら売るぞ?」

「……せめて買う方に回ってくださいな」

 一気に畳みかけてきたニヂロに、呆れながらもイミルルセは少し感心した声をあげた。けなされているのか褒められているのか、利用しやすいと思われているのか分からないキロヒは、硬直は解けたものの戸惑ったまま二人のやりとりを見つめていた。

「ともあれ……ニヂロは、先生がおっしゃった“スミウ”の意味を千回くらい復唱なさって。『協力』はこの学園では強制でしてよ」

 この部屋にイミルルセがいたことは、キロヒにとって確実に幸運だった。下手すれば、ニヂロという強烈な存在に支配される圧政部屋になっていた可能性もあったのだから。

 激昂もせず、一歩も引かず、そして会話能力の高いイミルルセ相手には、ニヂロも攻略しきれていなかった。

「チッ……おい、田舎ブス、お前の話だぞ。死ぬ気で覚えろよ」

 女子にしては大きく長く痩せすぎた手。傷だらけで荒れ放題のその手で、ニヂロはザブンに懐いてのんびりしているサーポクの頭を掴んだ。ふわふわの黒髪の中に、その手が埋もれて見えなくなる。

「サーポクのこと? 分からんからサーポクと呼んでほしいとよ」

 ニヂロの手と亀の間で、頭をふにゃふにゃと動かしながら、のんびりした声で自分の呼び方を訂正するサーポク。

「うるせぇ、そういう要求は人並みに勉強ができるようになってから言え、田舎ブス。……ったく、これだからメシに困ったことのねぇ奴は嫌いなんだ」

 サーポクの頭から手を放し、その手を大げさに振るニヂロ。

「サーポクのこと、何か知ってらっしゃるの?」 

 ニヂロが忌々しそうに付け足した、後半の奇妙な言葉にイミルルセが反応する。キロヒも気になったところだった。

「あぁ? 見りゃ分かるだろ。このぷにぷにした身体を見ろ。前にド田舎の南の島から運んで来たっていう、目ン玉飛び出すほど高い果物を見せられたことがあるが、そういうもんを当たり前みたいに食って育ったんだろ?」

「ビニニも魚もおいしかとよー、あと蟹と貝とチワ芋もー」

 亀からガバっと顔を上げて、サーポクは大好物を思い出した幸せいっぱいの笑みを浮かべている。

「……ほらな」

 忌々しさをまったく隠さない顔で、ニヂロはサーポクの緩み切った顔を睨んだ。

「……ニヂロは北方の出身で、食べ物にお困りになられたのね」

「同情なんて腹の足しにもならねぇことをするよりメシをよこせよ、色気ブス」

「同情なんかしていませんし、食事も差し上げませんわ」

 発言を逆算したらしいイミルルセが出したニヂロの過去を、本人は否定することはなかった。しかし、それはよく考えなくても重い事実であることに、キロヒは気づいた。

 この学園に入学するには、中級以上の精霊の友人になることと、勉学が優秀であること。推薦の判断をするのは、精霊神殿の神官である。田舎ほど精霊が豊かであるため、小さな村にも神官は派遣されていた。地方の子供たちは、中級精霊の友人になることもそう珍しいことではないからだ。

 神官は農閑期の村で子供たちに読み書きと計算を教え、精霊の友人になる方法を教える。その中で優秀で条件を満たした子供を、推薦してこの学園に送り出すのだ。

 しかし、子供たちがみな勉強を好きなわけではない。義務でもない。親が非協力的な場合もある。

 ただ「精霊士」という職業は、田舎とは比べ物にならないくらい稼げるという噂は流れており、貧しければ貧しいほど人生の逆転を子供に背負わせる家も多いという。

 こう言った話を、キロヒは父親から聞かされていた。彼女の父親は商人で、最初は行商をしていた過去を持つため、地方の小さな村の様子もその目で見てきたのである。

 しかし、村の神官の裁量で推薦できる子供は毎年一人以下、と決まっていた。能力が足りない場合は推薦なし。能力の高いものが複数いたとしても、その中で最高の一人だけ。

 優秀な子供が同年に複数いた場合、推薦枠争いは熾烈を極めることだろう。

 ニヂロは精霊士を「金を稼げる仕事」と言った。地方出身の本音そのものである。

 食事に困るような生活の中、ニヂロはたったひとつの推薦枠を勝ち取ったのだろう。

 神官が能力の優秀さのみでニヂロを選んだのは確かだと、キロヒは考えている。彼女の他の子供に対する粗暴な言葉や態度は、神官に隠しきれるものではない。それでもなお、彼女は推薦されたのだから。

 子供は他の子供に意地悪をされたら、大人に言いつけるものだ。家族だけでなく神官にも絶対に言いつけられているはず。

 あの下方向ブス乱発像(せいぞうき)のニヂロが、自分の村の子供たちだけに優しいとは、とても考えにくかった。下方向とは年齢のことではなく、ニヂロが考える「自分より下」に見ている相手、という意味である。同年代──四年生のイシグルも含められていたことを考えると、この学園の生徒全員──を、最初は必ず下に扱う主義なのだろう。誰かに嫌われることなど、おなら以下にしか思っていないに違いない。

 ここまでの発言や態度で、キロヒの中でも順調に悪い意味でのニヂロの信頼感が上がっていた。

 そんな彼女の性質は、裏を返せば競争の厳しい貪欲な環境で育ったことを強く感じさせる。そして、良くも悪くも頭の良さと人間観察の鋭さも強く伝わってくる。

 心底苦手な相手ではあるが、協力をしなければならない相手でもある。キロヒはできるだけ安全な場所からニヂロを観察し続けていた。

「協力してサーポクの勉強を見るということが強制事項なら、手早く担当を決めたほうがよろしくなくて?」

「よろしくとよ?」

 ニヂロの反論を封じるイミルルセの盾の名は理論武装。詳しいことは分からないが、自分のことを話していることだけは分かっている程度のサーポクのとぼけた追従。

 さすがにここまで黙り続けていたキロヒも、「よ、よろしくです」と変な言葉で同意した。

 最後のニヂロは。

「……アタシは数字と計算を教える。文字より百倍マシだ」

 どうせ引き受けなければならないのなら、一番やりやすい仕事を寄越せ、と言うニヂロ。

「キロヒはそれでよろしくて?」

 ふっくらとしたイミルルセの唇が、小さい弧を描く。理論盾でニヂロに譲歩させた彼女の頼もしさに感心していたキロヒは、不意に話を振られてまごついた。「あ、は、はい」と、まごついたままの返事になってしまい、また「のろま」と言われそうで、視線をニヂロと違う方に向ける。

「それなら、私がサーポクに文字の読み書きを教えようと思うの」

 仕事というものは、能力があり積極的な人から埋まって行く。キロヒはそれを父親の稼業や家族でよく知っていた。それと同じことが、ここでも起こっている。

「えっと、それじゃ……私は何を?」

 イシグル(指導担当)に言われたのはサーポクの「読み書き、計算」だった。その二つを二人が担うのならば、キロヒには仕事がなくなってしまう。

 ちらりとイミルルセはニヂロを見た。ニヂロもまたじろっとイミルルセを見返した。何かを視線で語り合っているようだが、キロヒには分からなかった。

「キロヒには……サーポクの日常の面倒を見てほしいの。朝起こして身支度をさせて、そして授業にちゃんと出席させて、またこの部屋まで連れ帰ることに責任を持ってくれれば、とても助かるわ」

 イミルルセの切実な説明に、キロヒは「それがあった」と強く強く思った。

 授業の時間はしっかり決まっていて、逆算して起床から準備が必要になる。今朝、三人が準備している最中、まだサーポクはベッドの中でザブンを抱えて眠っていた。さすがにこれ以上は間に合わないという時間に起こすも、しばらく寝ぼけてふわふわしていたので、イミルルセとキロヒで急かしながら準備させたという事件があった。

 授業が終わった後も、ふわふわと大樹の外に出て行こうとしたので、行方不明になりそうな不安から手を引っ張って屋根裏部屋まで連れ帰ったのである。

 言うならば、サーポクの日常担当。彼女が自分できちんとできるようになれば、キロヒも楽になれる。他の二人も、サーポクがそれぞれの勉強を理解できるようになれば楽になるという意味では平等と言えるだろう。ニヂロも文句を言うことはなかった。

「わ、分かりました」

 こうして、サーポクの担当が決まった。

「おい、田舎ブス。アタシの貴重な時間を無駄にすんなよ」

「わあああ、サーポクだよー」

 ふわふわの黒髪に手を突っ込んで、ぐりぐりと揺らすニヂロ。それに気の抜ける声をあげながら名前を訂正するサーポク。


 そんな殺伐とするような、ほのぼのとするような光景を見ながら、イミルルセがため息をつきながら言った。

「第二回の会議の議題を決めましたわ」

「あぁ? 何だ、色気ブス」

「ニヂロに『ブス』をやめさせるにはどうするか、でしてよ」

「はっ、くっだらねぇ。時間の無駄だ」

 サーポクの頭の上で、また屋根裏部屋の矛と盾が火花を散らし始めたのだった。

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