61.キロヒ、保身に走る
「これは……すごいね」
「いや、すごすぎだろぉぉ?」
クロヤハのぼそっと呟かれた声は、カーニゼクの強い声によって一瞬にして上書きされる。
謎の精霊の脳内囁きによる、「離」を一気に稼ぐ戦法の後、白目をむいた彼らが意識を取り戻すまで、さほど時間はかからなかった。
その後、自力でどのくらい精霊と距離を取れるか、各自が自分の足で離れてみたところ、人間の足で五歩から六歩、距離を更新していたのである。
初日以来、よくて一歩の伸びだったことと比較すればとんでもない。クロヤハに至ってはもうすぐ上霊するのではないかと思うほどの距離になった。
"一気に伸ばしたから、二日くらい休んでなじませた方がいいわよ。切れてしまったら大変だから"
またさらりと謎精霊が怖いことを言う。クロヤハが「もう一回」と言い出していたので、キロヒは慌てて止めなければならなかった。
しかし、謎精霊の助言のおかげで、訓練の流れができた。一気に伸ばして数日休む。これを繰り返せば、一年の間に上級精霊に上霊できるだろう。
"特級はこんなに簡単にはいかないわ"という話も、ちゃんと伝えた。つながりの「強さ」を、より重視されるのが上級で、「強さ」だけでなく「質」も重視されるのが特級だという。
"私の書いた本を読み込めば書いてあるわ。けれど、こんな無理矢理引き離す方法は、考えたことはなかったわねえ。あなたたち、すごいわ"
謎精霊でさえ考えていなかった、とんでもないことをやっていたらしい。
「二日後、またお願いします」
クロヤハがキムニルに頼み込む。上霊できそうな手ごたえを感じて、いてもたってもいられないのだろう。
「いいけど……注目されるよ?」
五年生の彼は冷静だ。
同じ五年のフウリグが上霊した時は、注目されることはなかった。五年生ならば、上級になるのは珍しいことではない。なるべくしてなったと思われるだけだ。
しかし、一年は違う。入学して約二か月。サーポクのような特例を除けば、まだ誰も上霊はしていない。最初の上霊となれば、ひどく目立つことは間違いなかった。しかもこの上霊、クロヤハだけで終わるはずがない。他の熱意の高い三人も、上霊を目指している。白目をむいてはいずろうが、絶対に上霊をつかみ取るのは間違いなかった。
そうなるとクロヤハを含めて、一気に四人が上霊することになる。上霊するコツを知っていると感づかれない方が不思議だ。おそらく、ラエギーの呼び出しがかかるだろう。
「確実に上級に上霊できる方法は、この学園だけではなく、全精霊士に注目されることになる……貴族も喉から手が出るほど欲しいだろうね。多分中級に上霊することにも使えるだろうから。そうなると、一気に上級精霊士の数が増えるし増やせる。いい意味でも悪い意味でも、革命が起きる」
キムニルの言葉は重い。このやり方を使えば、一年で全員が上級精霊にすることも可能だろう。生徒がいやだと言っても、無理矢理にもできる。そうすれば、学園は上級が当たり前になり、精霊士の基準が上がる。特級になるには質も必要だというが、このやり方がまったく無駄なわけでもない。
「離」という訓練方法の研究も、一気に進むことだろう。
その意味の重さに、クロヤハは考え込んでいる。ニヂロは「私はやる」というし、シテカの目力は強いし、ヘケテの鼻息も荒い。
「……計画的に行きましょう」
クロヤハが唸るように言った。
「はぁ? 計画的? どういうこった」
ニヂロは自分の上霊が遠ざかるのではないかと、歯をむいてクロヤハを睨む。
「最初はニヂロ……君でいい。ちょうど冬だし」
「よぉし!」
拳を固めて喜びをあらわにする。
「僕は春休みの間、実家で兄たちに連絡して『離』の訓練をしてみる。もしそこで上霊してしまったら、それはしょうがない。もしかしたら他の生徒も、誰かそこで上霊して学園に帰って来るかもしれない」
「俺は?」
「ワイは?」
クロヤハの言葉に、目力と鼻息が食いつく。
「二人は状況を見て、でいいかな。同室で一気に上霊してしまうと、本当に目立つと思う。貴族の学園に呼び出されることがあるかもしれない。その時に、追及される覚悟があるなら、早くてもいいよ」
なるほど。ニヂロは屋根裏部屋女子の一人。そして屋根裏部屋男子の一人のクロヤハ。この二人が上霊した場合、各部屋一人だ。ラエギーは疑うかもしれないが、学園外から見れば、そこまでまだひっかかることはないだろう。
「貴族かあ……」
ヘケテが唸る。上霊して強くなりたい気持ちと、面倒くさい現実を避けたい気持ち。両方に引っ張られている顔だ。
一方のシテカは。
「春休暇中に……自力で上霊した場合は、いいか?」
非常に前向きに、自分の希望が通る隙間を探していた。
「それは……僕が止めようがない」
特級精霊の手伝いなしに、何らかの方法で上霊を目指す。そうシテカは考えているようだ。
「ワイも! ワイも!」
それに乗っかるヘケテ。これは春休暇明けが、心配だ。しかしこの場合問題になるのは、屋根裏部屋男子組である。女子組はニヂロだけ。女子組は追及から逃げ切れそうだと、キロヒは保身を考えていた。
「じゃあ、二日後はニヂロだけかな?」
「ワイも、できるだけのばしたい」
「俺も」
キムニルの要約に、手を挙げる二人。ぎりぎりまで五年生を酷使する気満々だ。
できるだけ目立たないように作戦は、あまりうまくいきそうになかった。




