57.キロヒ、閉じ込められる
図書室の奥の謎の空間は、もうひとつの図書室だった。
ただし、広さはあるものの、本棚の数は十ほど。天井の梁の灯りは普通の図書室と同じ白い光の花。テーブルも椅子もなく、がらんとした広さだ。人がここで過ごすことを考えられてはいないようだ。
本はざっと背表紙を見る限り、精霊に関するものが多い。不思議なことに、新品と見紛うばかりの本のみ。図書室の方も新しい本も多少はあるが、そのほとんどが年季の入った本。クロヤハは、既に近くの本棚にかかりきりだ。
ニヂロは、夏の本棚があった壁側の本棚を眺めている。キロヒはきょろきょろしながら、クルリに引っ張られながら歩く。
クルリが連れて来た先にあるのは、透明な容器の中の小さな樹木。豊かな緑の葉をつけている。
容器の形は少し違うが、大きさはキロヒたちが使う亜霊域器に似ていた。それがぽつんと壁際の床に置いてある。
確かにこれは本ではない。クルリが「ぴゅーい」と自慢げに胸をそらすので「ありがとう」と頭を撫でる。
「こんにちは、お邪魔してます」
キロヒは埃ひとつない綺麗な床に膝をついて、小声でその樹に話しかけた。もしかしたら精霊かもしれないと思ったからだ。
“こんにちは、秋の子”
「……!」
突然、頭の中に割れるような大音量で音が響き渡って、キロヒは反射的にのけぞった。
“声が大きかったのね、これくらいでいい? もう随分人と話してなくて加減が分からなかったわ”
彼女の反応に声は音を絞っていき、ほどよい音量で話を続ける。キロヒは普段半開きの目をかっ開いて、容器の中の樹木を見つめた。
「だ、大丈夫です……えっと」
"あなたの精霊は、私に丁度いい。協力してね"
「ぴゅーい?」
声がそう言うなり、クルリが緑の樹木の容器の中に吸い込まれる。やはり亜霊域器だったようだ。
「クルリ?」
しかし、悠長に見守っている場合ではない。彼女の友人が、他の亜霊域器の精霊に拐かされてしまったのだから。慌てて容器に手を伸ばそうとした時、ざわっと中の樹木が揺れる。
次の瞬間──緑の葉が一気に黄色に染まり切った。秋の樹木に変わった光景を驚きながら見ていると、中からにゅるっとクルリが出てくる。
「ぴゅうい」
そのスカートの落ち葉は全て、中と同じ黄色い葉に変わっていた。
"協力感謝するわ"
「えっと、あの、どういうこと……ですか?」
「キロヒ、どうかした?」
一人で容器に向かって奇妙な行動をとり続けるキロヒを不審に思ったのか、クロヤハが本を一冊持ったまま近づいてくる。
「あ、あの、この……」
突然の出来事の嵐に振り回され、キロヒは言葉をもつれさせながら、容器の中の樹を手で指す。
「……精霊?」
「た、多分……話し、かけ、られましたっ」
「えっ? 何て言われたの?」
「協力してって……それで、クルリが中に吸い込まれて、木の葉っぱが黄色になって、クルリが黄色になって」
黄色いスカートになったクルリを持ち上げて見せると、彼は樹木の葉と見比べる。
「協力って何の協力?」
「わ、分かりません」
「もう話はできない?」
「やって、みます……こんにちは、精霊さん。私はキロヒです。精霊さんは、お名前はありますか?」
"こんにちは、秋の子キロヒ。私の名前は……名前、何だったかしら"
「いま、精霊さんがしゃべったんですが、聞こえました?」
キロヒの確認に、クロヤハが残念そうに首を横に振る。
「精霊さん、葉っぱの色が変わりましたけど、大丈夫ですか?」
"大丈夫よ。秋の色になりたかったのだけれど、なれなくて困っていたの。冬だと葉っぱが全て落ちてしまうでしょう? 秋がよかったの"
「秋の色になりたかったんですね」
クルリの環境温度が、協力になったということなのだろう。
「精霊さんはここで……」
一体何をしているのか、キロヒが聞こうとしたが、ざわりと容器の中の黄色い樹木の精霊がざわめいた。
"春と夏の子が来るわ。だめよ。春と夏の子はだめなの"
「おい」
精霊の声にかぶさるように、ニヂロがこちらに声を投げる。
「おい、本棚が閉まったぞ」
ニヂロが、冬の本棚の横から首を突っ込んで、扉になっている夏の本棚を見ている。クロヤハがさっと春の本棚も見に行って、こちらに向かって首を横に振る。「こっちも閉まった」と。
「隙間もない、クソッ……閉じ込められた」
「多分……他のみんなが様子を見に来てるんだと思います」
「ああ、それはあるだろうね。途中経過も説明しに戻ってないから」
「おとなしく待ってろってんだ」
悪態をつくニヂロは、この精霊の話をまだ知らない。さっき言われたこともあわせて説明をしようとしたが、クロヤハに遮られる。
「一度出よう。出て、みんなと急いで合流しないと、司書や先生に助けを求められる」
彼は焦っている。様子を見に来た仲間からすると、いるはずの三人が消えている。驚かないはずがない。
彼らが離れれば隙間が空くと思うが、全員で去らずに誰かが残る可能性もある。そうすると、ずっと隙間が消えたままだ。
じゃあ、どうやってここから出るのか。
「あ」
キロヒはその方法を思いついて、とぼけた声をあげてしまった。
「ここも学園の中ですから……避難部屋が使えるんじゃないでしょうか」
「うん、僕もそう思う。避難部屋から寮を経由して、大急ぎで図書室に戻ろう」
「じゃあ、アタシはここに残って、本を漁ってていいか? 全員で行く必要はないだろ? アタシは適当に避難部屋で出る」
キロヒとクロヤハの話が、あっさりついたところで、ニヂロが口を挟んできた。
「できれば、ニヂロは一緒に出てほしい」
「はぁ? 何でだ?」
面倒くさそうに顔を顰めるニヂロ。
「僕たちの中に冬担当は、君しかいない。君がいないと、今日はもうここには入れない」
クロヤハの熱烈な要望に、ニヂロはうえっと舌を突き出したのだった。




