49.キロヒ、ドッカの震えを見る
二イヌカナ、一スミウ。
合計十二人の大所帯で、その実験は行われることとなった。
五年生のイヌカナ。キムニルとエムーチェ。あと二人の先輩男子。
そして、一年の屋根裏部屋のスミウとイヌカナである。
これはキムニルの考えた、大人数でいることによって個人の情報を薄める効果を期待したものである。
他の人間がこの集団を見た時、「五年生に手伝ってもらっているのかも」と見られることはあっても「キムニル個人に手伝ってもらっているのかも」とは考えにくい。後々の面倒くささを薄めるための努力を、彼は惜しまなかった。
五年生の手伝いもあるので、学園のすぐ側ではなく少し離れた森まで、安心して入ることができる。木々が彼らのやっていることを目隠ししてくれる、というわけだ。
「よろしくお願いします」
代表してクロヤハが五年生に挨拶をする。
「うん、じゃあやろうか」
キムニルがバリーを呼び出す。大きく黒い虎型。二足歩行形態なので、上背の分余計に迫力を感じる。普段はのんびりとしたザブンか、感情の分かりにくいラエギーの精霊、ツヨイと比べると、眼光が鋭い分、分かりやすい怖さがあった。
「最初は……」
「アタシだ」
ニヂロが髪の間からツララを引っ張り出しながら、前に進み出た。
「へぇ、一目で冬向きだと分かるね。環境偏ってそうだ……じゃあ、自力で離れられるまで歩いて」
キロヒは、自分のことではないのにごくりと唾を飲み込んだ。この実験が本当に効果があるのか、とても気になっている。
「ここで待ってろ」
「きゃうん」
ツララを地面に置いたニヂロが、木々があまり邪魔になっていない方向へと歩き出す。最初は足早だったが、すぐにその足は重くなる。そして、ぐぐぐっと頑張って足を持ち上げなければならないところで止まった。
「……ここまでだ」
悔しそうにニヂロは言った。キロヒは歩数を数えていたが、十六歩、というところだった。
「ふぅん、分かった。そのまま待って。ええとそこの眼鏡の一年」
「クロヤハです」
「うん、もう覚えてる。それでそこの眼鏡の一年、ツララの横に自分の精霊を置いて、あっちの口の悪い一年の方に同じように歩いてみて」
キムニルは、相変わらずである。名前は憶えていても、進んで呼ぶことはない。ここには一年が多いので、ついには特徴で呼び分けを始めてしまった。ニヂロの口がひん曲がった形で開いているが、まったく気にしていない。
「おい、アタシが先だろう」
「口の悪い」という枕詞をつけられたニヂロだったが、問題はそこではなくて順番だったようだ。
「まあ、待って。せっかくこんなに人数がいるんだ。実験らしく行こう。僕たちだって、一年の言う『離』について詳しいわけじゃないから」
キムニルは、ニヂロの苛立ちなどどこ吹く風だ。彼女もまた、自分の癇癪で貴重な冬場に活動できる特級の手伝いを、ふいにするわけにはいかない。ぐぬぬっと、その場で歯噛みしている。
「メガネ、ここにいて」と、クロヤハは黒い羽毛と銀の足を持つ鳥型の精霊をツララのすぐ横に置いた。そしてニヂロの方に向かって歩き出す。
これは面白い実験だ。キロヒはメガネが、どんな環境に向いているのかは分からない。それでもニヂロとの距離の比較には興味があった。
木々の間を吹き抜ける寒風に向かって、クロヤハは歩いていく。
その足が重くなったのは、明らかにニヂロより後だった。ぐぐぐ、ぐぐぐと足を踏み出していくと、ついには彼女を追い越す。ニヂロの位置を四歩ほど超えたところで、クロヤハは深く息を吐きながら止まった。
「アァァァー?」と、メガネが不満そうな声をあげる。
「うっそだろ……」
ニヂロが、その差に衝撃を隠せないでいる。冬はツララの環境だ。いや、これでもきっと温いくらいだろう。しかしきっとニヂロは、自分の方が遠いと思っていたに違いない。それが覆されてしまった。
「ワイもやっていいか?」
うずうずしてたまらなかったようなヘケテが、キムニルに両手を挙げてアピールしている。それにはエムーチェが「やれーやれー」と拳を突き上げたので、さっそく白い柱型のドッカを取り出し、メガネの横にどんと置く。
ドッカがどう動くのかキロヒは知らないので、興味津々に見つめてしまう。
「よーし、いっくでー」
どすどすとヘケテが勢いよく歩き出したが、その身体はまるで壁にぶつかるようにぐんっと止まる。九歩、というところだ。
すると限界だと言わんばかりに、ドッカが震え出す。これが噂の震えか。キロヒはようやく見られたことに、小さく喜んだ。
シテカに至っては、やっていいかも聞かずに八本足のツムギを他の精霊と同じ位置に下ろして歩き出す。すすっと静かに歩いていたが、距離は七歩。寒さには強そうに見えないのでしょうがないだろう。
「オレもオレも」と、カーニゼクが参戦する。四歩で止まり、がくりと両の膝をついた。芝生ウサギのタタンは、ふうっとため息をついている。
「せっかくだから、やりたい人は全員やっとけば?」
キムニルの勧めに、キロヒはどきっとした。
「やってみますわ」と、イミルルセがぷるぷる震えるヌクミを出し──二歩で終了した。寒い上に自然の中と言う環境は、あまりにヌクミには不利すぎた。
イミルルセの勇気は、キロヒの背中を押してくれる。絶対に環境が合わないと分かっている中に挑戦した姿に心打たれて、キロヒはクルリを呼び出した。
「ここでちょっと待っててね、クルリ」
「ぴゅうい」
すぐにイミルルセによって回収されたヌクミ。その空いた場所にクルリを下ろして、キロヒはゆっくりと歩き始めた。
一歩、二歩、三歩──ヌクミの記録を抜いた。
四歩、五歩、六歩──カーニゼクを抜く。足が重くなってくる。
七歩──シテカと並ぶ。不安が黒い塊になって身体の中を渦巻き始める。
八歩──心と身体がこれ以上進むのを嫌がっている。すぐ前にヘケテがいるというのに、とてもそこが遠く感じられた。
あと一歩──キロヒはやめた。身体の後ろ半分が、ちぎれるのではないかという恐怖を覚えたからだ。キロヒの記録は八歩だった。
こうして自分がやってみると、ニヂロが十六歩も歩いたことはとんでもないことだ。それを四歩も先を行くクロヤハは、更に化け物に見えた。
「……フウリグも、やってみるか?」
中級精霊の一年の計測が終わった後、キムニルが自分のイヌカナの一人に声をかける。一番小柄で頼りない風貌の、茶色い髪と目の少年だ。不安そうに悩んだ顔をした後、ようやく頷いた。
「う……うん、やる」
フウリグと呼ばれた少年が外套の懐から出したのは、両手に乗るくらいの大きさの、植物型の精霊。見た目は棘のある葉と白い花をつけた細い木。根を足のように動かしている。
木の形をした精霊を見て、キロヒは学園のことを思い出す。けれどいまは、そこではない。
明らかに中級精霊の大きさだった。キムニルが気にしている、上霊で詰まっているイヌカナが彼なのだろう。
「ハッパ……ここで待ってて」
「ばさ?」
葉っぱを振るって鳴いた精霊に、キロヒは「鳴くんだ」と思わず呟いた。柱のように特殊な意思交換をしているのかと思い込んでいたせいだ。
小柄な身体を、猫背で更に小さくしながらフウリグは歩いて離れて行く。
「え?」
思わずキロヒは、小さく声が出てしまった。
その自信なさげな後ろ姿とは裏腹に、フウリグはあっさりとニヂロを追い越し、クロヤハも追い越していったのだから。




