43.キロヒ、怖がる
「幻級の精霊士セグ様が作った、この学園のことが知りたいのですって?」
現在、この学園で最年長は四年の特級精霊士だ。イシグルの紹介で、放課後に話を聞くことが出来た。
二年ほど前に特級に上霊した上品な女性教師で、年齢はちょうど五十歳。特級にはなったが、魔物との最前線に立ち続けられるほどの体力は失われてきており、後進の育成ということでこの学園に配属になったという。
イミルルセが卒業生名簿で調べたところ、彼女はこの学園の一期生だということが分かった。まさに、「学園」を知る者としてはうってつけだった。卒業名簿には、フキルの父親の名前もあった。クロヤハの伯父である。クロヤハの父親は二期下だった。孫たちのために、開校の時期を合わせたのかもしれない。ちょうど四十年前の出来事である。
「はい、実は僕は……そのセグのひ孫なんです。曾祖母が亡くなったのは、三十年ほど前だと聞いています。先生なら、その時のことを何かご存知ではないかと」
話を聞きに来たのは、クロヤハとシテカとイミルルセとキロヒ。積極的な会話担当二人と、あまり余計なことを言わない二人、という組み合わせだった。
この女性教師の部屋も、ラエギーの部屋と同じでソファがあり、会話担当二人が座り、無口組は後ろに立った。
「まあ、セグ様の……ええ、私が知っていることでしたら、何なりと話せますよ」
教師は学園の創始者の子孫という言葉で、表情を緩めた。最初はどこか怪訝そうだったが、一目で心を開いたのが分かる。よほどこの学園の創始者に敬意を抱いているようだ。
「ありがとうございます。先生は一期生ということで、入園当時からこの学園はこの植物型の精霊だったのでしょうか」
「……実は違ったのよ」
返答は、少し悲し気な表情と共に。過去をたどる瞳の動きは、わずかに空をさまよう。
「最初はね、麓の町に校舎と寮がが建てられていたの。でもね……壊れたのよ」
「それは、一体どうして?」
「さあ、理由は分からないわ。とにかく、校舎が壊れたのよ。寮は無事だったけれど」
この教師は、気持ちの悪い話し方をした。彼女自身が気持ち悪いのではない。おそらく、わざとそうしているのだ。言葉にすると障りがあることを示唆しつつ、はっきりと言葉にすることはない。彼女なりの処世術なのだろう。相当苦労してきたようだ。
「そう、ですか……」
推測するしかできないが、何らかの外的要因により校舎は壊された。平民学園の設立を、よく思っていない誰かがいたのかもしれない。
「不安だった私たちに、セグ様は心配しないでと言われて……しばらくしたら、山の上に精霊の学園を作ってくださったのよ。いまよりもまだ霊密が低くて、中は狭かったのですけれど、そこからはもう校舎が壊れることもありませんでしたね」
穏やかな表情に戻りながら、教師は現在の形になった学園のことを語った。
この校舎が壊れることは、普通に考えてない。幻級精霊で出来ているのだから。他の幻級精霊士が現れない限り。
ぶるりと、キロヒの首筋が冷たく感じた。
次は幻級に上霊してから来ると言った人間がいたことを、思い出したからである。あれはこの学園を壊そうと考えているのからこそ出た言葉なのでは、と思い当たったからだ。
「そこからは、いまと同じ学園の形ですか?」
「私たちの頃は、まだスミウやイヌカナの制度はなかったですね。セグ様が引退されたあたりかしら、それが始まったのは」
セグが生きている間と、その後では学園の方針が変わったのかもしれない。幻級精霊士という、強い影響力が消えてしまったのだから。
「そうですか……ところで先生は、曾祖母がこの学園で亡くなった時のことをご存知ですか?」
約三十年前。目の前の教師は二十歳くらい。もう卒業した後で、学園を離れていたはず。
だが。
「ええ、知っていますとも。私も立ち会いましたもの。忘れることなど、出来はしませんよ」
何故か、彼女は幸せそうに微笑みながら、そんなことを言ったのである。セグの死に立ち会った、と。
「立ち会ったとは、どういうことでしょう? 病気で死期が近づいていることが明らかだったのですか?」
創始者が病気で寝付いており、卒業生たちが折を見て見舞いに来る。それは自然なことのように思えた。そう常識的に考えたクロヤハが質問したのは、おかしな話ではない。
「いいえ、セグ様は最後までお元気でしたよ。それに……あれは、セグ様の死と言うのではなく……」
「あの……何を」
「そう!」
教師の微笑みが深く深くなっていく。その表情は、恍惚と表現していいほど。それに戸惑っているこちら側のことなど、途中から聞こえてもいないようだった。そしてクロヤハの言葉を遮っていることさえ気づかず、両手を打ち鳴らした。
「そう、あれは……この世界で初めての、素晴らしい儀式だったのです」
気持ち悪い、とキロヒは思った。今度こそ、この教師が気持ち悪いと。その眼差しは、もはや信仰だった。むしろ穏やかな信仰の道を踏み越えた、狂信者の域に達しているようにさえ感じた。
「儀式って……一体何なんですか? 曾祖母は一体何を……」
「セグ様は、精霊とひとつになって……この地で永遠となられたのです。いままさに、私たちはその永遠の中で守られているのです」
両手を組み、空を見上げ、教師はその瞳に見えない神を映していた。
怖い。この人、何言ってるの──それが、キロヒの正直な感想だった。




