38.キロヒ、晴れのち光、時々水祭りを見る
「ねぇ、そこの雷の特級くん。君、次くらいで卒業でしょ? 精霊士になるんでしょ? 精霊士としてどんな馬鹿らしいことにも協力するんでしょ?」
「僕は交渉の仕事は引き受けてないので、そういうのは特級ラエギーによろしく」
バチッ、バチチと、あちこちの空間で光が弾ける。性質の違う光を操る二人が、さっきから光をぶつけあっているのだ。
「この壁から出んなよ? 大丈夫だからな」
その間、エムーチェが遊んでいたわけではなく、一年全員を自分より後方に移動させた。そして前面に、驚くほど速く、高く、大きく、分厚い、透明な水の壁を出した。
「そっちはやっぱり水だよねー。水はあんまり好きじゃないんだけどな」
「そっかあ? オレは水が大好きだけどな! 海サイコー!」
言い終わるや、エムーチェは水の壁に飛び込んだ。すごい速さで水面まで上がると、船の精霊ジャババーンを顕わし、壁のてっぺんに飛び出してくる。エムーチェは、力技で簡易海を作ってしまった。その海は、しかも物凄い勢いで広がって行く。力強く制御されながら、滝の方へと水の壁を伸ばして行く。
「……あれ? 君の友達、おかしすぎない?」
「エムーチェがおかしいのはいつものことだ」
「ひどくね? ニル、ひどくね!?」
透明な水の壁は一年生を守りながらも、まるで硝子のように向こう側の景色を見せてくれる。
「いくら水場でも、ここの霊密と水気と無級精霊だけじゃ、あれは賄えない。特級精霊であっても、霊理的に明らかにおかしいよ。狂ってる」
呆れ果てた声。そんなにとんでもないことを、エムーチェはやっているのか。しかしキムニルは、一切驚いている様子はない。
「霊理は、おかしいとかおかしくないとかじゃない。それが事実だ」
バヂィッ、とひと際高い衝突音があがる。
「そっか……」
海の壁が更に高くなっていく。滝の高さにいるフキルよりも、もっと高い位置に。その頂点に激しい白波が立つ。
「そっか……協力したんだ」
「ったりめぇーっしょ! 精霊士になるんだぜ、オレたちゃあ!」
エムーチェが叫ぶ。その道を、何一つ疑わない声で。
そして彼は、ジャババーンと共に高い波で急降下。同時にバチバチと空気を切り裂く雷撃がフキルを狙う。
上からと下からの同時攻撃。フキルは水に吞み込まれ、その水に激しい雷が広がり爆発した。ラエギーとサーポクの、特別授業のような光景だった。
エムーチェは爆風を帆に乗せ、空中を回転しながらまだ残っている高い水の壁に戻ってくる。
見るからに、ただではすまない一撃だ。ここは亜霊域器の中ではない。食らったものは食らったもの。落ちるものは落ちるもの。それをどれだけ精霊の友人が弱めてくれるか、にかかっている。
フキルに降り注ぎ、爆発した水や蒸気が消える。
そこには──誰もいなかった。
「チッ」
「くっそぉー!」
その意味を理解したのは、五年生が先。
「距離を取ったのは、僕の光から離れるためか」
キムニルが見上げる角度が、もっと上に変わった。当初フキルがいた位置よりも、更に高い位置。自分を映した姿だけを残し、本人はあの攻撃から事前に逃れていたのだ。
「ふふふ……逃げるのは上手なんだよ、私は……はぁぁ」
空中で笑っているフキル。しかし、その表情は曇って行く。とても残念そうに大きなため息を洩らした。
「やれやれ、本当に律儀に協力してるんだね。なあ、少しは頭使ったらどうだ? 君たちは『死ぬのが協力だ』って言われたら死ぬのかい?」
「そういうのは、特級ラエギーにって言ってるよ? 僕はあんたの愚痴を聞く仕事は受けてない」
「協力と言う名前を出すと考えるのやめるよね、この学園の生徒って。そういうの、洗脳って言うんだよ?」
「不審者は撃退。僕の仕事はそれ。別の洗脳も受け付けてない」
もう一度エムーチェが高い波を作っている横で、フキルとキムニルの噛み合わない舌戦が続く。
「はぁ……ねえ、一年の君」
フキルは対話相手を水の壁ごしに変更した。距離があって分かりにくいが、その声はニヂロに向かっている気がする。前に接触のあった唯一の相手。
「君さ、頭良さそうだからさ、調べてみてほしいな。『学園』そのものを。本気で調べたら、面白いことが分かるよ……私の復讐の源も、そこにあるからね。あと、ラエギーのことも調べてごらん……楽しいこと請け合いだよ」
それは、確かにニヂロに言っている言葉ではあったが、一年全員に聞かせる言葉でもある。「学園」という強調された部分に、何かあるのだと言わんばかりだ。
この記憶を抱えたまま、彼らは学園に戻る。他のスミウやイヌカナに話す。復讐者が生徒に残す疑念という名の毒が、いま確実に撃ち込まれた。
「今日はこれで帰るよ、ああ、ラエギーに伝えておいて……次は幻級になって来るって」
最後は笑って──フキルは消えた。
ただ姿を見えなくしただけかもしれないが、これほどの距離があるとどこにいるかは分からない。キムニルも、闇雲に雷の光を放ってまで探そうとはしなかった。
「エムーチェ、引き上げるぞ」
精霊の肩から降り、その姿を消させたキムニルは、まだ高い水の壁の上にいるイヌカナに声をかける。
「待って、オレ、同じ水の特級の協力初めてでさ、どこまでいけるかやってみたいー!」
水のてっぺんで船に乗り、エムーチェはその興奮を止められないでいた。
「やめろ馬鹿。一年の協力切らせるぞ、真っ逆さまになりたいか」
こんな山の中に小さな海を作り上げ、それにおおはしゃぎのイヌカナに、キムニルは冷たい声を放つ。
そう。この屋外実習を始める前にラエギーが要請したのは、引率の精霊士に一年全員の精霊の協力を約束する、というものだった。フキルの存在を伏せ、上位の精霊士に協力する訓練、というお題目で、だ。
この実習中にフキルがもし現れて、一年の中級精霊を無理に従わせようとしても、既に他の特級精霊に協力中であれば奪えない、ということらしい。更に特級対特級の戦いが起きた時、より強い下位精霊の協力が多ければ力が増す。ここには中級精霊が三十霊ほどいる。しかも、水の要素が強い精霊が多い。そこに、ザブンという水にとても強い特級精霊が協力する。
それはもう、エムーチェが興奮の最高潮に達するほどの水祭りが開催されてしまった、というわけだ。
しかし、その祭りもここで終了である。
「アーハイ」
目に見えて分かるほどしょんぼりとしながら、エムーチェの船は水を消しながら陸へと戻ってくる。
その足元に広がる水の壁のこちら側で、サーポクはさっきから珍しそうに、ザブンのヒレを使って、水をつついていたのだった。




