36.キロヒ、ビニニ貯蓄を始める
「各班、注意して移動するように」
ついに始まった一年の屋外実習。
「川はこっちなー!」
「はぐれんなよ、川組一年」
キロヒたちの班を引率するのは、五年のエムーチェとキムニルだった。水にめっぽう強いエムーチェは、確かに適任だろう。そのエムーチェをよく知り、面倒を見ていそうなキムニルもまた、一緒にしておくのが適任なのだろう。先頭はエムーチェ。最後方はキムニルが担当する。
今回はスミウ、イヌカナの枠は外れた実習となる。それぞれの精霊に合わせた場所へ向かう、という形だ。昼食用に具材をはさんだパンと小さな水筒が用意された。それは指輪の中にしまわれている。
今回出発の前に、ラエギーは一年生全員にある要請をし、全員がそれに「協力」することになった。キロヒとイミルルセが視線を交わして、その意義の深さを理解する素晴らしい協力だと思えた。これで彼女たちは、大きな心配をひとつ減らしたのだった。
屋根裏部屋の四人は、どの班に入るか話し合った結果、同じ川となった。選択肢に麓の町がなかったからだ。
水や土のサーポク。雪や氷がないなら近いのは冷たい水、というニヂロ。大自然に向いておらず、水もそこそこあるイミルルセ。同じく大自然に向いておらず、水要素は薄いが、一応小川も候補に入るキロヒ。ただしキロヒの場合は、林も強いので川でなくてもよかった。
それに山道を歩いて目的地に行くまでに、どの班も森林を経由すると聞いたので川を選んだ。一人だけ違う班で知らない人に囲まれたくなかった、というのもあったが。
屋根裏部屋の男子たちに班分けの行先を聞かれたが、女子が全員が川と聞いて、カーニゼクががっくりと肩を落としていた。彼らの中で水要素があるのはカーニゼクとクロヤハ。どちらもキロヒ程度の水要素なので重要視はしておらず、シカテとカーニゼクが野原へ。ヘケテとクロヤハは岩場の選択となった。
季節は十二月に入り、山の上の寒風は容赦ない。学園内の温かさに慣れてしまった生徒たちは、支給されたコートに袖を通している。
「よーし、川にいくぞー!」
先頭を歩くエムーチェは、コートなし。キュロットから伸びる素肌のふくらはぎを見るだけで、キロヒは自分の寒さが増す気がした。
ついていく生徒は三十人ほど。そのうち四人が屋根裏部屋のスミウとなる。他の班もみな、特級の精霊士に引率されるという豪華な屋外実習だ。
「エムーチェ先輩は、どうやって特級に上霊したんですかー?」
この班の引率は五年生。卒業間近とは言え一年からすると年が近く、しかもエムーチェの人好きにさせる笑顔は気安い気持ちを引き出す。自然と移動中の会話に、みなが気になる上霊の話が出てくる。
「おー、やっぱ実家帰るのが最高だよな。とにかく、海! 海最高! 帰ったら朝から日が暮れるまで海でジャババーンと遊びまくってたら育ったぞ?」
これは、とキロヒは思った。これは参考にするのが難しい、と。
サーポクの場合は参考にしてはいけない方向だった。エムーチェの場合は、おそらく精霊の成長と本人の楽しみが完全に一致している型。「考えるな、本気で遊べ」型、というか。
いや、本来それが一番精霊との付き合いでは、成長が早いのかもしれない。しかし、キロヒには難しい。恥ずかしいという気持ちが強すぎて、出来ないことが多すぎる。
「この学園、春休みと秋休みがあるだろ? そんとき実家に帰って、お前たちも思い切り遊べよー!」
「「はーい」」
楽しいエムーチェの声につられて、一年生の何人もが返事をした。
キロヒは「そうか、年に二回帰れるんだっけ」と考えていたため返事は遅れる。
「帰れると? 海に帰れると?」とイミルルセに何度も問いかけるサーポクたちは、返事をするどころではなく。
「……」
ニヂロは口をひん曲げて閉じきったまま、返事をする気配もなかった。
「よーし、一回ここで止まるぞー」
獣道のような場所を下り始め、まだ鬱蒼としている森のただ中で、エムーチェは進行を止める。
「水があるとよ!」
最初に反応したのはサーポク。ザブンを背負ったまま、きょろきょろとそれを探そうとしている。キロヒも耳を澄ませてみると、確かに水音が聞こえる。
「そうだ、ここが川の始まりだぞ!」
エムーチェが案内したのは、山の斜面から張り出ている小さな岩場。その岩と岩の隙間から、水が流れている。
「「おおー」」
地方出身の子であっても、川の始まりを見たことがある子は少ないようで感動の声をあげる。キロヒに至っては、自分の足で山登りもしたことがない街の子だ。イミルルセと二人、ぜいぜいと息を乱しながら遠巻きに川の始まりを見るので精一杯。帰りは山登りになるのかと想像するだけで、体力が更に奪われそうになる。
はしゃいでいるエムーチェと一年生に、もう一人の引率であるキムニルがパンパンと手を打ち鳴らして注目を集める。
「川組一年、最初はここで採取だ。精霊と亜霊域器を出して、足元に気をつけながら採取を始めろ」
ここからが授業の本命である。
いまから精霊が好きな自然物を集めて、亜霊域器に入れていく。
屋外授業までに日数があったおかげで、一年生全員亜霊域器は完成し、指輪に息吹も吹き込むことができた。それからは、日常の中で亜霊域器の中に息吹を増やし続け霊密をあげていく。
そうすることにより、その中にたくさんの自然物──ひいては、自然物に付随する無級精霊を入れることができる。そして、精霊にとってこの上ない居心地のいい住処となるのだ。
背中から降ろされたザブンはその始まりの水を身体にまとわりつかせ、サーポクの亜霊域器に出入りしながら運び込んでいる。ツララも凍らせてから運び込んでいる。ヌクミは根の足と切り花の足で吸い上げて少し運んだようだ。
「クルリもいる?」と聞くと、クルリは少し考えた後、枯葉のスカートに少しだけすくって中に入れた。
「ぴゅる~」
次にクルリは、流れていく川の方へとキロヒを引っ張ろうとする。
「下の方の水がいいの?」
「ぴゅるる」
首を横に振る。亜霊域器に飛び乗って、その手でぺちぺちを叩き始めた。
「これを?」
「ぴゅい」
「こうー?」
「ぴゅういーぴゅういー……ぴゅう!」
クルリが乗ったままの亜霊域器を水の近くに彷徨わせると、まだ少ない水量の水の真上で、クルリがぺちんと瓶を叩いて止めさせた。
そこで亜霊域器からふわっと浮いたクルリが、見えない何かをその両手に抱えて、亜霊域器の中に入り込む。両手を離してまた出て来て、抱えては入り込む。
一体何を持ち込んでいるのだろうかと、キロヒは何度も繰り返されるそれを見て考えた。
「……風? クルリ、水の上の風を入れているの?」
「ぴゅう!」
大正解。そんな風に、クルリは瓶の上で両手を上げてみせた。
霊量器の景色を、キロヒは思い出す。そこには川があった。川には川の風が吹く。それをクルリは欲しがったのだろう。
それ以外に、木々の間を抜ける風も欲しがった。次は落ちている枯葉をたくさん。これは何度も何度も運んだ。
それからまだ生えて間もない、小さな木も欲しがった。多分、クルリは飛び降りるための木が欲しかったのだろうが、まだ中級精霊の亜霊域器では、大きな木を入れることはできない。だからちいさな幼木を選んだ。
問題は、その若木を掘り起こす方法である。キロヒの手と力では無理。中級精霊のクルリが、どうやら周囲の無級精霊を使って掘り起こそうとしているが、クルリには土の要素は強くはない。
「うーん」
「ぴゅるー」
一人と一霊が若木を前に悩んでいると。
「木が欲しかと?」
ザブンを抱えたサーポクが現れた。
「え、あ、うん」
「分かったとよー」
サーポクがそう答えた直後、小さな若木の根の周囲だけが大雨の後のようにぬかるんだ。
「これで取れるとよー」
すぽん。
信じられないほど簡単に若木が抜ける。根まで美しく。
「ぴゅるー」
クルリは大喜びで若木を受け取って瓶へと持ち込んだ。それからぬかるんだ土も取りにきた。
亜霊域器の中に、元の大きさより小さく見える木が植わる。その根元には枯葉がたくさん。見えないけれどきっと風もたくさん入っている。
「ぴゅいぴゅい、ぴゅるる~」
「よかったとよー」
クルリがくるくると回りながら喜びを表す。それを見て、サーポクもにこにこが止まらない。
学園の中では窮屈な思いをしているだろうサーポクは、大自然の中では生き生きとしている。キロヒとは反対だ。反対だからこそ、大自然の中ではサーポクの助けを借りることもきっと多いだろう。
「ありがとう、サーポク、ザブン」
「よかとよー」
サーポクにとっては、何ということはない手助け。キロヒは自分の心の中に、彼女への感謝の気持ちをビニニの数で残しておこうと思った。いつか本物のビニニで渡せるように。
今日、ビニニ貯蓄がひとつ増えた。




