31.キロヒ、『枕』を使う
「もうしばらくすると、精霊士協会より、君たちの屋外実習の手伝いに精霊士が派遣される」
初めて亜霊域器を完成させた翌朝。
授業の始まりは、ラエギーのそんな言葉からだった。
二百人もの一年生を、学園の外で行動させる。座学ではないのだから、ラエギー一人で対応するのにも限界がある。それを補佐するための精霊士が来るということだ。
キロヒは、言外にフキルの気配を察していた。一年生の屋外実習は、不審者の絶好の機会のようにも見える。
この屋外実習は、当初から予定されていたものだろうか。キロヒが気になったのは、そこだ。
ここの授業は、指輪の白雲に習ったことを書き記すことはできるが、教本のようなものはない。これから先の授業がどう進むのか、生徒は知ることができない。口伝のような学習方針である。教本として精霊についての知識が、巷に流れることをよしとしていないところがあるのかもしれない。
ともあれキロヒたちにとっては、ラエギーが授業で教えることが全てである。彼女が屋外実習があると言うのではあれば、そうなのだろうと普通は疑わない。
だが、昨日の今日だ。他の精霊士まで呼んでの屋外実習。フキルを待ち受けるための準備とも取れなくはなかった。
「屋外実習に当たり、君たちは完成させた亜霊域器を外に持ち出すことになる」
へぇ、と。キロヒの左隣に座るニヂロが、面白そうにそう口を動かした。彼女もまた、ラエギーの発言のひとつひとつに注目しているようだ。
屋外と亜霊域器。その組み合わせは、昨日のニヂロの事件で心当たりがありすぎる。
「ところで君たちは、亜霊域器を抱えたまま山道を登ったり下りたりしたいか?」
ラエギー先生にしては珍しく、持って回った言い方をした。素直な生徒は首を横に振り、そうでない生徒もラエギーの言わんとする言葉の意味を考えている。
「これから君たちにしてもらうことは……学園から支給された指輪に、精霊の息吹を入れてもらい、専用の荷物入れを作ってもらうことだ」
それは、イシグルが霊量器を取り出したりしまったりした時に言っていた、指輪の能力のようだった。あの時、確かに彼女は言った。「授業で『精霊の息吹』が出てくるまで待って」、と。
ニヂロが拳をぐっと握りしめ、怖い笑顔を浮かべるのが分かった。待ってましたと言わんばかりだ。
他の生徒も心当たりがあったのか、わっと小さな歓声が教室内に溢れるが、ラエギーの視線ですっと消えた。
「指輪で雲を呼び出した時のように、『枕』を呼び出し、それに向かって精霊に息吹を入れてもらえ」
雲は何となく分からないでもないが、荷物をしまうのに呼び出すものが枕というのは、不思議だった。しかしラエギーがその説明をすることはない。淡々と作業手順が語られ続ける。
「成功したかどうかは、亜霊域器に枕の指輪で触れれば分かる。入れる息吹の量で中の霊密が変わり、入る量も変わる。時間のある時に、少しずつ亜霊域器や指輪に息吹をためておくように……始めてよし」
許可により、生徒は我先にと指輪をいじり始め、自分の精霊を引っ張り出していた。ニヂロもさっそく取り掛かっている。ラエギーは教室を出て行った。自分たちでやれ、ということだろう。
キロヒは、フキルのことをいったん頭の片隅に追いやることにした。彼女とイミルルセは、サーポクに説明しながら一緒にやらなければならなかったからだ。
最初に成功したのは、サーポクだ。さすがの特級精霊。ほぼ一吹きと思える時間で、指輪に亜霊域器をしまえるようになった。なるほど、ラエギーの指輪に机がいくつも入るわけだ、とキロヒは納得した。
「もっと息を入れると、もっとたくさんの物が入れられるようになりましてよ」
そうイミルルセが言うと、サーポクの目が輝く。
「ビニニも? ビニニも入れられると?」
「え、ええ……おそらく」
霊量器も入っていた。机も入っていた。ビニニがダメ、ということはないだろう。
他の三人も、そう長くはてこずらなかった。昨日、彼女たちの精霊も息吹の出し方を理解したところはあったのだろう。
彼女たちが差し出す指輪に口をつけて、頑張って息を入れようとしてくれた。だが中級精霊なので、亜霊域器が入るほどの霊密になるのに時間がかかったというところだ。
無事、亜霊域器をしまえたことで、キロヒはほっとして周囲を見回す。すると何人かがまだ亜霊域器の完成ができていないらしく、泣きそうな顔をしながら話しかけていた。
屋根裏部屋の男子たちの姿も見つけた。彼らの前にはもう亜霊域器はない。指輪にしまえたようだ。
「おっ、出たぜ」
隣のニヂロが、指輪にしまった亜霊域器を取り出して、しっかり手でつかんでいた。まだ出し方は習っていないというのに。
「あ、本当ですわね」と、イミルルセも取り出している。
キロヒの指輪は、引き続き息吹を入れようとクルリが頑張ってくれていて、出すところまで進んでいない。とりあえずクルリに休んでもらい、指輪に表れている枕に触れてみた。
すると、指先の感覚で何かがあるのが分かる。物をつまむように、キロヒは親指と人差し指で枕をつまんで引っ張ってみた。
「わわっ」
にゅっと亜霊域器が出て来て、慌てて両手で捕まえる。
「これ、思ったのですけれど……指輪の石を内側にしておいた方が取り出しやすそうですわね」
「そうかも、ですね」
イミルルセの言葉に頷き、キロヒは指輪の平たい石の向きを手のひら側に回した。そして手で亜霊域器を握るように枕の指輪にあてると、すっと自然にしまえた。取り出す時も手のひら側なので、受け止めやすい。
イミルルセと二人で見つめ合って、成功の喜びを確認し合う。イシグルの指輪がどっち向きだったか、キロヒは思い出せなかった。上級生たちには当たり前の知識なのかもしれないが、こういう工夫を見つけて共有し合えるのは、キロヒにはとても楽しく思えた。
少しずつ霊密を上げて便利な荷物入れにしようと、日々の頑張る目標ができた頃、ラエギーが教室に戻って来る。
講壇で軽く周囲を見回せば、ざわついていた声がすぅっと消える。精霊の圧の制御が絶妙だ。
「息吹が出来た者、まだ出来なかった者もいるだろう。今後、授業が終了した後は、夕食時まで教室は開放するので、必要であれば使用してよい。また学園の都合により、屋外実習まで学園外へ出ることを一時的に制限することとなる。どうしても外出が必要な場合は、私に相談するように。その代わり、一年生に大講堂を開放することになった」
ラエギーの情報量はいつも濃い。その濃さの中に、キロヒはフキルの気配を感じることができた。情報を知らない他の生徒からしたら、どうしてなのかまったく分からないだろうが。
代わりに大講堂なる、別の情報が公開される。
「これより大講堂へ案内する。全員、教室を出て廊下を階段とは反対の、奥の方に進むように」
教室のある廊下を奥に進むと、特別授業の実践室がある。ラエギーが案内したのは、それより更に奥の廊下の突き当りの大きな扉。イシグルも案内しなかったところだ。
ラエギーが扉を開けるとそこは──密林だった。




