19・キロヒ、強さを知る
「次はこちらからいくぞ」
ラエギーが軽く宣言すると、空中のツヨイが両方の腕を川に向かって突き出す。
ドウッ、ドウッと激しい音を立てて、その両腕から何かが撃ち出され、川に大きな爆音と水飛沫を立てた。すぐさまザブンとサーポクが水中に消えるが、両腕から発する音は止まることはない。
「両腕が筒みたいに穴が開いてるな……そこから焼けた石を撃ち出してやがるんだ」
ニヂロは目を細め、ツヨイが何をしているのか見極めようとしている。この距離でツヨイの腕の形状が分かるとは、どれだけ彼女の目はいいのか。
両腕からはひっきりなしに蒸気が噴き上がり続けていて、その白い湯気の塊でラエギーの姿が断片的にしか見えない。煙ではないと分かるのは、少し離れるとすっと消えていくからだ。
空中で水場という、ツヨイにとっては不利とも思える場所で、サーポクを逃げに回らせているのは、あきらかに技術と経験の差だ。
そんなラエギーの上空で、雲が集まり始める。ここの空はそこまで高くないのか、雲は山の高さほどの位置に集まろうとしていた。
ザブンお得意の雷雲を作ろうとしているのだろう。しかし、ラエギーはツヨイに片腕を上げさせ、雲を撃ち抜かせた。山の高さほどある雲を穴だらけにしただけでなく、雲を突き抜けた後の焼けた石のつぶてが川に向かって降り注ぐという二段構えだ。
そんな時、川の流れが止まった。いや、やや川上で川の水が大きく盛り上がろうとしている。無理やりせき止められた状態の水は、あっという間に膨れ上がり、周囲に強風を生み出しながら大きな一本の水竜巻となってラエギーたちに突き刺さろうとする。向こう側の土手さえも、容赦なく抉り取り、土も一緒に巻き上げた。
「ツヨイ……跳べ」
ラエギーの一言で、ドンッと大きな音を立ててツヨイの身体が一気に上昇する。竜巻はそんな灼熱の精霊に追いすがろうとする。いくら高く跳んだところで、翼も持たないツヨイは落ちてくるしかない。やはり空はそれほど得意ではないのだろう。
その足が竜巻に捕まろうとした瞬間、もう一度ドンッと、今度は先ほどとは比べ物にならないほどの音でツヨイは更に跳び上がった。
キロヒの目には、まるで水を踏み台にしたかのように見えた。
その爆音と衝撃で、竜巻の上部が消し飛んだ。
ラエギーたちは、一瞬で地上から見えないほどの高さに消える。いくら身体が軽く感じるここであったとしても、さすがに高すぎると心配になるほどだ。
川は大きく流れを乱しながらも、次第に元通りになっていく。そんな水面から、サーポクを乗せたザブンがぷかりと現れる。
サーポクはぐったりとその甲羅にへばりついている。ザブンはそのまま川から出ると、ふわりと浮いて三人の元へと戻ってきた。
着地したザブンに、キロヒたちは見上げられる。サーポクの介抱を頼む──ではなく、命令する目。さすがは特級精霊だ。
「そんな圧をかけなくても大丈夫ですわ」
甲羅のフジツボになっているサーポクを引きはがす。あれだけ水中にいたのに、まったく濡れていない。それはラエギーが燃えていないのと同じ理由なのだろう。
「耳が……痛かとよ……」
仰向けに草の上に横たえると、サーポクが死にそうな声で呟く。
水中であれだけの爆音が響き渡ったのだ。もし魚がいたとしたら、気絶して浮いていてもおかしくない。水中に逃げていたサーポクたちも、さすがに無事ではすまなかったのだろう。しかし目立った外傷はなく、休養していれば元に戻りそうではある。
「下りてきたぜ」
イミルルセとキロヒがサーポクの心配をしている間も、ニヂロは空を見上げ続けていた。キロヒも同じように見上げると、最初は黒い点だったものが次第に大きくなっていく。真っ赤な身体のツヨイと、肩のラエギーは、ゆっくりと優雅に降りてきていた。
その頭上にあるのは、大きな石の──傘。ツヨイの片腕が持ち上げられ、それが伸びて傘の形になっていたのである。
焼けた石人形が傘を差す。その不思議すぎる光景を、三人は茫然と見上げていた。
「今日の授業はこれで終了だ」
着地したツヨイの肩からひらりと飛び降り、ラエギーも着地した。
ザブンもそれを理解しているのか、地上に戻ったラエギーをじろりと見ただけで、もう一戦起こす気はないようだ。
特級精霊同士のとんでもない戦いにあてられたキロヒは、大きく安堵した。あんな緊張感の連続は、満腹を通り越して腹痛になりそうだったからだ。
「質問をよろしいでしょうか」
「アタシもだ」
知識欲に関して貪欲な二人が、ラエギーに詰め寄る。
「ふむ……いいだろう」
質問は後だと言った手前、受け付けないという選択肢はないのだろう。ラエギーは下ろしていた髪をまとめ上げながらそう答えた。
「この訓練は、サーポクに工夫した戦い方を教えるためのものでしょうか」
「あの腕の筒はどうやって石を撃ち出してるんだ? 何であんなすごい音が起きるんだ? 最後、どうやってあんな高く跳んだんだ?」
ほぼ二人同時に質問し出した。かろうじて聞き分けたキロヒは、その方向性の違いに彼女たちらしさを感じた。
「イミルルセの質問の答えは、半分は当たっているな。有利な場所であっても、頭を使わなければ負ける。冷静さを欠いても負ける。感情による衝動は瞬間的には強くとも、対抗策を講じられ長期戦に持ち込まれれば力尽きる。亜霊域にいる無級精霊も無尽蔵ではない」
髪をまとめ終わり、ラエギーはいつもの教師の姿に戻る。
「その亜霊域というのは……」
「アタシの質問の答えの方が先だ!」
イミルルセの追加を、ニヂロが遮る。
「ニヂロの質問の答えは、火の水の性質と、それがぶつかりあった時の作用を熟知するということだ。ツヨイは見ての通りの火寄りの精霊で、そのままの水は苦手だが……水は熱せられれば気化する。その気化した力を、ツヨイは自らの身体の中に圧縮してため込んで使うことが出来るようになった。その力で石を撃ち出している。音は力の副産物にすぎない。最初に跳び上がる時も似たようなもので、地面に向かって使っている」
ラエギーの説明に、ニヂロはすぐにブツブツと背中を丸めて考え込み始めた。それを横目に、教師が続ける。
「イミルルセの質問は亜霊域、か。亜霊域は、この空間のことだ。君たちが学園に来る時に使ったものや、私が実技室で出したものがそれになる。これは人間と精霊の共同で作られていて、中には材料となる自然物のほかに、大量の無級精霊、場合によっては初級精霊が入れられており、疑似的な自然を構築している。君たちが最初に使ったのは、移動用の初級精霊が配置されていたが、こちらは初級精霊のいない訓練用になっている」
キロヒは、彼女を呑み込んだ大きな竜胆の花を思い出した。あれは初級精霊だったのか、と。あの猪も、あの鹿もそうだったのだろうか。初級にしてみれば大きすぎるように感じた。その疑問は、すぐに解消される。
「霊密も学園の建物外と比較して二十倍以上と高く、精霊にとっては楽園のような場所だ。ここで育った無級精霊は、その霊密ゆえに初級に上霊した場合、通常より大きくなり、力も強い。まあその反面、亜霊域の外に連れ出すと、ほとんど力を発揮できないがな。君たちの精霊が、こうして外に出ていられるのも、この高い霊密のおかげというわけだ。近いうちに霊密の授業があるので、そこでよく学ぶように。そして君たちにも、この亜霊域の小型版を作ってもらうことになる」
霊密だけでなく情報の密度まで濃い。全部呑み込んで消化するまでキロヒは時間を必要としていた。
「キロヒは、質問はなくて?」
イミルルセが話を振ってきたのは、さっき気がせいてニヂロの順番を飛ばしそうになったからだろう。気遣いが染み入る。
キロヒの頭の中には、さきほどの戦いの光景早回しで甦る。
「あ、えっと…あ、降りてくる時の傘は一体何ですか?」
しかし、即興で言葉をたくさん作るのは、キロヒには難しい。ましてや相手は教師。馬鹿な質問をして馬鹿を見る目で見られるくらいなら、最初から黙っていた方がマシである。しかし、あの傘はおそらく二人が質問し忘れている点。あまりに驚く光景だった。
「ふむ……三人もいれば、結構詰められるものだな。傘は中に熱の気を詰めると落下速度を緩やかにすることができる……君たちに火担当はいないだろうが、迂闊に真似はするなよ。成功するまで、骨をへし折ることになる」
無茶苦茶なことをして、いまの強さを手に入れたのだと、よくよく伝わってくる話だった。キロヒは、絶対に自分が真似をすることはないだろうと思った。
「何でそこまで、全部自分の強さをアタシらにしゃべるんだ? 手の内を知られると対策されんだろ?」
そこにニヂロが、心底分からないという顔で口を挟んでくる。それはキロヒも感じていた部分だ。
「むしろ対策をしろ。私たちは精霊士だ。他の精霊士と協力して魔物を倒すのが本業だ。君たちが危険な魔物を倒す戦力になるなら、手の内くらい、いくらでも明かす」
ラエギーは──骨の髄から精霊士であり、教師だ。その惜しみない献身を、いま彼女たちは目の当たりにしている。
己の職務に徹している彼女の心のありように、キロヒはあてられた。
こうなりたいと思っているわけではない。けれど、ラエギーに与えられた教えのひとつとして、大事に抱えていることくらいはできる。
「もう質問はないか? ないなら……」
「最後にひとつお願いしますわ」
「何だ?」
イミルルセが、もう一度回って来た質問の順番に小さく笑みを浮かべる。
「ラエギー先生が戦いの時に髪を下ろしたのは……どうしてですの?」
それは、どうでもいい質問のように思えた。
けれど戦いへの熱を冷まし、もう笑う気配のないラエギーは、授業の時と同じ冷ややかな表情でこう答えたのだ。
「日常と戦いを区別するための、精神的な切り替え器だ……私が教室でうっかり怒り狂うようなことがあれば、君たちが消し飛ぶからな」
消し飛ぶ──それが比喩でも何でもないことを、ついさっき目の当たりにしたキロヒは、背中にとても冷たい汗が流れたのを感じたのだった。




