141.キロヒ、一拍の価値を知る
「うーん……」
最初のキロヒの感想は──クロヤハにどう伝えようか、というものだった。
謎精霊が言った言葉が正しかったとするならば、血筋的にはクロヤハの祖母の妹に当たるからだ。「あなたの大叔母になります」と、真面目な顔で伝える役目を担わなければならなかった。
そもそも、精霊と人間の間に子供が生まれることは、常識ではない。少なくともキロヒは聞いたことはなかった。しかし学園やここは、普通の人間と精霊ではない。精霊の霊骸に人間の魂が入った、絶対に口に出せないが、その成り立ちから「人間の味方をしてくれる魔物に近い何か」というべき存在だ。
精霊とその友人である人間が一緒に死んで完成する形である、ということ。貴重な幻級精霊をこの国に良い形で残すために、わざとそういう方法が取られていること。
そうして一心同体になった存在から、謎精霊は生まれたという。人間の因子が入っているおかげで、このように人間と意思疎通を言葉でできるのだろうか。女性のようなしゃべり方は、人間であるクロヤハの曾祖母からの継承なのか。分からないことはたくさんあるが、本人も「継承かしら」と答えて終わりだった。
"自分のことを覚えていないのも当たり前だわ。私はあの中から生まれたのだもの。気づいたら、あそこにいて学園を見つめていたのよ"
「どうして、それが分かったんですか?」
"ここに来たら、私が生まれたところと同じだと分かったわ。同じものが生まれたがっているのも肌で感じるの"
「どうして、あの亜霊域器が必要なんですか?」
"この中で新しい精霊が生まれ落ちるには、あまりに両親の力が強すぎる。温度が高すぎると鉄だって固まらないでしょう? そういう理屈よ"
さすが図書室で育った精霊である。たとえが分かりやすい。
「なるほど……亜霊域器は溶けた鉄を流し込んで、高温から遮断して精霊を固めて形にするため、と」
"そういうことね"
「あの亜霊域器にした理由が、まだ分かりませんね」
"生まれる子を弱くしたくない、ということかしら。誰がそうしたのかは、私には分からないわ。生まれる前の事だもの"
「そうですね……じゃあここは、普通の亜霊域器でいいのは?」
キロヒはできるだけ、キーに知られない方向で話を進めたかった。
"弱いと、もしもの時に何も守れないのよ?"
鋭い謎精霊の一言が、キロヒの胸を突き刺す。弱くてもいいというのは、秩序や法や環境に守られている側の人間が口にしがちな言葉である。キロヒもそちら側でいたいと思っている。
けれど自分を助けられるのは自分だけ、という危険な時がいつか来るかもしれない。
学園が、いまだに近隣に魔物が発生した際に警報を鳴らすように。この銛の周囲には魔物が近づかないという不思議な現象があるように。人とつながった精霊は、人と共に強くあろうとし、魔物を排除しようとする。
その本能を、人と精霊の間の子である謎精霊も強く持っているようだ。
「ここでは生まれなくてもいい、という考えは?」
"どうして? こんなに生まれたがっているのに?"
またキロヒの胸に突き刺さる。彼女では分からない何かを、謎精霊が強く感じているのは明らかだ。自分と同じ存在に、出会いたいという気持ちもあるのかもしれない。
キロヒはあきらめのため息をつくしかなかった。
ここまで邪魔をせずに、じっとキロヒを見つめながら静かに待ち続けてイミルルセを見て、断片的な会話の全容を説明する。
そんな彼女の背後では、まだビチャウとサーポクが、感激したり飛び跳ねたりしていた。
「来たぞ」
幻級精霊士キーは、一拍と同じくらいの速さで来た。
一度外に出て、船でようやく漁を始めたビチャウの横で、キロヒが連絡板でキーに起きたことの要約を送った後の出来事である。
ビチャウがいきなり船の端に大きく飛びのいたせいで、揺れる船にキロヒはしがみつかなければならなかった。
すぐ近くの空間に大きな指が現れて、その横から毛むくじゃらの顔が突き出された。
突然起きた恐怖体験に、ビチャウは危険と判断したらしく、そんな大きな反応を見せる。キロヒも驚愕はしたものの、毛むくじゃらの顔をだいぶ見慣れたことと、移動の際に霊層から出てくると聞いていたので、驚きの声を出さずにすんだ。むしろ、船がひっくりかえるのではないかという恐怖の方に声が出た。
幻級精霊のゴゴである。空中にその身が完全に現れた後、精霊の横にキーが姿を現した。海に落ちるようなヘマを彼はすることなく、当たり前のような顔で浮いている。
「驚いたとよ」
体つきだけなら、ビチャウの方がよほど強そうに見えるというのに。どうにも幻級精霊に、ビチャウは慣れないようだ。
「キー先生、ごきげんよう」
「ごきげんとよー」
ザブンの上の二人も最初は驚いたようだが、落ち着いたようで挨拶を投げる。
「それで、この銛の中に入るにはどうしたらいい」
しかし、彼は誰の挨拶にも対応する気はなさそうだ。好奇心の塊が、連絡板を見るやすっ飛んできたのだ。よほど気になったのだろう。
「キー先生。その前にお願いがありますの。この銛は、島の大事な守り神ですわ。島の人間以外に荒らされるのは本意ではありませんの。入り方は誰にも話さないでいてくださいますか?」
「学園と同じなら合言葉だな……『美しき海』違う。『青き海』も違うか。もっと人間的なものか」
イミルルセの願いの言葉など、キーは歯牙にもかけていない。さっさと話さないのなら、自力で中に入るべく合言葉を探し出し始めてしまう。イミルルセとキロヒは、視線を交わしてため息をついた。
好奇心に駆られたキーの前で情を説いても、何の価値も感じてもらえない。
キロヒは別の方法を考えた。
「もし、入り方を誰にも話さないと約束してくれるのでしたら、今回明らかになったかの精霊の重大な秘密を話します」
どうせ亜霊域器をお願いする時に、根掘り葉掘り聞かれることだ。それならいっそ、まだ情報を出し切っていない価値の高い間に、彼に売りつけよう。
ぶつぶつと合言葉を唱え続けていた、キーの口が止まる。ひょろ長い、海ではウツボを感じさせる身体をしならせながら、彼は上限の目をキロヒに向けた。
「いいだろう。締結だ。では、まずは合言葉から始めよう」
約束も一拍で終わった。




