132.キロヒ、島の夜を味わう
「よう来たとよー」
「あんちゃんとよ」
サーポクの「あんちゃん」は、筋肉ムキムキの青年だった。縮れの強い黒髪を頭の高い位置で縛って、縛った先に細かい三つ編みをたくさん垂らしている。ひざ丈のズボンだけをはいて、あとは褐色の肌を惜しげもなく晒していた。名前はビチャウ。バサバサのまつげの、気のいいお兄さんだ。
連れている精霊は上級精霊のビュウ。大きなビニニの葉の形に似た精霊だ。小さな帆掛け船を使って一人で漁をするビチャウは、ビュウの風で自由自在に海を駈けるという。
この島は、上級精霊が本当に多い。年齢が高い人は大抵上級精霊の友人だ。海に囲まれた島ということで、常に周囲には魔物が跋扈しているため、海に出る者は自然と強くならざるを得ないのだろう。
初めてこの島に大陸から人間が訪れた時、きっと驚いたことだろう。出しっぱなしの精霊の中に、上級以上がゴロゴロいるのだから。
夜は青いビニニの蒸し焼きと、ビチャウの獲った魚を焼いたこの島らしい夕食となった。青いビニニの蒸し焼きは、とろける芋と呼んでいいだろう。大きな魚は焼き上げた後に、陶製のナイフで見事に五枚におろされ、骨のない状態でビニニの葉の上にのせて差し出される。
「ルルとおんなじにしたとよ」
ビチャウの心遣いを、キロヒはありがたく受け取る。サーポクを始めとする島組はそのまま魚にかぶりついているが、それはキロヒ向きではない。
この島でのイミルルセの初日は、きっと苦労したことだろう。一匹まるごとの魚を差し出されただろうから。イミルルセがそっと、木で作ったらしいフォークを差し出してくる。自分も困ったことはキロヒも困ると思って用意してくれていたのだ。キロヒの女神がここにいた。
しかし、飛び入り参加の少年たちの分まで用意ができていなかったようで、少し申し訳なさそうに彼らを見ている。
ビチャウが「木ぎれ、いると?」と聞くと男子組が両方とも頷く。すぐさま二人は自前のナイフで、簡単な匙を作り食事を始めた。
「陸の子は大変とよ」
「サーポクも使えるとよ。学園では上手に食べよるとよ」
「そうは見えんとよー」
笑い合う家族の姿は見ていて心地よく、キロヒも笑顔になっていた。羨ましいとか妬ましいとかいう気持ちはわいてこない。家族が欠けているのは明らかで、彼らが不幸を知らないわけではない。それでも日々を楽し気に生きている姿は、キロヒの心の慰めにもなった。
そんな陽気で幸せな食事が終わる頃、どこからかキロヒの知らない楽し気な旋律の曲が流れて来る。素朴な笛に似た音。それと太鼓の音も。
するとビチャウはいそいそと家の中に入り、そして何かを持って出てきた。素焼きの陶器で作られた、丸みのある笛だ。
ビチャウが吹き口をくわえて、合いの手のように旋律で追いかける。すぐにあちらこちらから音が追いかけてきて合奏が始まった。
家の距離的に、笛の音がここまではっきりと届くのは難しいだろう。しかし、風の要素を持つ精霊がいれば話は別だ。精霊が音を届けてくれる。
サーポクの祖父は座ったまま、両手だけで楽し気に踊る。ビチャウは両手が笛でふさがっているので、足だけで身軽に踊る。サーポクは全身空いているので、手を空に掲げ裸足で生き生きと踊り出す。
イミルルセは座ったまま老人を真似て手で踊る。島に来てから、もう何度もそうしてきたのだろう。夜の焚火の前では、イミルルセの白い手もサーポクの褐色の肌も、夜と焚火色に染まっていた。
彼女の視線が、キロヒもどうぞと誘ってくる。手がくるりくるりと表に裏にかわる様は、見ている分には楽しいがやれと言われると困る。片手だけで「こう?」と真似て動かそうとしても、見て、考えて、真似をするという時間の流れのせいで、キロヒの動きは必ず遅れてしまう。慣れない拍子に乗り切れない。
「こうとよー」
生まれた時から踊ってますという顔で、サーポクが右手左手右足左足と違う動きを始める。水を得た魚もとい、踊りを得たサーポク。学園では絶対に見ることのできない、故郷のサーポク。キロヒは踊りも忘れて、炎に照らされながら跳ねるスミウを見ていた。
祭りでも何でもない夜。これが島の日常だと言わんばかりに、楽しくゆっくりと夜の時間が過ぎていった。
「キロヒは、この島は気に入りまして?」
夕食後、イミルルセとキロヒは携帯寝具の亜霊域器に入った。サーポクは家の方で寝ると行ってしまったので、ここには二人だけ。
中は狭い部屋がひとつと扉が三つ。扉のひとつが清潔室で、ひとつがトイレだ。もうひとつは備蓄庫。床にはそのまま飲料に使うことができる水が入った大きな瓶が二つ。椀と柄杓もある。棚の上には携帯食料の木箱が並んでいる。
携帯寝具という名ではあるが、さすがに寝台はない。
ふっくらとした寝袋が三つ置いてある。初期では二つしか置いてないらしいが、イミルルセが協会で申請した時にひとつ追加してもらったという。スミウ三人で寝る時があるかもしれない、と。
「サーポクの生まれ故郷だなあと、よく分かりました。携帯寝具もあるのでやっていけそうです」
気に入ったかという質問への返事にしては、少し遠回しな答えになる。何もかもが違いすぎるので、まずは馴染むところからだ。
「そうなんですの。サーポクの踊りを初めて見た時は、キロヒがどうして今ここにいないのかしらと思いましたわ」
連絡板で伝えようとも思ったらしいが、これは是非その目で見てほしいと、イミルルセは我慢していたという。
楽しい驚きを共有したい相手としてキロヒが指名されたことで、彼女はとても上機嫌になっていた。
「いつかニヂロも……と思いましたけれど、ニヂロがここでどういう態度を取るか、まったく想像がつかないんですの」
しかし、ただ一人ここにいないニヂロの話に変わって、キロヒの上機嫌がしぼんでいく。
ニヂロとキロヒは、連絡板を分け合って持っている。だから連絡を取ろうと思えば取れはする。けれど向こうから連絡が来ることもなく、キロヒが送ることもない。
「ビニニを指輪に詰め込んで、どうやって高値で売るかを考えている姿しか思い浮かびません」
キロヒの頭の中にすむニヂロは、そういう人だ。イミルルセは、それに小さく笑った。
「きっとそうですわね」
ニヂロの話はそこで終わり、キロヒとイミルルセは寝袋の中で眠りに落ちるまで、ここまでの休暇の体験を語り合ったのだった。




