130.キロヒ、島に立つ
「シテカ、島に向かう前に協会で携帯寝具の申請をしてくださる? もし指輪に入らないようなら、サーポクに預かってもらいますから」
島に招待してくれるのはサーポクだが、そのための最良の準備を手伝うのはイミルルセだ。キーはユミを押し付けるや、さっさと消えてしまった。
「携帯寝具?」
「ええ、学園の生徒でも精霊と鍛錬を行う目的であれば、協会から貸し出し許可が出ますのよ。私がラエギー先生にスミウの故郷についていけるか、と聞いたことがあるのを覚えてらっしゃるかしら?」
シテカより先に、キロヒが頷いた。
『可能か不可能かという話ならば……可能だ』
ラエギーの返事が奇妙だったからだ。
「あれは精霊の鍛錬を目的としていれば許可が出ますの。そのおかげで、協会から携帯寝具の貸与と携帯食料の支援の許可が出ましたの」
「離」が流行する前の旧来の鍛錬は、ほとんどが自然の中で行われていた。その際、精霊士の不便を減らすために携帯寝具の貸与、があるという。限りなく小型化された、人間が入れる亜霊域器だ。中は二、三人が寝られる程度の広さしかないが快適な気温で、トイレと清潔室などもついている。
キロヒはイミルルセの借りた携帯寝具を利用することになった。追加の携帯食料の申請だけでいい。
シテカの申請する携帯寝具は、ユミと共用になる。協会に所属していないというのは、こういった面では不自由だ。
「食料はたいていは島でいただけるから、携帯食料は補助的な位置づけですわ。全員の携帯食料を均せば、ユミさんの十日分には余裕でなりましてよ」
久しぶりのイミルルセだが、相変わらずのイミルルセでもある。あっという間に、快適な島生活の流れを完成させた。
それから協会で、島に行く船の往復便を申請する。四人分だ。イミルルセ、サーポク、キロヒ、シテカの四人分だとすると、ユミの分をどうするのか。こんなことなら、キーにユミの経費を請求しておけばよかったとキロヒは後悔した。
「大丈夫でしてよ」とイミルルセが微笑んだので、何かいい手があるのだろう。
ユミがイミルルセを見る目が、明らかに変わったのが分かる。デキる人間を見る目だ。キロヒは友人のことながら、心の中で鼻高々になっていた。
船は明日の早朝出る。
女子組は、今夜は協会の亜霊域器の宿舎を使う。男子組はユミがいるので砂浜に携帯寝具を出して休む予定になった。
キロヒは話したいことがいっぱいあった。しかし慣れない環境での訓練で疲れ果てて、早い時間に寝落ちしてした。
翌早朝。港で集合した五人を待っていたのは、中型の精霊帆船。協会も出資している商会の船だ。人と物資の輸送に使われるが、複数の精霊で運行する型である。キロヒたちを除いて、五人ほどの商人風の乗客が港に集まっていた。
この精霊とは、正式な精霊士ではない。学園に入園しなくても、地方には在野で上級精霊に上霊した人たちがいる。もしくは学園に入園したけれども、精霊士の条件を越えられず、後に上霊した人もいる。
そういう人たちにより、船は運航されていた。大型船の長距離運航の場合は、協会から精霊士が派遣されることもある。
「おろ、もう島に戻るのか?」
「戻るとよー」
「またよろしくお願いいたしますわ」
「サーポクがいれば楽ができるから大歓迎だ」
毎日太陽に焼かれている褐色の肌の船員たちが、サーポクとイミルルセに気軽な声をかける。乗船の際、イミルルセがまとめて差し出した券は四枚。
「いち、にぃ、さん……四枚でいいのか?」
乗組員の怪訝な顔に、キロヒはどきりとした。イミルルセが、この局面をどう乗り切るのか詳細を聞きそびれていたのだ。
イミルルセはにっこりと微笑んだ。
「ええ、サーポクは船に乗りませんもの」
「ザブンに乗るとよー」
背中から降ろしたザブンの甲羅を持って、意気揚々とサーポクが宣言する。この海を渡るのに、サーポクに船はいらないのだ。
何を食べたら、こんな計算ができるようになるのだろうかと、キロヒは感嘆を隠し切れないままイミルルセを見た。
乗船四名。船外一名。
そんな変則の組み合わせで、船は出航することとなった。
「わあい、とよー!」
海の上を、船とザブンが滑るように進む。精霊による追い風に膨らんだ帆は、ぐんぐんと船を前方へと押し出す。
それだけではない。舳先から前方を見ると、船の前方だけ海に切れ目が入っているではないか。キロヒは三度見つめ直した。間違いない。おそらくサーポクが、船をより早く進めるために海に干渉しているのだ。本来、舳先で海水や波を裂きながら進む船の前に、専用の道が作られている状態である。大きな揺れを感じないまま、船は高速ですっ飛んでいく。
そんな船の横を、やはり高速でザブンが進み続けている。甲羅に乗ったサーポクは、ずっと上機嫌で歓声をあげ続けている。
ぼそりとシテカがこう言った。
「船すごい」
「これを普通の船と思ってはいけませんよ、シテカ」
すぐさまユミの指摘が入る。少なくとも常識的な船がどういうものか、彼は知っているようだ。よかった、とキロヒは胸を撫でおろす。シテカの船についての知識が、大きく歪むところだった。
そんな高速の船の周囲で、時折黒い何かが跳ねることがある。しかし何であるかキロヒが確認するより早く、それは吹き飛ばされて散って行く。
キロヒが頑張って戦った魔物程度など、ザブンにかかれば鼻息程度で片付けられるのだろう。
そんな高速の精霊船は、昼にはサーポクの故郷の島へと到着する。本来は夕方の到着らしい。倍の速度で海を渡ったということだ。
昨日の夜に送った連絡から、彼女たちがどうやってあの時間に港に到着していたのか、その理由がよく分かった。
「いやあ、楽だったわー。やっぱ特級精霊はいいなあ。サーポク、明日の朝も一緒に行かねぇ?」
「行かんとよー」
「残念だー」
今日の仕事があっさり終わった船員たちが、笑顔で彼らの下船を見送ってくれた。
小さな港に立つと、既にもう香りが違う。海の潮風に紛れてうっすら甘く青い匂いが漂ってくる。
港に詰まれた木箱。蓋が閉まっているものからも、空っぽのものからも、同じ匂いが染みついている。学園で、こっそりサーポクが食べているビニニと同じ匂いだった。
植物で編んだ風よけの壁が海側に立てられており、その壁を抜けると明るく素朴な景色が広がっている。
子供はみな裸足。大人も半数は裸足。うら若い褐色の肌の乙女たちは、島で流行しているのか草履の鼻緒だけを鮮やかな色の布にしていて目を引く。
そして何より港との違いがはっきりしているのは、ほぼ全員が当たり前のように精霊を見せていることだ。
肩に、頭の上に、服にしがみついていたり、髪の間から外を眺めていたりする。
精霊は中級までは、どこなりとに隠しておける。神殿の教えで、そうするように言われたというのもある。
子供の中には言うことを聞かずに、自慢のために精霊を見せびらかす子供もいる。それが他の子との喧嘩やいじめの原因になることもあったり、神官の言うことを聞かない子として、学園の推薦候補から外されたりする。
大人であっても、仕事をする時だけ顕わすというのが普通だ。
しかし、この島は違う。神殿の影響が薄く、原初から続く精霊との身近な関係を体言していた。
たまに大きな精霊を連れた老人とすれ違って、どきりとする。あれはもしかして特級ではないのか、と。
みな陽気な笑い声をあげ、大きな声で話をしている。それが昼の太陽に照らされて、きらきらと眩しくキロヒの目に飛び込んでくる。
サーポクが生まれ育った場所だなあ──キロヒは全身でそれを味わった。




