129.ニヂロ、再会する
「ねーちゃん!?」
「げっ」
一つ下の弟との再会は突然だった。
雪山へは明日の早朝から動こうと思っていたニヂロは、突然手に入った金銭を手に町へと繰り出していた。
連絡板を四対、売った対価である。学生である彼女は、直接販売したわけではない。協会が大人の知恵を絞った見事な迂回路を使っただけ。協会とはいえ、さすがは北方の連中が多い地域だ。話が早い。
世の中、こういう風にできているのだ。子供の頃からあらゆる不公平を、いやというほど見て来たニヂロが手に入れた真理のひとつが、馬鹿は損をする、というものである。
神殿での勉強に何の意味があるのかと、最初の頃はニヂロも思っていた。しかし文字と計算を覚えると、まるで世界が違って見えた。
悪党が、はっきりと目に見えるようになったのだ。
村に行商にきている商人は、人によって売値を変えていた。正確に言えば、合計金額やお釣りの計算で買い手を騙していたのである。
しかも、最初は少しだけ多く取って様子を見るのだ。そこで相手が「間違えている」と言えば「すまんね」と殊勝に謝っているフリをして差額を返し、その相手には次からは正しい値付けを行う。
計算が苦手な馬鹿は、どんどん持っている金を商人に吸い上げられる。それに気づいてさえいない。そしてそういう奴は、決まって貧乏なままだ。
ニヂロのロクデナシの両親など、その極みだった。
怠け者で、神殿で真面目に学ばなかったせいで学もない。学がないから先のことも考えないで、食わせられもしないのに七人も子供を作った。三人は病気か事故で死んだ。
残った四人の子どもたちは毎日飢えていて、やせた畑でひたすらに仕事をさせられた。神殿での勉強などいらないと言われた。
それに反旗を翻したのが、ニヂロである。
最初はただの反抗心だった。親の言うことを聞くことが正しいというのなら、どうして自分はこんなに飢えているのか。どうして親は周囲の人間に嫌われているのか。どうして嫌っている人たちの方が、まともな生活をしているのか。
だから仕事を放り出して神殿に行った。
誰よりも汚い服のニヂロが神殿に入ってきた時、他の子どもらは顔を顰めた。けれど、神官だけはニヂロに席を勧め、彼女に精霊のことと読み書き計算の大事さを教えた。
その日、家に帰ったニヂロは父親に殴り飛ばされた。言うことを聞かなかったからだ。
次の神殿での勉強の日、やはりニヂロは仕事を放り出した。また殴られた。
次の神殿の日は、納屋に閉じ込められた。ニヂロは、やっぱり親は馬鹿だと思った。これで彼女は神殿には行けないが、働かせることもできない。何も生み出さない無の時間を与えられただけだ。
ニヂロは習った文字や数字を、地面に書いて復習に時間を使った。
「これで分かったか」と馬鹿な父親が言って納屋から出したが、次の神殿の日はやはりニヂロは仕事を放りだした。また殴られた。
「ねーちゃん、殴られるんだからやめなよ」
すぐ下の弟に対し、頬を腫らしたままニヂロはこう答えた。
「あいつらの言うことを聞いて、金持ちになれると思うか? アタシは思わない」
「……」
弟は黙った。
ニヂロは殴られたり閉じ込められたりしながら、勉強を続けた。そしてツララに出会い、友人になった。親兄弟に精霊を見せず、ニヂロは神官から聞いた精霊士を目指し始めた。
少し前に、両親が話していたのを聞いたからだ。
「ニヂロは何の役にも立たねぇ。言うこともきかねぇ。しかもあんなガリブスじゃもらい手もねぇだろ。はした金にしかならんだろうが、売っちまうか」
学があるだけではダメだ。ニヂロが決意した瞬間だった。
ニヂロは金の卵を産む鳥にならなければならない。そうすれば将来自分たちに金を運んでくると、あの馬鹿たちを騙してここから飛び立てると。
ニヂロが必死に伸ばした手で、掴もうとしたのが精霊士養成学園に行くための推薦だった。それを手にするためなら、ニヂロは努力を厭わなかった。
そして、村長の娘に刺された。勝ったと思った瞬間だった。
ニヂロは馬鹿な親の元を飛び立った。精霊士になったとしても、絶対に仕送りなどする気はなかった。帰るつもりもなかった。弟妹のすがる目も振り切った。
「ねーちゃん!?」
「げっ」
そしてこんなところで、ニヂロはすぐ下の弟と再会した。
「何でこんなところにいるんだ?」
「こっちで働いてる」
齢十一。まだまだ貧弱な身体の弟だが、あの村にいた頃よりは服装はまともだった。
聞けば、ニヂロが刺され一時的にあぶく銭が両親に入った。そしてニヂロが学園の権利を手に入れ、金の卵となったことにより、馬鹿な両親はそれを成功体験として受け入れてしまったのである。
弟妹にとっては、ニヂロという成功例を知ることが出来た。弟妹は考えた。神殿で勉強すれば、自分もここから逃げられるのではないか、と。
だから弟妹は、神殿に通いたいを告げた。時は彼らに味方した。ニヂロの成功体験に気を良くした親が、それを許したのである。
弟妹はがむしゃらに学びを貪った。特にすぐ下の弟は、兄弟の中で学び始めるのが遅いことになる。死ぬ気で学んだという。そして去年、農産品を仕入れに来た中堅の商人に自分を売り込んで、あの村を飛び立ったのだ。
他の弟妹については知らないという。逃げたければ、自力で何とか逃げるしかない。ニヂロもそうだったし、この弟もそうだ。
「ねーちゃんは、何でこんなところにいるんだ?」
実家に近いという意味では、確かにこんなところだろう。弟は絶対に姉が帰ってこないと信じていたに違いない。
「精霊の訓練だ。寒いところでないと、訓練にならねぇんだよ」
「ふうん。お金は稼げてるの?」
「学生だぞ、稼げるワケないだろ」
さっき手に入れた金のことを言うほど、ニヂロは馬鹿ではない。
「じゃあ、いまはオレの勝ちだね」
ズボンのポケットから小さな革袋を取り出して、チャラリと軽い音を立てる。彼女の弟は馬鹿だった。
「バカ、出すな。しまっとけ」
「ねーちゃんに、串焼きの一本くらいは奢れるぜ」
「いるかよ、メシくらい協会で出るわ」
「……感謝してんだ、オレ。ねーちゃんが殴られても殴られても神殿で勉強してくれなかったら、精霊士の学校に行かなかったら、オレは死ぬまで馬鹿のまま、親父たちにコキつかわれてた」
「お前のためじゃねぇよ」
「うん、知ってる。ねーちゃんは自分だけ助かろうとしてた。でも、ねーちゃんが勝ったから、あの馬鹿野郎たちが騙された。だから、オレもオレだけが助かろうと思った。商人のおっちゃんにもらったシタク金をくれてやったら、またあいつら騙されやがった。弟や妹が馬鹿じゃないなら、自分で逃げ切るさ。ねーちゃんやオレを見てるんだから」
二年やそこら会わなかったくらいで、弟はたくましくなっていた。もう殴られるからやめろという、弱虫はそこにはいない。
結局ニヂロは、弟に奢らせなかった。
「うまいこと金持ちになれよ」
「ねーちゃんもな」
姉と弟の別れの言葉はそれだけだった。




