122.キロヒ、無能を知る
シテカの精霊ツムギの糸により、魚型の魔物は動きを封じられた。
しかし、それは完全な捕縛ではなかった。蜘蛛の巣に絡まったまま、魔物は暴れるのをやめようとはしなかった。ビチビチと身を跳ねさせながら、ツムギの方へと近づいていく。
魔物は精霊を食べたい。精霊を食べることによって強くなると、本能的に知っているのだろう。
キロヒは蜘蛛の巣で助けられた恩義を返そうと頭をひねったが、クルリには攻撃的な手段がない。ありはするのだろうが、そんな目でクルリを見ていなかったために思いつかない。
学園でのぬるま湯生活が、肝心なところで足を引っ張る現実に歯噛みする。
しかしそんなキロヒの歯噛みなど、無駄な時間だとシテカは行動で示す。何の言葉もかけていないというのに、ツムギは暴れる魔物の上に飛び乗り、数の多い足を振り上げた。
上から三番目は釘の足。それを魔物の眉間に突き刺す。
一番上はナイフの足。それを魔物の首、もといエラの辺りに走らせる。
獣であれば眉間を穿たれ、首を切られては生きてはいられない。魚をよく知らなくても、生き物の命を奪う方法を知り尽くしている技だ。
魔物に効力を発揮したのは、おそらく眉間の傷。しばらく痙攣していたが、魔物は動かなくなった。
シテカは網を外すことなく一度強く魔物を蹴りつけて、本当に命がないのか確認を怠らない。弱ったふりや死んだふりを彼は許さない。
そうしている内に、次第に魔物の形が曖昧になってゆく。輪郭から空気に溶けるように薄れて消えていく。魔物が自然に戻っていく姿を見て、キロヒは霊骸と動物の魂が循環していくとは、こういうことなのだと初めて知った。
そんな彼女の感傷的な気持ちを味わう時間など、やはり幻級キーは許してくれない。
「来るぞ」
シテカの発した一言が、彼女をはっとさせる。
海を見れば、ゴゴが次の魔物を浜へと放り投げるところだった。まださっきの反省もできていなければ、今後どう改善していくのかも決まっていないというのに。
またしてもシテカが蜘蛛の巣で捕らえる。
"任せなさい"
網の中で跳ねる魔物に、謎精霊が答えるやいなや、クルリが木の足で飛び乗るではないか。
その足を、ぐりっとエラの中にねじ込む。思わずキロヒは悲鳴をあげそうになったが、引き抜かれた足に血がついているわけでもない。
動物ではなく魔物なのだと、その違いを理解している間に、魔物は息絶え──溶け始める。
また次が飛んでくる。網とトドメを協力しながらシテカと繰り返していたが、同じことばかりの繰り返しだと油断していると、蟹型が飛んできた。
その両腕のハサミで編を切り、砂浜に這い出してくる。
水がなくとも動きに大きな制約がないその身体は、クルリに迫る。両目の横についたフジツボのようなものから水を噴射し、ハサミを振り上げる。
その時、両側から尖った何かが魔物を貫く。
右からはツムギの釘の足。
左からは黒い何かが、わずかだが刺さっていた。
思わずキロヒが左を向くと、ユミがその手に木の枝を持っていた。何をしているのかに気づくのに、少し時間がかかった。
そしてようやく理解した。
影だ。
ユミは本当に木の枝で刺したわけではない。枝の影を、刺すように魔物の影に当てていただけだ。しかし、実際に魔物を傷つけていた。それが影の精霊──アワレの力の形なのだろう。初級ゆえに、その力はまだ弱い。しかし確実に戦う方法を、ユミは見出している。
「……」
蟹型の魔物を仕留めたシテカが、使っていたツムギの網を切ってユミに放り投げる。ユミもまた無言で受け取る。
一体何のためにとキロヒが見守っていると、ゴゴがまたしても次の魔物を浜へと放り投げる。星型の魔物だ。
右のシテカの網が──飛ばなかった。
驚いていると、左から黒い網が飛ぶではないか。ユミが飛んでくる魔物の影に合わせるように、蜘蛛の網を投げたのである。
それは魔物に絡んだ。しかし、一瞬で消滅した。おそらく距離がありすぎた。初級のアワレでは、まだユミからほとんど離れて活動できない。影を使って真似るのが精一杯だ。
網にとらわれなかったため、薄っぺらい星型の魔物がクルリににじり寄って来る。跳ねる敵ではないと分かったが、足の近距離攻撃しかまともな攻撃手段を思いつけないキロヒは、拘束されていない魔物に迂闊に近づくことができないでいた。
ツムギが上からナイフの足で切りつけるが、見た目以上に硬いようで表面に傷をつけるだけだった。
シテカは冷静だった。
ツムギの二番目の鉤の足を、薄っぺらい星型と浜の間に滑り込ませて跳ね上げる。まるでフライパンの上の肉のように裏返されながら落ちてくる。
砂地を跳ねたのはツムギ。落ちていく魔物の上を取ると、ナイフの両腕を裏側にある口らしき場所へとねじ込みながら落ちていく。
砂地に魔物が落ちる時には、その口内にはツムギのナイフが突き立っていた。見ると、小さな黒い影も突き立っている。すぐ側にはユミが立っていて、木の枝の影で刺していた。
いまはまだ、アワレの力に致死の威力はない。
しかし影の精霊が成長さえすれば、確実に息の根を止める力になるだろう。
実戦が初めてのシテカの恐ろしい戦闘能力と、実践どころか精霊と付き合うことですら、初心者の初級精霊の友人ユミの戦闘勘に、キロヒは恐れ慄いた。
クルリが活躍したのは、謎精霊の補助によるものだ。彼女の意思では、まったくうまくやれていない。
キロヒは知った。
戦闘において、自分があまりにも無能力であることを。




