67、レネピリカの契約
「王妃宮という場所があるのでしょう? 是非見させて頂きたいわ。どういう場所か見ておきたいもの」
「申し訳ございません。王妃宮に立ち入る事が出来るのは、正式に国王陛下と婚姻関係を結んだ方のみでございます。おいそれとお客様をご案内出来るような場所ではございません。ご理解の程をお願い致します」
おっとりした顔で無茶な要求を突き付けるユーレイアを、今日も侍女長がサラリと躱している。
どうやら彼女の中では、王妃となるのは確定事項になっているようだ。涼しい笑顔の侍女長に止められて、少し不満げな顔をしている。
こうしたやり取りは、聖国の面々が到着してから頻繁に行われていた。
内心もううんざりしているだろうに、それでも笑みを崩さず、要求をも跳ね除ける侍女長の手腕には感心するしかない。
しかし、聖国の問題だけにかまけている暇は無かった。
聖女一行は侍女長を筆頭とした聖国対応班に任せ、流星祭の儀式の準備に入る。
***
儀式は、流星祭の式典の前夜に行われる。
場所は王宮の最深部、いつも厳重な結界と警備に守られ、儀式の時以外はそこに立ち入る事すら許されない『レネの寝所』と呼ばれる間だ。
「オレらは此処で待機してるんで、行ってらっしゃーい」
部屋の前で、ノイス達と別れた。
儀式に立ち会えるのは、ごく少人数に限られている。
今回立ち会うのは、リューイリーゼと護衛としてアーカルド、そして宰相と魔法師団長の四名だ。
それ以外の面々は、扉の前で待機する事となる。
ラームニードは勿論の事、付き従うリューイリーゼ達も揃いの黒地に白の刺繍で紋様が描かれた法衣を見に纏い、『レネの寝所』へと入った。
中は、広めのホールだった。
その中心部の石床に大きな魔法陣が描かれており、その中に不思議な文字と紋様が目一杯に書き込まれている。
魔法陣の周囲六箇所に蝋燭の火を灯し、蝋燭と蝋燭の間に酒を注いだ小さな器を置いた。
決められた作法に則って準備を進め、儀式を始める。
ラームニードは小刀で自分の右手の親指を傷付け、その指を魔法陣の中心部に押し当てた。
それと同時に彼の右手に刻まれた魔法印が光り、魔法陣が中心から外側に向かって、徐々に輝いていく。
「『境界の狭間に住みし者達よ、我が声を聞け。我はレネピリカの血を引きし者。レネピリカの遺志を受け継ぎし子、ラームニード・ロエン・フェルニスなり』」
その呼び掛けに答えるよう、蝋燭に灯した炎が勢いを増し、大きくなる。
窓も無いのに魔法陣を中心として大きな風が吹き荒れ、目を開けるのもやっとだ。
「『フェルニスの子らに力と幸運を。そしてフェルニスの大地に平穏を。古き盟約と契約に従い、我が存在を持って、古き盟約と契約の継続を為さん』」
──その時、リューイリーゼは確かに見た。
ラームニードだけしか居なかった筈の魔法陣の中に、黒い人影のようなものが現れたのだ。
黒い人影は、膝を付いた状態のラームニードの顔を上から覗き込む。
魔女は人ならざるものの力を借りて、魔法を行使するらしい。
目の前に今いるのがまさにその『人ならざるもの』なのだ、とリューイリーゼは信じられない思いで目の前の光景を見つめていた。
何となく、気付いた事がある。
この儀式が公にされない理由を、そしてラームニードの『レネピリカの血を引きし者』という言葉の意味を。
(……王家の血を引くものしか『ピーリカの祝福』を与えられないのは、それはきっと……)
その時、声が聞こえて来た。
『──ああ、嬉しや嬉しや。また逢えた』
不思議と男のようにも女のようにも、そして老人のようにも子供のようにも聞こえるその声は、ラームニードを心底愛おしみ、懐かしんでいるようだった。
それに呼応するかのように、周囲の炎もまるで踊るように大きく小さく動き、魔法陣の光も強くなっていく。
『───我が友に幸あれ』
黒い人影がそう言って、ラームニードの耳元で何事かを囁く。
──すると、
「余計なお世話だ! とっとと帰れ!!!」
ラームニードは何故か顔を真っ赤にして叫んだ。
ヒョヒョヒョ、という黒い人影の奇妙な笑い声が室内に響いて──そして、唐突にパッと消えた。
あれだけ吹き荒れていた風や蝋燭の炎、周囲に置いた酒でさえその器を残して綺麗サッパリと消えている。
最後に残っていた魔法陣の光も、ラームニードが手を離せばその輝きを失っていった。
「契約は為された。問題は無い」
「無事に終える事が出来たようで、何よりです」
ごく普通に会話をするラームニードと宰相に、まるでこの世のものでは無いような光景を目の当たりにして呆けていたリューイリーゼは、ハッとした。
立ち上がって魔法陣から出て来るラームニードに慌てて近寄ると、その姿がふらりとよろめいた。
すかさず彼を支えたのはアーカルドだ。
「大丈夫ですか!?」
「……案ずるな、いつもの事だ」
ラームニードの顔色はこれまでに見た事が無い程、白い。
儀式はラームニードの血と生命力を使うものとは聞いていたが、これ程酷いものだとは思っていなかった。
リューイリーゼは眉を下げながらも、小刀で切ったその右親指の処置をする。
魔法陣の様子を確認して頷いた魔法師団長が、「その……」と訊いて良いものか躊躇うような様子で尋ねた。
「いつもとは少し変わったようなご様子でしたが」
「ああ……二つ程言われた事があるのだが」
そう気不味げに、ラームニードがリューイリーゼの方をチラリと見た。
「……奴らはとにかく人を揶揄う事が好きなのだ」
「……ああ、成程……」
「…………面白いといえば、面白いかもしれませんね」
「面白いって何ですか、失礼な」
何だか納得した様子で、宰相らもリューイリーゼを見たので、思わずムッとする。
どうやら自分に関するらしいが、その言い方ではまるでリューイリーゼが面白い生物であるかのようではないか。実に心外だ。
「それと……身の程知らずな聖女について、少しな」
「何か仰っていたのですか?」
ラームニードが、ニヤリと笑った。
「────敵は既に術中にある、と」
こんな感じだった。
『好きな子いるんだって? いや、照れんなって。良いから早く告っちゃえよー!』
「余計なお世話だ! とっとと帰れ!!!」