43、弟の憤り、姉の幸せ
「それに悪いんだけど、流石にお金目的の愛人契約とかだけは避けたかったというか……」
「あの父さんと母さんが、姉さんにそんな事をさせる訳ないでしょ! 誰がそんな事言ったの!!?」
ジュリオンは、最早掴みかかってきそうな勢いだ。
相手の名を聞き出そうとしてくるのを、「もう終わった事だから」と宥める。
フェルニス王国では一夫一妻制であり、また基本的に学院を卒業する年齢である十八歳以上での婚姻が推奨されているが、愛人契約はまた別だ。
特に立場の弱い下位貴族の令嬢は、名目上『行儀見習いの使用人』として雇われてはいるが、実際のところは愛人と遇されているという場合もあるらしい。
貴族社会の闇とも言える。
行儀見習いが出来るようになる十五歳に差し掛かった時のリューイリーゼには、実際そのような誘いが幾つか持ち掛けられていた。
曰く、娘を愛人として差し出すのなら、カルム子爵への支援を約束する、と。
本来ならば、家の為にその身を捧げるのが、貴族に生まれた者としての正しい有り様なのだろう。
けれど、両親は娘にそんな事をさせたくないと、必死に守ろうとしてくれた。
その事で彼らを煩わせるのを心苦しく思っていた所に交付された『王宮侍女募集の知らせ』は、正しく渡りに船の状態だった。
王宮に勤める事は名誉な事であり、その才能を王家に期待されているという事に他ならない。
そんな人間を、ただの『愛人』として寄越せなどと言える訳がないからだ。
「……姉さんはいつもそうだ。全部勝手に決めて」
ジュリオンは深いため息をついた。
「姉さんのおかげで僕は学院に通えた。姉さんの仕送りのおかげで、助かった面もある。その事は勿論感謝してる。……でも僕は、姉さんを犠牲にしたかった訳じゃないんだよ」
「ジュリオン……」
姉を犠牲にしてしまった事、そしてそれによって楽しい学院生活を送れている事実に対しての罪悪感、何も出来なかった己への苛立ちと焦燥感、何も話してくれない姉への嘆き。
リューイリーゼと同じエメラルドの瞳は様々な感情が混ぜこぜになっている。
「今回の事だってそうだ。急に『王付き侍女になる』って手紙が来てさ、僕と父さん達は本当に心配した」
「う……」
呪いの所為で緊急を要したとはいえ、突然リューイリーゼが王付き侍女となると知った家族は、それは驚いただろう。
なんせ、あの噂の『血塗れの王』の専属だ。しかも、その王は呪いがかけられているという。それは心配にもなるだろう。
「しかも遺書紛いの手紙まで!」
「ごめんなさい……」
「その上、その職場は男の人の服がハジけるんでしょ!? どういう職場だよ!!」
「本当にごめんなさい……」
最早、言い訳のしようもない。
事実でしかない事を言い立てられて、リューイリーゼはただただ謝罪した。
仕方がなかったとはいえ、これは完全に事後報告で済ませてしまったリューイリーゼが悪い。
「不敬な事を言っているとは思うけど、幾ら国王陛下が尊いお方だと知っていても、流石に年頃の娘が裸の男を世話していますと言われたら、そりゃあ家族としたら心配にもなるよ。婚期が遠のくっていうのも」
「そうだよね……」
「本当に、それは姉さんがやる必要はあるの? 姉さんじゃなければ駄目な仕事なの? 王付きが名誉な事だっていうのも分かるし、結婚が全ての幸せだなんて言うつもりもないよ。けど、姉さんがわざわざそれを遠ざけてまで、やらなきゃいけない事なの?」
その真摯に訴えかける眼を見て、リューイリーゼは胸が締め付けられる思いになる。
「父さん達は姉さんの好きにしろ、って言うだろうけどさ。僕は姉さんに幸せになって欲しいんだよ。今まで苦労してきた分、誰よりも」
リューイリーゼと同じ母譲りのエメラルドの瞳に映るのは、紛れもない心配だ。
昔から、優しい子だった。
少し気が弱い所もあるけれど、リューイリーゼに危険が及んだ時は何が何でも守ろうとしてくれる家族思いの子だ。
目の前の弟は、本気で自分を心配している。
心から、自分の幸せを願ってくれているのだ。
──だけど。
「心配してくれてありがとう、ジュリオン」
彼にそこまでの心配を掛けてしまった事を申し訳なく思いながらも、告げる言葉は決まっていた。
「でもね、私は今幸せなの。仕事は楽しいし、それに……」
その役目が自分以外には出来ないだなんて、驕り高ぶったような事を言うつもりはない。
けれど今、ラームニードはリューイリーゼを望んでくれている。それだけで、もう充分だった。
「本当は、私じゃなくても良いのかもしれない。けど、今私は望まれてあの場にいる。その事が、嬉しくて堪らないの」
例えそれで婚期が遠のこうとも、後悔はしない。
それだけは確信出来た。
「それにね、今回の事だって、私は少し口を出しただけ。領内の調整をしたり、事業の土台を作ったのは……ジュリオン、あなただわ」
事業をするための人材の確保に、染料を大量生産する為に必要な妖精花の栽培。材料となる糸の確保、カルム・レースを特別視し、領外へ出す事へ難色を示す領民の説得など、事業を始める為に、弟や両親がどれだけ尽力してきたかを知っている。
「言うだけなら簡単な事よ? でも、あなたはそれを形にする為に、必死に努力してここまで来れた。それは誇るべき事だと私は思うけれど」
「……姉さん」
「私は、あなたにならカルムを任せられると思っているの。あなたなら、きっと立派な領主になれるわ、ジュリオン」
だから、自信を持って。
そう微笑みかければ、ジュリオンがゆっくりと息を吐いた。
その表情から察するに、既に説得が無駄だと悟っているのだろう。拗ねたような顔をして、ベシャリとテーブルに崩れ落ちた。
「あー、言い出したら聞かないんだから! 心配するこっちの気にもなってよね、もう!!」
「……泣かないでよ、ジュリィ」
「泣いてない! 泣いてる訳ないでしょ、幾つになったと思ってるの」
「はいはい。……追加で何か注文する? 木苺のパイ以外も美味しそうだったけど」
「する!!」