32、事件の後処理1 –イシュレアへの罰
王付き侍女であるリューイリーゼへの暴行と脅迫、そして王に不敬を働いたとして、イシュレア・エルランダの取り調べが始まった。
イシュレアは拍子抜けする程に潔く聴取に応じており、更には先の催淫香事件への関与も認めた。
イシュレアは、聴取の中でこう供述したという。
「最早言い逃れなど致しませんわ。それが私の……エルランダ侯爵家に生まれたものとしての、最後の矜持です」
王への襲撃は未遂で済んだ為にかろうじて処刑は免れたものの、無礼を働き続け、挙げ句の果てに薬まで使って王を篭絡しようとした罪は重い。
イシュレアと彼女に手を貸したメイドは貴族籍を失い、辺境の修道院へと送られた。
また、リューイリーゼを罠にかけたノアラは、実家の寄親である事を盾に脅されて、仕方がなくイシュレアに従わざるを得なかったのだという。
イシュレアに手を貸した彼女と最初の襲撃に加担したメイドであるエーリィはそれ相応の罰を受け、解雇される事となった。
王宮を去る間際、彼女はリューイリーゼに対し、泣きながら謝っていた。
罪悪感に駆られて、ラームニード達の元へ知らせに走ってくれた彼女を憎む事など出来なかった。
王宮で働く事は名誉とされる故、それを解雇され強制送還されたとあれば、これから彼女達は周囲から厳しい目で見られる事になるだろう。
それでも、少しでも幸せになれたら良い。
心からそう思った。
そして、再三その言動について国王側から苦言を呈されていたにも関わらず、娘を止める事をしなかった結果、今回のような事件が起こったとして、エルランダ侯爵に対しても罰が下される事となった。
「侯爵本人としては、自分は真の忠臣であり、そんな自分と縁付ける事が本当に陛下の御為になると信じていたらしいですよ」
娘が起こした事件を知り、慌てて『エルランダの名に免じて、どうか穏便な罰を』と懇願してきた侯爵との話し合いを終えた宰相は、苦笑いだった。
エルランダ侯爵家は政変の後の粛清で、処罰の対象に入らなかった家である。
厳罰に苦しんだ家も多かった中で全くの無傷で済んでしまった結果、「我がエルランダ侯爵家こそが誰よりも王の忠臣である」という無駄な自信を抱いてしまったらしい。何とも傍迷惑な。
「罰せられなかったとはいえ、別に忠臣という訳でもなかったと思うんですけどね。確たる証拠が無かったから、見逃されていただけで」
エルランダ侯爵は王妃に害されるラームニードを助けた訳でも、政変時の混乱で何か貢献した訳でもない。
むしろ、何もしなかった。彼は正しく傍観者だったのだ。
だからこそ、敵でもなければ味方でもない者として、様子見の意味もあって放置されていたに過ぎない。
「そもそも『真の忠臣』が王の決定を無視したり、さも自分の方が上位であるかのような振る舞いをしますかね。明らかに矛盾してるんですけど」
「思い込みが激しいのも自信過剰なのも、父娘そっくりではないか」
あからさまに呆れた顔を見せるノイスに、ラームニードもげんなりとした様子だ。
結果、エルランダ侯爵には即座の当主の交代を言い渡された。
エルランダの嫡男であるイシュレアの兄は事の次第を知り、慌てて王宮へと駆け付けて綺麗な土下座を披露した。
もっと早くに当主から引き摺り下ろしておけば良かった、と嘆いた彼はそのまま迅速に父から当主の座を取り上げた。
『社交界には二度と出すつもりはないが、穏やかな余生を過ごさせる気もない。侯爵家としての誇りが少しでもあるならば、汚した名誉を取り戻すために少しでも領地の為に尽力しろ』
と、現在は領内でまるで下男の如く働かせているらしい。
「いつかこのご恩はお返ししますと、感謝していましたよ」
「二度はないがな。あの女の言う通り、あれでも影響力はある家だ。下手に潰すよりは、恩を売っておいた方が利用価値がある」
イシュレアは勿論の事、当主自身が他でもない国王を公に軽んじる振る舞いをしたのだ。
それが一族全体の意向だとして、国家反逆罪に問われてもおかしくはなかった。
それを当人たちの処罰だけで済ませた事に、大層感激している様子だった。
「……長男は、まだまともそうな人ですね。本当にもっと早く止めておけば良かったのに、と思わなくもないですが」
「前侯爵を屋敷に閉じ込めておく訳でもなく、こき使う気満々な所は良いな。使えるものは使うという気概は好感が持てる」
「陛下好きですよね、ああいうタイプ……。まあ、収穫があったようで、よろしゅうございました」
エルランダ侯爵家に恩を売れ、更にラームニードもその相手に対し好感触。
思わぬ収穫に、宰相が一人ホクホクと満足げにしていた。
「意外か?」
全ての処罰が決まった後、ラームニードはリューイリーゼにこう問い掛けてきた。
「その……正直処刑はあり得るかなと思っていました」
蓋を開けてみれば、命を奪われたり、身体を損ねる様な処罰を受けた者は誰一人いない。
『血を好む暴君』と恐れられているにしては、穏やかな解決だ。
「処刑だと? そんなの手ぬるいではないか」
正直な感想を述べれば、ラームニードが鼻で笑う。
「死など一瞬で通り過ぎるものだ。身分を嵩にかかったあの女ならば、この方が死ぬよりも辛いだろうよ。イシュレア・エルランダという侯爵令嬢は死んだも同然だ」
刹那の死に逃げるよりも、せいぜい生き恥を晒せばいい。
それはきっと、彼の優しさだった。
不器用な「それでも生きろ」という激励なのだ。
人によっては、それが甘い対応に思えるかもしれない。けれども、リューイリーゼはその甘さが嫌いではないと思った。
「……処刑の方が良かったか?」
「いいえ、脅されはしましたけど、実質怪我も何もありませんでしたから。処刑などという話になったら、そちらの方が夢に出て魘されたかもしれません」
そう告げれば、ラームニードは「そうか」と笑う。その顔は、どこかホッとしたようだった。
***
そして、事件云々とは別件で、もうひとつの大きな変化が起こった。
ラームニードへの縁談が、めっきり無くなったのだ。
理由は簡単だ。
どうやらイシュレアとやり合った時の会話がどこかから漏れたらしく、『ラームニードと結婚すると呪いがうつるらしい』という噂が出回っているようだった。
ラームニードは吠えた。
「あれは喩え話だっただろう! 話の切り取り方に悪意を感じるんだが!?」
「良かったではないですか。お望み通り、あれだけ鬱陶しがっていた縁談が無くなりましたよ。……まともな縁談も望めない可能性は高いでしょうけど」
「ある意味僥倖ではあるが、俺が想定していなかった方向で叶えられてしまったのが心底気に食わんのだ……!!」
「噂って怖いですねぇ、尾ひれはひれがつくとも言いますし」
「尾ひれはひれがついたというより、ひれも何も色々と足りてないだろ、これは!!」
元は魚だったものが、海蛇か何かに変わってるレベルだぞ!
頭を抱えながら悶えるラームニードを前に、リューイリーゼは人の噂や誤解はこういう風に生まれるのだなと、ある意味感心していた。
火の無い所に煙は立たないというが、ごく安全な小さな灯火を無理やり奪い取って、火事へと発展させられる場合もあるのだ。勉強にはなったが、当事者には絶対になりたくはない。
(もし、陛下が噂通りの血も涙もない暴君だったなら、そんな噂を口にした時点で斬り捨てられていただろうに)
陛下の優しさがもっと他人に伝われば良いのに。
ラームニードの不遇に憤っていた侍女長の気持ちが、心の底から理解出来たような気がした。
それはそれとして、改めて欲しい所があるのは否定しないけれど。