27、イシュレア・エルランダ侯爵令嬢の怒り
(何よ何よ何よ、何よあの女!)
イシュレア・エルランダ侯爵令嬢は憤っていた。
『私とあなたは初対面ですので』
澄ました顔をした『あの女』──リューイリーゼの遠くなっていく背中を見つめて、はらわたが煮えくり返ったような心地になる。
(新しい王付きだかなんだか知らないけど、偉そうに! 私を知らないですって!? こ
の私を!!)
イシュレアは、自分を特別な存在だと信じている。
由緒正しい侯爵家の生まれで、『社交界の紅百合』とも称される美貌を持ち、優秀な成績で学院を卒業した。
フェルニス王国では十五歳で貴族学院へ入学し、それから三年間通うのが一般的となっている。
卒業後は一、二年を結婚準備期間としてから結婚する者と、王宮や高位貴族の家、騎士団などで働き、箔付けやスキルアップをしてから結婚する者の二パターンに分かれる事が多い。
本来ならば箔付けなどする必要がないイシュレアが王宮に文官として出仕する事を選んだのは、己の実力を試したかったから。
そして、そうすればきっと──『彼』の目に留まると確信していたからだ。
ラームニード・ロエン・フェルニス。
この国の王だ。
彼を初めて見た時の衝撃を、今でも覚えている。
黄金のように輝く金髪と、ルビーのような煌めきを持った赤い瞳。
その美貌を見た時に、イシュレアは思った。これを、絶対に私の物にすると。
彼についての良くない噂も聞こえてきたが、何の事はない。そんな暗君であるならば、余計にイシュレアの力が必要になるだろうと思ったのだ。
彼の側に行けば、きっと彼はイシュレアを見染めるだろう。
そうすれば、美しい夫とこの国の王妃というイシュレアに最も相応しい立場が同時に手に入るという寸法だ。
暴虐無人な王を支える、美しく賢い王妃。
彼女と出会って、愚王と呼ばれた王が名君へと変わっていく……。
恋愛小説で良くあるようなそんなストーリーを思い描き、イシュレアは王宮へとやって来た。
──が、しかし。
(陛下も陛下よ! この私が! あの暴君と結婚してやるっていうのに、何が気に食わないの!?)
それなのに、一向にラームニードと親しくなれる気配はなかった。
姿を見掛けてもこちらには視線すら寄越さないし、近寄ろうとしても王付き騎士らに阻まれる。王付き侍女を買収してみても、すぐに解雇されるので上手い具合に使えない。
こうなれば、直接的なアピールをと思い、侯爵家経由で正式な縁談を申し込んでみても、すげなく断られた。
イシュレアのプライドはズタズタだ。
それでも、こうなれば絶対に落としてやる、と意地になってアピールを続けた。
そんな中、ラームニードが呪いにかかり、王付き侍女が一新される事になった。
(その混乱に乗じて既成事実を作ろうとしたけど……やっぱり平民はダメね。使えないわ。まあ、使い捨てに出来るからいいけれど)
失敗はしたものの、ラームニードの呪いは未だ継続している。
またいずれチャンスはあるだろう。そう高を括っていたのに。
新しい王付き侍女が、決まった。
聞けば、彼女は王に認められ、あろうことか彼の側に寄る事を許されたという。
彼女の名はリューイリーゼ。
田舎の貧乏子爵家出身の、下級侍女だ。
(────本当に、気に食わない!!)
イシュレアにとって、世界の中心は自分だった。
自分は他の何よりも尊重され、敬われなければならないと心の底から信じていた。
その自分が、ただの子爵令嬢に負けている。
自分が何よりも欲しかった立ち位置に、あの女が当然のような顔をして居座っている。
その事実が、何よりも気に食わなかった。
(一刻も早く、あの女を排除しなくちゃ。……でも、もしかしたら利用価値があるかも)
悔しいが、今一番ラームニードの近くにいるのは彼女だ。
どうせ貧乏子爵家の出なのだから、金などをチラつかせれば、イシュレアの計画に有用な良い手駒になるかもしれない。
(それなら、まずあの女を上手くこちら側に引き込むのよ)
だが、あの様子だと、イシュレアが呼び出しても上手く逃げられてしまうだろう。
王命と言われてしまえば、流石のイシュレアでも引き下がる他ない。
そこで、イシュレアは気付いた。
「……そうよ、そうすれば良いんだわ」
ニヤリと赤い唇が弧を描く。
「顔見知りじゃなければ、顔見知りを使えばいいのよ」
***
男は、柱の影に潜んでいた。
イシュレアの不穏な呟きを聞いて、気付かれないようにそっとその場を離れる。
そして、向かった先は王の執務室だった。
執務室に入ると、ラームニードと二人の王付き騎士、そしてキリクとリューイリーゼが不在になる穴を埋めてくれていた侍女長の視線が一気にこちらに集中する。
「……戻りました」
「キリクか」
素早く扉を閉め、男──キリクは礼を取る。
ラームニードはその顔を見て、その赤い瞳を僅かに窄めた。
早く話せという視線に応え、キリクは淡々と報告をする。
「標的が動き出しました。やはり、狙われているのは彼女です」
「……そうか」
赤い瞳が、ギラリと輝いた。
その獰猛な肉食獣のような鋭い視線に浮かぶのは、紛れもない怒りだ。
「────やはり、思い知らせてやらねばならないようだな」