21.乱入者
カナンとカエデが観戦していたアタナシア=グラニエ戦は佳境を迎えていた。
創造神様の計らいにより表面に出現した古の勇者はタルバが有している権能を制限なしで使用し、圧倒的な力でアタナシア=グラニエを追い詰めていた。
そもそも再現可能な事象ではなく創造神しか使用が出来ないレベルの力だ。このような限定的環境下とはいえ発揮していること事態が異常なことで、本来はありえないことだった。
それはひとえにタルバをこの場から生還させるためだけに許可されたのだった。たった1人の命のために世界の理を平気で曲げる決断をしたのは世界の最上位存在である創造神だった。
だからこそ、この現実は創造神から望まれた結果とも表現できる。
アタナシア=グラニエの居城は見るも無残な残骸と化していた。屋根も壁も取っ払われ、曇り空が直視できる。
開けた舞台には2人の魔人。一方は無傷かつ余裕のある泰然自若とした優雅さすら感じられる。もう一方は満身創痍と言える姿で息が上がっている。ボロボロの魔人は無理矢理くっつけた右肩をなんとか動かしてもがき苦しんでいるようだった。
「さて、大分弱ったね。君の呼び出せるゾンビもこれで終わりだろ?それも自分の体にくっつけて失った体代わりにしか使えない。ゾンビを新しく作るのも難しいと見た。どうだろう?」
「…はぁ……はぁ…今ほどこの世の理不尽さを呪ったことはない。貴様が誰であろうとどうでもいい。そして侮るのも大概にしろ…俺はまだ呼べる…」
息も絶え絶えで立っているのもやっとなアタナシア=グラニエはそれでも虚勢を張り続けていた。客観的に見ても劣勢であることには変わりない。それでも彼のプライドと魔人の肉体は死んでいなかった。
アタナシア=グラニエにとって久しく経験していないかった屈辱だった。だがそれ以上にタルバという存在の奇怪さが目を引きいた。
「どうやってだい?段々とゾンビたちも減ってたけど」
「必要な数しか呼ばないからな。お前の権能ですぐ消されるのだから仕方がないだろう。無駄なくリソースを使っているだけだ」
空中に佇むタルバの姿を借りた古の勇者はただの見栄だとわかりきっているが、それで警戒を緩めるほど優しくはなかった。しかし、そんなことはアタナシアも承知の上だ。
古の勇者にとってアタナシアを弱体化させることが必要であって、倒すことが目的ではない。そしてアタナシアも自分が一定以上傷つけば元のタルバに戻る可能性を考慮していた。いや、その可能性に賭けていた。それこそがアタナシアの唯一の勝ち筋であり、しばしば聞こえていた古の勇者の言葉を冷静に解釈した結果でもある。
(肉体の傷はほとんど塞げている。厄介な火によって喪失した部分は元に戻らないが、ゾンビの肉体によって補填が出来ている。気を待つんだ)
アタナシアは諦めていなかった。そして古の勇者にとってもその状況は望ましいものだった。
(彼が諦めないでいるということはタルバとも戦うことになるはず。もうそろそろいいかな。これ以上は彼を殺してしまう)
判断は一瞬だった。古の勇者が眩い光を放ち、目くらましを行う。咄嗟に目を隠すアタナシア。
距離を少しだけ保つと古の勇者は肉体から意識を手放し、再構築されたタルバの自我に体を返却した。
「お?ここはどこだ?戦っていたところまでは覚えてるんだけど…記憶喪失ってやつか…魔人でも脳にダメージを受けると記憶が飛ぶんだなぁ……」
とぼけたような声と共に正真正銘本物のタルバの意識が帰ってくる。一方アタナシアは自分の知るタルバが戻ってきたことに図らずもにやけてしまった。
それはタルバに好意的というわけでは決してなく、唯一の勝機を見いだせたからだ。先ほどまでの古の勇者が相手ではとてもじゃないが勝つことは不可能だった。
しかし、アタナシアは理解していた。古の勇者があれだけ強力な権能を使用できるにも関わらず、タルバが使用できないことがおかしいのだ。
その違和感に気づいたときから古の勇者が何らかの条件を満たしてタルバに意識を戻せれば勝率が上がると考えた。もはやタルバの肉体を確保するということは放棄していた。
アタナシアの肉体的被害が甚大で悠長なことを一考する余地は残されていなかったのだ。
「やっと…やっと戻ってきたなぁ…タルバァ…!!」
アタナシアの不気味な笑みはタルバの背筋に冷たいものを走らせた。それはアタナシアが気色悪かったのもあるが、それ以上に自分が意識を失っている間に見るも無残な姿に変貌していたからだった。
(アタナシア…腕がおかしいし妙に焼けてる……俺が覚えてない間に何があったんだ?そして俺は何故無事なんだ?)
古の勇者が表出していた間の記憶がすっぽり抜け落ちているタルバはひとまずアタナシアと戦わなければならないことを頭で理解していても、辻褄の合わない現実に強い疑念が過った。
タルバの記憶に残るアタナシアの居城はボロボロではあったものの、まだ天井も壁も存在した。だが今は床があるだけの開けた場所でしかなかった。
もちろん、城の下部は残っているけれどアタナシアと戦っていた部屋は原形を留めていなかった。
ここから導き出される答えは誰かが介入してきてアタナシアをボコボコにしたということだ。無意識の状態で俺に出来ることは何もないのだから、当然の帰結ではあった。
(ここは一つ、はったりをかましておくか)
はったりをかましている間に自分の状態を確認したかった。アタナシアをボコった存在がいるかもしれなかったから、気持ちは逃げたいよりに傾いてた。
「もうわかっただろ?今のお前じゃ俺にはもう勝てない。年貢の納め時ってやつだ」
タルバの言葉にアタナシアの笑みは消え去った。アタナシアはタルバともう一人のタルバが別人格で力を共有できていないと考えていた。
当然タルバに戻ったら先ほどまでの強力な権能がもしタルバも使用可能で、アタナシアにどれだけの力で戦えるか試していただけならば絶体絶命でしかない。
「はったりだろう?……やってみればわかることだ…」
言葉のはったりではどうにもならなかったタルバは仕方なく臨戦態勢に入る。アタナシアはというと両手を脱力した姿勢でタルバをじっと見つめていた。両足に力を込めながら今か今かとその機を待っていた。
加えてアタナシアはタルバに気取られないようにゾンビ達を自分に取り込みんでいた。一時は追い詰められて制御できずに魂の逆流をさせてしまったが、右肩にゾンビを埋め込んだことでゾンビの魂に同調しやすくなっていた。それは結果としてアタナシアに有利に働いていた。
そしてそれをタルバは知らなかった。変化は一瞬だった。右肩に取り込んだゾンビたちを一気に放出してタルバに濁流のごとく流れ出る。
「それはもう見たぞ!」
タルバが発光してゾンビを焼き払っていく。古の勇者が体を使った後だからか戦闘開始当初よりも遥かに権能を自由に操作できている。さらに想定以上に光による攻撃力が上がっていた。
川の流れのごとく飲み込もうと押し寄せてくる。翼を生やして空に逃げても当然にタルバを追いかける。
(素晴らしいほどの追尾性能だな、俺の光球と同じくらいか?)
自分よりも格上相手であると思っているはずだがどこか平静を保っているタルバはアタナシアの選択に対して適切な対応を取れていた。意識がなくなる前と現在でまるで別人のように冴えわたる頭脳が反射的に最適な選択肢へと導いていた。
それにしても咄嗟に「それはもう見たぞ!」と言ったが、記憶にない。アタナシアよりもそっちの方が怖い。過去にゾンビを操り取り込むような相手と戦ったことなどないから自分で自分が怖くなってきてしまった。魔人もボケてくるのか?それとも強い衝撃で一時的に脳機能が低下しているとか?
「逃げても無駄だッ!本来のお前はそこまで強くはないッ!!もう一人のお前は強者であることを認めよう。それは事実だ!だがしかし時間切れのようだなぁ!」
ビームのように俺に追尾させたゾンビたちの濁流を広げてパラソル状にするアタナシア。焼いても焼いてもアタナシアの姿が見えなくなる。アタナシアも遂に本気で俺を殺しに来ているというわけだ。最初と今じゃ全然違う。なんでか知らんけどボロボロになってるし。
通りすがりの誰かさんは相当強かったようで、同情したくなるが同じ魔人である俺に危害を加えていないことからもしかしたら俺の知ってる誰かがこっそり加勢しているのかとすら思ってしまう。
「ゾンビが途切れない…それにアタナシアが消耗戦に持ち込もうとしているならば俺に分が悪いなぁ…」
アタナシアの治めるリバティには当然ながらアタナシアのゾンビたちがうようよしている。そのゾンビたちをどこからともなく呼び出してこうやって肉壁兼自分の強化に使ってるようだから消耗戦では圧倒的に不利だ。俺の光は貯めて放出するような蓄積型。それも俺の肉体に貯められるだけが限界だ。
だがアタナシアはこの都市にありったけのゾンビを作っていた。割けるリソースはアタナシアの方が多い。
「ここは一点突破で打って出るほかないか。俺の力が余っているうちに決着をつけなければ…」
俺は広範囲に当てていた光を能力で『圧縮』して威力を上げる。レーザービームがゾンビたちを貫通してようやく地面が少しだけ見える。しかし攻撃を一点に集中したせいでゾンビたちの層が俺を包み込むように迫りくる。俺は粒子化を駆使して狭い隙間を通り抜ける。
通り抜けた先で見たものは笑みを浮かべるアタナシアだった。
「お前がここに来るのを待ってたぞ」
ゾンビを右腕周辺から水のごとく操作しているアタナシアが俺に肉薄する。主人と連動するようにゾンビたちも天井から落下して俺を物量で押し潰そうと殺到する。剣を腰から抜き放ち、近接戦をこちらから仕掛ける。戦いのペースをこれ以上に握られるわけにはいかなかった。
「お前が短期決戦を望むことも読んでいたッ!今度はお前を取り込んでやるッ!」
そこで俺は自分のミスに気づいた。この状況は俺が意識を失う前の状況に酷似している。ゾンビたちに取り囲まれ身動きが取れなくなり、アタナシアの権能で意識を失った。運よく俺は危機を脱せていたのだが、同じ轍を踏んでしまった。
「チッ!もう一度一点突破で…!」
致命的な罠に嵌った俺は急いで周囲に逃げ場を探す。しかし周囲はゾンビに取り囲まれている状態。殴りかかってくるアタナシアを剣で捌きながら徐々に迫りくるゾンビを見渡してはどこかに一筋の光明を探す。どれだけ探してもそんなものは見つからず、追い詰められてしまう。
「逃げ場なんてあるわけねぇだろぉがッ!お前と一つになれば俺が…俺がッ!」
人格が崩壊しているのか最初に見たまともな姿をしていなかった。よだれをたらし、血走った目で俺にゆっくりと近づいてくる。体がおかしくなっているのか体中の血管が浮き上がり、股間がもっこりしているように見える。
「気持ちわりぃぞ!」
ついつい後方に逃げてしまう俺とにじりよってくる暴走したアタナシア。ゾンビに囲まれている空間で俺もう打つ手がなかった。
アタナシアが急速に接近し俺の両肩を掴む。俺は気味の悪さに心の底から引いてしまい、体制が崩れてポケットから何かが零れ落ちた。俺は何が落ちたかを気にする余裕がなかったが、アタナシアも俺もなぜかそれに目を奪われた。俺はこの状況を打開できないかを縋るように、アタナシアは俺が何かをしたのかと気にしたように飛び出た宙に舞うそれを眺めた。
それは小さな小瓶だった。この都市で流通している専用のピンク色の媚薬。この都市でゾンビたちに与えると快楽を与えるというあの薬。瓶売りの翁から渡されたうちの一つがポケットまだ残されていた。アタナシアにとってもタルバにとってもこの場では何の意味を持たない道具だった。道具のはずだった。
だが、2人以外の――この場を観戦し監視しているある女魔人にとってゾンビの隙間から垣間見えた2人の体勢とこの道具、聞こえていた会話、そして常軌を逸したアタナシアの姿(主に下半身)によってこれ以上の接近は看過できなかった。
変化は一瞬だった。一撃。たった一撃でゾンビに包まれていた空間に風穴があき、気づけば目の前にカナンが現れ、暴走していたアタナシア=グラニエが殴り飛ばされていった。
「タルバ様から離れなさい。この泥棒猫ッ!」
その時、魔人戦争を終結させた伝説の魔人による全力の武力介入が開始された。
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