猫、擬人化。①
(お腹すいたー)
『にゃーお』
黒猫の女の子が僕の足元にすり寄ってくる。
よくよく見ると、黒髪のツインテールで夜空に浮かぶ満月のような金色の瞳だった。
「あ、れ? この子、さっき見た時は、黒猫だったはず」
僕は不思議に思い、両手で自分の両目を軽くかいた。
今夜は晴れた空で、しかも丸いお月様だから、街灯がないこの小道も、それなりに明るい。
「君はだれ?」
「あたし? あたしは夜子。ヤコよ」
「さっき、黒猫がいなかった? 夜子、見てない?」
「あんた、名前は?」
「僕は夜月 蒼。やづき そう、だよ」
「蒼? あたし、帰る家がないの。あたしを拾ってよ」
「僕は中学生。しかも両親は他界して、今は親戚の家で暮してる。家出少女なんて、連れて帰れないよ」
「なら、黒猫の女の子なら、拾ってくれる?」
「え? まあ、猫なら多分いいよ。親戚のおじさんが最近、『猫飼おうか』ってぼやいてたから」
「そう。なら決まりね。蒼、あたしを大切にしなさいよ」
夜子は偉そうに言うと、一瞬で黒猫の女の子になった。
僕は数回まばたきをして、深呼吸して、『僕疲れてて、変な夢を見たのかな?』と自分に言い聞かせた。
そして、目の前にいる黒猫の女の子を家に連れて帰った。
……
(ふーん、思ったよりも立派な家ね)
『にゃにゃにゃー』
僕は黒猫の女の子を拾った。
両親のいない僕の家族は、親戚のおじさんとおばさんだけ。
45歳で自動車工場で働く、『源 義則』みなもと よしのり。
おじさんは太っている。会社の健康診断で、時々再検査になる。
外では厳しいことを何度も言われたことがある。でも、家ではとても優しい。
「ヤコちゃん、おやつ食べる?」
『にゃーーー』
(やったー!)
「おばさん、ヤコは食欲旺盛だから、太ってしまうよ」
「おばさん言うな! 彩子さんとお呼び」
35歳で大手デパートで化粧品販売員をしていて、店長であり、エリアのケアマネジャーもしている、『源 彩子』みなもと あやこ。
おばさんのことを『おばさん』と言うと、毎回指摘される。
デパートで化粧品販売員をしているだけあって、スタイル抜群でめちゃくちゃ綺麗な人だ。
よく20歳独身に思われて、あちらこちらの男性から口説かれる。
彩子さんいわく、『出産や子育てがないからよ。自分の好きなこと、自由にやってるから、若いのよ』らしい。
彩子さんは正直、感情の杞憂が激しくて、すぐに怒ったり、泣いたりする。いくら仕事が出来て、美人でも、性格があまりよくないので、結婚するのは、大変だと思う。
おじさんのように、優しい人と結婚できた彩子さんは、なかなかラッキーだと思う。
おじさんとおばさんに、こどもはいない。12年間夫婦をやっているが、赤ちゃんを授からないらしい。
だからか、僕のことを、実のこどものように、可愛がってくれる。彩子さんのヒステリックには、よく振り回されているけど。
「ヤコちゃん、ほんとう可愛いわねー。娘ができたみたいで、嬉しいわ」
『にゃー?』
(本当に、娘になったら、困るでしょ?)
「ヤコは、僕の妹かな?」
『にゃにゃ!!』
(あたしが、お姉ちゃんでしょ!!)
「え、なに? ヤコ?」
……
ヤコが2階へとかけていく。
僕は気になり、ヤコのあとを追いかけると、そこは僕の部屋の前。
僕の部屋のドアは閉まっている。ヤコが中に入りたいのかと思い、僕の部屋のドアを開けた。
「ヤコ、どうしたんだ?」
僕が部屋に入って、ドアを閉めると、ヤコは少女の姿になった。
「蒼、勘違いしないで。あたしの方が年上よ!」
「え、っと、夜子?」
「そうよ! あたし、20歳なの。蒼はまだ14歳でしょ?」
「でも、夜子は僕と変わらないように見えるよ」
「猫は人より、早く大人になるの。あたしは、産まれてから5年くらいよ。でも、蒼よりも苦労してると思うわ」
「なにそれ? 僕だって苦労ばかりだよ! 5年前に両親が死んで、一度施設に入って、洗礼を受けて。遠い親戚である、今のおじさんとおばさんが迎えにきてくれるまで、大変だったんだ」
「そう。でも今は幸せでしょ? 今、幸せな蒼は、なにをしたいの? なにか願いがある?」
「え? 僕が幸せ?」
「そうよ。義則と彩子の家族になって、今は幸せなのよ。蒼は自分が幸せだって、恵まれてるって、自覚がないの?」
僕は夜子に問われて、言葉につまる。
なぜなら、僕は自分が特別に幸せだ、なんて少しも考えたことがなかったから。
……
夜子の満月のような金色の瞳に、僕は自分の心の中を覗かれたような気がした。
醜く脆い、僕の内側を、夜子の綺麗な双眼に射抜かれて、言葉が出なくなる。
「蒼、せっかく今は幸せなんだから、もっと毎日楽しく過ごしなさいよ」
「それなりに毎日楽しいよ」
「『それなり』じゃなくて、人生を謳歌しなさい」
「謳歌?」
「そう。青春をたくさんするの。目一杯楽しいことをするの。あたしが協力してあげる」
夜子は長い黒猫のツインテールを少し揺らしながら、僕の青いベッドに腰かける。
夜子は真っ黒いワンピースを着ている。足元は黒いロングブーツをはいている。
「蒼、学校は楽しい? 彼女はいる?」
「学校は馴染めなくて、楽しくない。本当は親友みたいな、友達がほしい」
「あたし、前世が散々悪くて、神様が今世では、幸せになれるように、力を与えてくれたの。友達になりたい子がいるの?」
「よくわからないけど、夜子、宜しく」
僕は夜子に色々話した。両親が他界してから、施設に入って。それから、義則おじさんと彩子おばさんの家族になって。
今の中学生活のこと。クラスで孤立することが多いこと。たまにイジメみたいなことがあること。
やりたいこと。僕の好きなこと。楽しいこと。
夜子は女の子から、黒猫になっていて、ずっと僕の話を聞いてくれている、ように感じた。
……
「夜子、大丈夫?」
僕は人目を気にしながら、夏の制服の胸ポケットに入っている、『小さくなった夜子』小さな声で話しかける。
僕はいつもの通学路を進む。『中津中央中学校』、略してナカチュー。ナカチューには、片道徒歩で15分。
のんびり寄り道してたら、30分かかってしまう。
僕はこう見えて、動物も植物も好きだ。人と違って、自然は僕にとても優しい。凄く心地良い。
『みゃあ?』
『なぁなぁ』
「あ、虎男! 雉人!」
僕はすっかり忘れていた。通学路で時々会うことのできる、可愛い野良猫が2匹いたのだ。
昨日の夜に、夜子を拾って、それから今まで非日常だったので、大好きな茶トラ猫と、キジ猫のコンビのことをちょっと忘れていた。
「ごめん。今朝はご飯はないんだ。明日たくさん持ってくるよ」
『みぁああ?』
(いやだ! お腹すいたよー)
『なおー』
(明日は忘れないで)
「ごめんね。虎男、雉人」
僕は胸ポケットに入っている夜子を忘れてしまい、普段通りに、身を屈めて、左右の手でそれぞれ、虎男と雉人を撫でた。
トラオはあごをゴロゴロされるのが好きだ。
僕の右手を占領したトラオは、嬉しいーとゴロゴロ音を鳴らしながら、ときおり、僕の右手に頭づきするのように、すりすりしてくる。
キジトは、眉間をわしわしされるのがお気に入りだ。
僕はキジトの眉間をわしわししながら、左手の人差し指で、時々キジトの黒っぽい鼻の頭をつんつんと優しく触る。
キジトは、鼻の頭が敏感のようで、つんつんすると、なぜか、キジトの長いしっぽもぴくんっと動く。
僕の意識が、キジトに奪われていると、トラオがすねた。
僕の右手だけじゃ満足しなくなったトラオが、僕の右腕や足などに、トラオの体をなすりつけるように、ゴロゴロと鳴きながら甘えてきた。
僕はトラオとキジトが凄く可愛くて、口元をゆるめた。
……
『みぃーこ』
(うちが1番可愛いやろ?)
『なぁーお』
(私は健気だよ)
「ごめんね、虎男。明日ね、雉人」
僕はトラオとキジトをしばらく撫でてから、バイバイと手を振りながら、ナカチューへ向かう。
歩いていると、急に僕の左胸が痛くなった。
「痛! え、なに?」
『あたしのこと、完全に忘れてたでしょ。てか、なに? 虎男と雉人って、変な名前ね。知ってる? 2人とも女の子なのよ』
「あーうん、懐いてくれる前に、名前付けちゃったから。気を許してくれたら、女の子だって知ったけど、いまさら名前を変えるのは、抵抗があってさ」
僕の左胸が痛かった原因がわかった。
夜子が怒って、小さな夜子が、僕の左胸のポケットの中でパンチしたからだ。
「夜子、虎男と雉人も人間の女の子になれるのかな?」
『普通はなれないわ』
「夜子はなんで、人になれるんだ?」
『理由が色々あるのよ。でも、蒼には教えない』
「夜子の魔法って、『小さくなること』?」
『それも教えない』
夜子はそれっきり、ナカチューに着くまで、一言も話をしてくれなかった。僕は納得いかなかった。
けど、夜子がしゃべる気になるまで、こそこそと周りに気をつけながら、僕は根気強く夜子に声をかけた。
……
僕は中津中央中学校、略してナカチューに通う中学2年生。14歳。
僕の両親はすでに他界していて、今の僕の両親は、源のおじさんとおばさんだ。
源のおばさん(彩子さん)が、僕を養子にしてくれようとしていたけど、源のおじさん(義則さん)が、僕の『夜月』を無くさないように、配慮してくれたんだ。
ナカチューの僕の入学式には、仕事で忙しいおじさんもおばさんも、きてくれた。知らない場所で、心細かったので、僕は凄く嬉しかった。
だから、普段嫌なナカチューにも、良い思い出はある。
『わかった。蒼、なんで自分からあいさつ、しないの? あと、話す人の目を見て、はっきりしゃべりなさい』
「気まずいよ。なんか、恥ずかしいし」
『友達がほしいんでしょ。学校生活を楽しくしたいでしょ?』
「か、かんたんに言うけど、僕は学校で、返事するのも、めちゃめちゃ緊張して、声が出ないんだ。だから、頷くしかできなくて」
『ポケットの中のあたしには、今日、何十回も話しかけてきたのに? あたし、ずっと蒼を無視してたわ。辛くなかったの?』
「辛かったよ。でも、仕方ないじゃん。僕から話さなきゃ、夜子の機嫌がなおらないだろ?」
『あたし、蒼と知り合って、まだ半日よ? あたしより、学校の知り合いとの、付き合いの方が長いでしょ』
「あー、そうだけど。夜子はなんか特別なんだよ」
僕の席は窓際の1番後ろだ。窓の外を見るふりをして、胸ポケットの中にいる、小さくなった夜子に、こそこそ言う。
夜子は今日1日の、僕の学校生活をずっと監視していたようだ。ずっと黙り込んでいたので、僕は夜子が寝てるのかと、思っていた。
……
『蒼、あんた部活入ってないの?』
「うん、帰宅部」
『帰って、ひとりでなにしてるの?』
「自分のマンガ描いたり、散歩して、猫見つけて触ったり。本屋や文房具屋で色々見たり」
『そうね。絵を描くのが、好きなのよね? じゃ美術部に入部したら? あと野球漫画が好きなのよね。運動部の方が比較的に、友達ができるわ』
「いやいやいやいや、いやー、無理。無理だよ」
『なにが無理?』
「運動部とか輝く人種がするもので、美術部は天才がするものだから。マンガが好きなだけの、僕なんか、僕の世界だけで十分幸せだよ」
『なんか、なんか、言わない。すぐにネガティブを発動させない。それ、人生を楽しくしない、悪い魔法よ』
「なにそれ。じゃ逆に、『人生を楽しくする魔法』があるわけ?」
『あるわ。なにごとも前向きに取り組むこと。笑顔で、相手の目を見て、はきはきと挨拶をすること』
僕は不満に思った。初対面の相手に、強気で話せる夜子には、僕のような人見知りの気持ちが、理解できないのだろう。
僕だって、中学生になってから、友達を作ろうと努力した。入ったころ、実は小さな声で、ぎこちなく、あいさつをしていた。
中学1年生のとき、はじめは5人の男子と少しだけしゃべってた。
でも、5人とも、他に仲が良い友達を作って、そのうち、僕とはあいさつもしてくれなくなった。
僕から、その5人に、話しかける勇気がなかった。僕からしたら、そっちが先に、話しかけてきたのだから、責任を持って、ずっと僕に話しかけてほしい。
そしたら、そのうち、僕からも、きっと、話しかけれるように、なっていた、と思う。
『あんた、また、暗くなってる!』
「ちょ、声が大きいよ」
『過ぎたことを、考えても、しょうもないの! 過去はどうでもいい。今を変えなきゃ、未来が輝かないわよ』
「急に人は変わらないよ」
『変わる!って、自分を信じるの!』
「だから、声。声が大きいよ!」
「なに、なんか言った?」
「だから! 声が大きいって!」
「わりぃ。俺ら、うるさかったか」
僕ははっとした。左胸のポケットの中を覗くと、夜子がいなかった。忽然と消えたのだ。
さらに、僕に追い打ちをかける現状になっていた。僕の右側の席の男子が、僕の大きな声に反応してしまった。
これには、絶句して、僕はカチコチに固まる。
……