御馳走
その後私に記憶の欠乏が起こることはなく、二人でバスに乗り、きっちり45分かけて自宅最寄りのバス停に到着、荷物持ちを買って出たが、買い物袋は中身が見えるからと言う理由で妻が手放さなかった為キャリーバッグを運ぶ権利を無事獲得したのち我が家に辿り着いたのは17時となっていた。
誰も居ない家に向かってただいまー!と勢い良く帰宅を告げる挨拶を行い、2日ぶりの我が家だー!と歓声を上げる妻に、おかえりだの大袈裟だの返事をする私は相当な惚気者なのだと自負するのだった。
非常に代謝の良いと自分自身では思っている私であるから、中華街散策に伴い相当量の発汗をしていた為、エチケットとして早々に入浴する事にする。断っておくが、決して体脂肪が多く熱がこもりやすいが故の冷却手段として汗をかきやすい訳ではない。私が先に入浴する事で、妻は内緒の食材を整理できる為、彼女にとってもその方が都合が良いとの事だったのでお互いにとって非常に有意義な流れである。どれ程食材を買い込んだのか定かではない為、今日ばかりはカラスの行水では無くしっかりと身体中の汚れを落とすことに専念しよう。
風呂から上がると、入れ違いに片付けを終えた妻が入浴するのだが、ペットボトルの飲料水を渡しながら、"決して冷蔵庫には触れないように"と恩返しをする鶴の如く厳しいお達しが下ったのは、喉が渇いたという理由で冷蔵庫を覗いてみようと密かに思っていた私の浅知恵をまるっと見透かしていた為であろう。私の事を完璧に理解しているのか、そうでなければ私の妻は心理学者なのかもしれない。
真っ暗な部屋の中、妻のできたよー!と言う声で目を覚ます、どうやらうたた寝をしていたようで、時計を見ると既に20時を回っていた、妻にお礼を言い重たい身体を起こしテーブルへ向うと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「ヨーデル食べ放題でもこれ程の品数は出てこないぞ!」
「それ90年代のツッコミだよ!?」
平成生まれとは思えないよとボソボソ文句を言う妻であったが、こちらはそれどころでは無い。テーブルには海外ドラマに出てくるセレブのホームパーティーの如き料理たちが所狭しと敷き詰められているのだ!それと90年代は平成だ!
中華街で話していた唐揚げや饅頭の他にも、トロトロの餡がたっぷり掛けられた揚げソバ、陰と陽の丸いやつみたいに盛り付けられたエビチリとエビマヨ、パリパリで狐色の羽が美しい餃子、揚げた白身魚の上には飴細工が施され金色の糸が絡みついている様に見えるしテーブル中央には北京ダックまで存在している、中華料理中心だがカツメシや明石焼き、お好み焼きに牛タンに佐世保バーガーまで、ご当地のグルメ等も網羅されている。
「夫を痩せさせる気は微塵もないな」
「今日は2日ぶりの再開だしダイエットする決意をしてくれたお祝いだからね!明日からは普通のご飯なんだから味わって食べてよねー」
「君の言うとおりだ、ダイエットは明日からにして今日は思う存分食べまくるとしよう!しかしこれだけの量を二人で食べ切れるだろうか…」
「アナタなら食べ切れるよ!」
「信じてくれるのは嬉しいが私の胃袋は宇宙ではないよ?」
食す前は弱気であった私だが、その心配は杞憂であった。それは妻の料理の才能がなせる御業であろうか、どの料理も私の想像した通りの美味であり、全てにおいて私好みの味付けがなされていた、だからという訳ではないのだが、テーブルの上にあった料理を全て完食できた、できてしまった。私の胃の体積を遥かに凌駕する量であったのに、食べた端から消化したとしてもこんな事が可能なのか?本当に私の胃袋は宇宙になってしまったのか?
だが問題はそこでは無い、食べきる事ができたのはとても美味しく、そして作ってくれた妻への愛情ということで無理やり解釈できなくもないが、もっと深刻な問題がそこにはあった。
全 く 腹 が 満 た さ れ な い
すごいねー!全部食べたねー!お腹いっぱいでしょー?と無邪気な笑顔を向ける妻に、まだまだ全然足りないなどと言はえるはずもない。
「あ、ありがとう…流石にお腹いっぱいだよ。さぁキミも疲れただろう?片付けは私がしておくから先に休むと良い。」
動揺を隠しつつ話をするのは今日1日で何度おこなったことだろうか。片付けはしておくなどと実家ぐらしの学生だった頃の私からは想像もつかないような台詞を紡ぎだし、お言葉に甘えて先に寝室へと向かう妻を見送った。
「さて、この空腹はどうすればおさまるのか…」
そう言えば昼に購入したマファールがあった、あれだけの品数を完食してなお空腹の体を満たせるとは思わないが、何も無いよりはマシな筈だ。いそいそと鞄からマファールを取り出し、個包装になった1つを食べてみる、試食したとき同様に、こちらの歯を砕かんばかりの硬さを誇っているが、噛めば噛むほど口いっぱいに広がる仄かな甘さと小麦の香りが身体中に癒やしを届けてくれる。15本入を購入したのだが、気が付くと全て平らげていた。そして不思議なことに、あれ程食べても満たされなかった空腹が、多少ではあるが満たされていたのだった。