再会の街角 2021 1月
天気の良い冬の昼時。オープンカフェでまったりと軽めのホットドッグランチを楽しんでいる。玉ねぎとピクルスの微塵切りがたっぷりのホットドッグは良い。大好き。ちょっと辛子が多くてツンと来るのもご愛嬌だ。
スズメが落ちたパン屑を狙って足元でチョロチョロしているのがかわいい。そっとスマホで撮ってみる。おっと、それはパンじゃなくて微塵切りの玉ねぎだぞ。こっちにしなさいとひとつまみパンを落とす。こっそりと。
餌を与えるのが見られたら叱られるのだ。自然に落ちたのは仕方がないが、意図して与えてはいけない。俺は結構小心者だ。
少し冷たい風に吹かれながら、冷えてしまったカフェラテを飲む。
実家を離れ、久しぶりの一人暮らしで自分は寂しく感じたりするのだろうか?なんて思ったが、全然寂しくない。むしろ落ち着く。非常に和む。完全にマイペースで過ごせるのって、何て素敵なのかと実感している。
そうだ、ハムスターでも飼おうかな。仕事で家を空けなければならない時でも、ハムスターなら連れて行けるしな。ケージごと連れて行っても大きな問題にはならない。それがハムスター。前に連れて歩いていた奴がいて、ちょっと羨ましかったのだ。画像チェック中のパソコンの前で、小さなハーネスを付けてにんじんを齧っているのが可愛かった。
体に合わせて手作りのハーネスを作ってやるのも良さそうだ…なんて事を考えながらぼんやりしていると、ふいに背後から「久しぶり」と声をかけられた。
自分か?と思いながら振り返り見上げてドキッ。そこには以前付き合っていて別れた、というか、俺が忙しくて3ヶ月日本にいなかった間に、別の男と婚約をしていた元カノが立っていた。
そう、内藤が「絵里ちゃん婚約したらしいぞ」と教えてくれるまで、俺は彼女の浮気を全く知らなかったのだ。初夏に結婚すると披露宴の招待状をもらったと言う話に、あまりのショックで連絡する事も出来ず、彼女からも何も言って来ず、結局そのまま自然消滅となった。
その頃の俺は、彼女との結婚を視野に入れてマンション購入計画を立て始めていた。それもあって海外に行っている間、家賃だけ払っておくのはもったいないとマンションを引き払い実家に戻ったのだ。
ちゃんと考えを言わずにいたのは俺が悪かったんだけど、でも、俺は生涯の伴侶に彼女をと思っていた。惚れていたのだ。
驚いて黙ったままでいると、「ごめん。こんな所にいると思わなくて驚いちゃって。あの、元気だった?」と戸惑った様子でありつつも、何だか嬉しそうに微笑んでいる。多分引き攣っているであろう俺の表情には気付いていないのだろう。
そうだね、君はそういう人だ。今となってはよく見えるよ。自分の事ばかりで、俺の事はあんまりちゃんと見てなかったよね。
どう反応したものかと思っていると、「ずっと謝りたかったの」と言った。
謝りたかったと言われても、だ。
君は自分が謝れば、俺が「もういいよ」とか「俺も悪かったんだ」と言うと思ってるんだろうな、なんて思ってしまうよ。きっと前みたいに笑顔で話せると。
実際、俺も反省する事はあるよ。色々ね。ちゃんと君が見えてなかった事も含めて。
俺は俺なりに、会えなくても出来るだけ連絡はしていたつもりだった。でも、電話やメールだけではダメだったんだろ?それで、いつでも会えて優しくしてくれる他の奴と付き合ったんだろう?いや、元々そっちが本命だったんじゃないのか。
忘れていたグルグル渦巻く考えが蘇って来て船酔いみたいな気分だ。早くこの場から立ち去りたくなって来た。うん、帰ろう。
「あー、いや、別に謝られてもな。君も元気そうだし良いじゃないか。俺はもう関係ないし」
ちょっと頑張った。「関係ないし」に力を込めて言えた。よし、会計は済んでいるから立ち上がってここから離れよう。と、彼女が甘える様に俺の袖を摘む。こら、摘むな。
「まだニャカメグロに住んでたんだね」
「あ、ああ」
「私もまだ前のところにいるの。ずっと合わなかったね」
しまったな。この街に戻ってこなければ良かったかもしれない。てか、前のところってワンルームのあそこ?まだあそこに住んでるの?
「結婚したって聞いたけど?」
「っ!…やっぱり結婚の事知ってたんだ」
気まずそうに目を逸らす彼女。ええ、知ってましたよ。すごい衝撃でした。大体、俺の友達を式に招待しておいて知られないわけないだろう。それでさ、そろそろ手を離してくれないかな。悪いけどすごく嫌なんだ。その摘まれた箇所から何か黒いものが侵入してくるみたいで。
離してくれと言いたくて俺の目が彷徨う。それをどう受け止めたのか彼女が続ける。
「結婚…するはずだったんだけど、上手くいかなくてダメになっちゃったの。やっぱり本当の気持ちを隠して結婚しようとしたから自業自得かな…」
悲しそうに微笑んでつぶやくように言ってから黙る。
本当の気持ちを隠して結婚しようとしたってのは、釣り餌ですか?俺が「本当の気持ちって?」と聞く流れですか?いや、聞かないよ。
優しい言葉をかけるのを待つ雰囲気が漂って来たのでまずいなと思う。取り敢えず当たり障りのない万能の返答だ。
「そうか」
固い声でそれだけ返す。意を決したように俺を潤んだ目で見つめる元カノ。その様子で、さっきまでとは違う意味で急いで立ち去るべき案件発生の警報が脳内で鳴り響く。
やばい。頑張れ俺、流されるな!
「私っ、やっぱりあなたが…「あ!もうこんな時間だ!まずい、遅れてしまう!」忘れられなくて…え??」
よし、ぶった切ったぞ!次は脱出だ!
「じゃ、俺はこれで!俺ももうすぐニャカメグロから引っ越すし、もう会う事もないと思うけど、君も元気で頑張って!さよならっ!」
勢い良く立ち上がり、袖を摘んでいる手を振り切ってその場を後にする。早歩きだ。振り向くな。
「え?え?ちょっと!?」
え、ちょっと?じゃないよ。あ、バスが来た、乗っちゃえ。
乗り込む背後から「また連絡するからっ!」と聞こえたが、やめて連絡しないで。
理由が何であれ、自分が出した答えを状況の変化で覆さないで欲しい。俺とは終わったんだ。
コロコロ都合で変わらないでくれ。これ以上ガッカリさせないでくれ。
大体、俺が忘れられないって絶対嘘だろう。今日ここで会ってしまったから思い出しただけだろう。もうそれ位わかるさ。
この街に戻ってくるべきではなかったのか。前のところに住んでいるというなら同じ駅じゃないか。このエリアの俺の出没店は把握されているじゃないか。
別に俺が逃げる必要はない。だが、次のターゲットが見つかるまでなんか付き纏われそうで怖い。泣かれたりしたら、そのまま押し切られないとは言い切れないから怖い。その辺も見透かされていそうで怖い。
可愛らしく微笑みながら、また裏切られる可能性が見えるから怖い。
彼女が怖い。
まだ荷物を全部出してない。段ボール箱に入っている今のうちに、本当に別のところに引っ越してしまおうか。いつまた会ってしまうかとドキドキしながら過ごすのはいやだ。今度は沿線を変えよう。ウニャキタザワとかサンチョあたりにするか。
てか、このバスどこ行きだ?
あ、シブニャか。猫球ハンズでハムスター見よう。買わないにしても小さき生き物を見てちょっと落ち着こう。そして落ち着いたら不動産屋を覗いてみよう。