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「ねーえ、オミクロン。光明子たちのこと、放ったらかしにしといてよかったの?万が一、あいつらが檻から抜け出しちゃったらどうすんのよー?」
「光明子の時の花びらも結局、取らずじまいだったしな」
ラムダとカイがオミクロンに非難の目を向ける。彼ら三人は衛兵と女官の変装を継続し、宴がなされる庭園に潜んでいた。庭園では着々と宴の準備がなされている。
「ククッ…わかってねえな、おまえら」
遠視用スコープで皇太子妃が座ることになっている席を確認しながら、オミクロンはせせら笑った。
「あのコピーのがナルシス兵がうまく光明子になりすませるか、それを見届ける方が先だ。皇太子の妃である光明子が行方不明だと騒ぎになってみろ、まだ事を起こさないうちから奈良時代を巡回中のタイムパトロールに嗅ぎつけられる。わざわざコピーを用意したのは、そいつを予防するためだ。タイムアテンダントのガキのコピーはその場でプログラミングしたついでだがな。現地人どもがまんまとだまされたと確認できたら、檻に戻って容赦なく光明子から花びらを奪えばいい」
さらにいやな笑みを浮かべ、オミクロンは続けた。
「もし仮に、奴らがあの檻から出られたとしても問題はない。あれだけがトラップってわけじゃねーからなあ?」
「やった、出られましたよ。光明子様っ」
英麻と光明子は喜びいさんで覆いをめくって檻から出た。
「でも、何でこんなもので開いたんだろ。せんぬきでかんぬきを開ける…ギャグ?ダジャレ?まさかね、いくら何でも寒すぎる」
栓抜きを手に首を傾げつつ、英麻は周囲を見回した。
檻の外は人気のない、陰気な竹林のような所だった。昼でも薄暗いせいか、肌にひんやりとした冷気を感じる。
「どこなんだろう、ここ」
「まだ東院の敷地内からは出ていないと思いますわ。たぶん…私の住まいからもそんなに離れてはいないかと」
二人の耳に何かが聞こえた。笛や太鼓といった楽器の音だ。音にまじって人々が語らう声もかすかに聞こえてくる。
「この曲…祝いの宴でいつも奏でられるものですわ」
「ほんとですか?じゃ、宴をやってるっていう庭園は」
「この近くにあるはずです」
「よおし!急ぎましょう、光明子様。この音や人の声をたどっていけばきっと宴の会場に行けるはずです!」
「ええ!」
英麻と光明子は一気にかけだそうとした。ところが。
檻の傍らの地面に落ちていたグレーの覆い。その薄汚れた布がやにわに動きだす。
それは宙をうねる蛇のようだった。
グレーの覆いは光明子の行く手を塞いだかと思うと、たちまち彼女の小さな顔にぐるっと巻きついた。
「あああっ!?」
バランスを崩して転倒する光明子。直後、ガチャンッという金属音がした。
「光明子様!?」
英麻は大急ぎで光明子にかけ寄った。
「うっ…」
「大丈夫ですか、光明子様っ!おけがは…」
ひっ、と英麻は後退った。全身の血の気が引く。
光明子の顔面は異様なまでに変わり果てていた。
彼女の顔があった部分。
そこには、鳥肌が立つほど不気味な仮面が貼りついていた。
「顔面泥棒?なあにそれ」
「開発部門のシグマが今回のために作った、もう一つの新兵器だ。ククッ…デザインはこの俺が趣向を凝らしてやったさ」
自慢するオミクロンの顔は邪悪さに満ちていた。ラムダとカイは耳をそばだてる。
「見かけは何の変哲もないボロ布だが…もし、ターゲットである宿主が瞬間トラップから外に出た場合、直ちに鉄仮面に変形し、宿主の顔に強制的に装着するプログラミングがなされている」
「で、その仮面を自力で外すことはできないと?」
「ああそうだ。あんな仮面がかぶさってたんじゃ、盲も同然。逃げようったって思うように動けるわけがない。タイムアテンダントのガキがそばにいたって同じことだ」
オミクロンは庭園に咲いていた小さな花をぐしゃりと踏みつけた。