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「ああ、いた、いた。よかったっ。ねえ、これ、今日の宴で着るやつなんだけど、どっちがいい?」
ひょろりとしたやせ型の少年は二着の着物を胸に抱え、光明子に走り寄った。目は垂れ目で細く、見事な下がり眉。笑っているのか、困っているのかわからない、実に気弱そうな顔をしている。
「僕、こういうのよくわからなくってさ」
「またそのようなっ。将来、国を背負う人間がそんなことも決められなくてどうします?…だいたい、あなた様にはいつまでもそういう子供じみた所があるから」
「いいじゃないか、僕は光明子の意見も聞きたいんだから」
後について入ってきた神経質そうな狐目の中年男に少年は膨れっ面をした。中年男は少年の従者らしい。中年男の言う通り、光明子にまとわりつく少年は着ている着物の立派さのわりにはどこか幼く、頼りなげである。
「誰、この子。光明子の弟さん?」
英麻の一言にハザマの眉が吊り上がった。
「おまえな、無礼にもほどが」
「首皇子。サノが少し説明してた、この時代の皇太子で光明子の夫だ」
ミサキが淡々と答えた。
「へえー、夫……えええッ!?」
「うっそだろお!?」
英麻とみなみは滑稽なほど何度も首皇子と光明子を見比べた。とても夫婦には見えない。お世辞にもこの二人が釣り合っているとは言い難かった。
そんなあ。こんなに美人で気立てもよくてロイヤルな魅力たっぷりな光明子様のお相手がどーしてこんな頼りなさそうな男の子なわけ?
「こんな優男が…」
みなみも歯がゆそうな顔で首皇子をほとんどにらみつけている。
「…じゃあ、この人が大仏様を造るっていう、後の聖徳太子」
「聖武天皇だ。バカ」
「その聖武天皇なの?この人が天皇に?」
英麻は、この少年に一国を治めるだけの力量があるとは到底、思えなかった。
「―――そうですわね…やはり、こちらの方がお色も明るくて皇子様に似合うと思いますよ」
「そうかー。うんうん、なるほどね。よしっ、やっぱり君が言うようにこっちの服にしようっと。ありがとう、光明子っ」
首皇子は甘えん坊な子供のごとく、無邪気に光明子のアドバイスにうなずいていた。英麻やみなみのしらけた視線などおかまいなしである。
「そうだっ。ね、これ見てよ」
首皇子は嬉々とした様子で懐から絵巻物取り出して広げてみせた。光明子が優しく笑って尋ねる。
「またお好きな仏像がありましたの?」
「そうなんだっ。これは救世観音と言ってね、法隆寺夢殿の本尊なんだけど、昔から絶対秘仏とされててこうして写し絵で見ることくらいしかできないのさ。いつか本物を見てみたいものだなー。仏像はいいよ、仏像は。あの繊細な表情。優美かつ力強い姿形。一体、一体、個性があるし、本当に癒される」
狐目の従者が長々とため息をついた。この首皇子、りんごフェチならぬ、仏像フェチらしい。笑顔で付き合ってくれる光明子相手に暑苦しいまでの仏像愛を語り続けている。英麻はますます首皇子が光明子の伴侶にはそぐわない気がした。
光明子の部屋の片隅。
そこに一羽の小鳥が留まっていた。小鳥は静かに羽ばたき、英麻たち人々の声で賑わう部屋から出ていった。それは本当に静かな、無音に等しい動きだったので、英麻たちの中にその存在に気がつく者はいなかった。
天井付近を滑らかに飛びながら、小鳥は通路に沿って移動していく。手の平に収まるほど小さな鳥は、翡翠に似た、とても綺麗な色をしていた。まるで宝石のようである。
だが、その二つの眼には不吉な赤い光があった。
小鳥の眼に一人で通路を歩く女官の姿が映った。急降下する小鳥。女官が差し出した手にやはり音もなく留まる。その動きが機械的に見えたのは気のせいだろうか。女官の片方の耳にちらりと黒い小さなものが見えた。奈良時代には存在しないはずの黒いイヤホンのような装置が。
真向かいから衛兵の男が一人、歩いてきた。長身で顔はよく見えない。この男の片耳にもイヤホンに似た黒い装置があった。女官とその手に留まる小鳥を認め、くっ、と男の口角が上がる。衛兵と女官は無言で通路を進み、互いに接近していく。
すれ違いざま、衛兵の男が女官に囁いた。
「盗鳥器を仕掛けといた甲斐があったもんだぜ。まもなく作戦決行だ」
片手で機械仕掛けの小鳥を弄んでいた女官もまた、軽薄な笑みを浮かべた。
「―――OK。オミクロン」