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【藤原光明子】
奈良時代の天皇、聖武天皇の妃。鎮護国家の理想の元に大仏建立を目指す聖武天皇を支えた。また、自身は貧困者や孤児、病人を救済するための社会慈善事業を行った。
(タイムパトロール記録部のデータベースより抜粋)
風が吹いている。
柔らかな風に乗って白い鳥の羽根が一枚、ふわふわと漂ってくる。
だが、それは鳥の羽根などではなかった。遠い221X年の未来から飛来し、時空にて散り散りとなった、時の花びら十二枚のうちの一枚だった。この花びらはもう長いことこうしてあてもなく漂い続けていた。
タイムパトロールの関係者たちがにらんだ通り、時の花びらは確かに大部分が歴史上の人物の体内を新たな住み処としていた。
歴史上の人物たちが持つ『あるもの』―――花びらはその『あるもの』に非常に強く引き寄せられたからである。それを有する人間の体内は、時空時計の保護バリアーに包まれているのと同じくらい、時の花びらたちにとって安全な場所だったのだ。
しかし、奈良時代に入り込んだこの花びらはいまだこれという宿主をさがし出せずにいたのであった。
風に運ばれて花びらがやってきたのは、夕暮れ時の古風な庭園のようだった。
薄紫に染まった空の下、庭園はゆったりとした雰囲気に包まれている。
誰かが歩いてくる。
淡い色合いの着物を着た少女が一人。少女の後ろには少し離れてお付きの者らしい女たちの姿もあった。少女は足を止め、懐から何か小さなものを取り出した。それは折りたたまれた紙だった。少女は紙を広げる。そこには建物の図面や細かな書き込みが見えた。何度も手直しした様子がうかがえる。二つある建物のそばには達筆な字でそれぞれ悲田院、施薬院と記されていた。少女は紙面をじっと見つめた後、深くうなずいた。己の決意を改めて確かめるように。
唐突に時の花びらが動いた。何かに引っ張られたかのごとく、一気に少女に近づいていく。次の瞬間、すでに花びらは少女の胸に吸い込まれていた。
わずかにきょとんとした表情になる少女。だが、彼女は時の花びらが自分の中に宿ったことなどまったく気がついていない。
「おおーい、光明子-、どこだーい?」
少女を呼ぶ声がした。どこか間の抜けた少年の声だ。声がした方を少女は振り返る。顔中をうれしそうにほころばせ、少女はいそいそとそちらに向かって歩いていった。