四話 言えなかった言葉
伯爵令嬢として恥ずかしくないように、美しく礼を取り、そして名を述べる。
「ルティシア・フィーガンと申します。よろしくお願いいたします。」
陛下とのファーストダンスに選ばれた令嬢はそう伝え、陛下の手を取ることになっている。あくまでも十歳の子どものデビュー。難しい挨拶を述べる必要はないと、昔からずっとこのセリフがお決まりとなっているらしい。
エヴァンは父譲りの美しい金色の髪に、母譲りの琥珀色の瞳を持ち、微笑むだけでその場の雰囲気を和ませてくれるそんな王子様だった。
それが今では微笑むだけで令嬢達が顔を赤らめる美男子となっており、あのちびっ子エヴァンが大きくなった物だなと手を取り、ダンスを踊りながら感慨深くなる。
ダンスは苦手だと言って、私の所へと逃げてきたエヴァンだが、そのステップは軽やかで、苦手だったことがウソのようであった。
「初めてとは思えないほど、ダンスが上手だな。」
優しげな笑みを向けられ、思わず苦笑を浮かべてしまいそうになる。
大人になってこうした表向きの笑顔を覚えたのだなと微笑ましくなる。昔は、悲しければ泣き、嬉しければ爆笑する子だった。
「お褒め頂き、光栄にございます。」
微笑を返すと、一瞬、エヴァンの顔から笑顔が消える。
「キミは・・いや・・何でもない。」
すぐに笑顔を張り付け直したエヴァンだったが、微かに先ほどよりも微笑が引きつっている。何を思い出しているのだろうかと思いながら、エヴァンの手に重ねる自身の手に力が僅かにこもってしまう。
「陛下。」
「なんだ?」
前世、魔獣を倒してから私は王城に身を置き、王宮仕えの魔法使いとして働きながらも、心は魔獣を倒した日から一歩も進めないままでいた。
アベルを失い、毎晩、何故自分だけが生きているのか、涙が夜になると溢れた。
けれど、エヴァン王子の屈託ない笑顔や、自分を慕って追いかけて来てくれる姿には癒されたものだ。
突然暗殺されてしまったものだからそのお礼も言えないままであった。
だからこそ、心を込めて言っておこうと思った。
エヴァンがしたいたずらの後始末がこちらに回ってきたり、ダンスが苦手だと一緒に逃げろと理不尽な事を言われたり、エヴァンのすることに悩まされることは多かった。けれど、そのおかげで、生きているのだと、一日一日は過ぎていくのだと、生を感じることができた。
暗殺されて分かった。
人はいつでも簡単に死ぬ。
魔獣がいようといまいと、関係ない。
だからこそ、言える時に、ちゃんと言っておかなければならないのだ。
「ありがとうございます。」
アベルがいなくなってからの日々は、生きている事が味気ない、白黒の日々だった。それに派手に色付けをしてくれたちびっ子エヴァン。
いたずらっ子で、いつもいつもその優秀な頭脳を使って人が思いつかないような壮大ないたずらをしでかす、ちびっ子。
そんなちびっ子から毎日元気をもらっていた。
私は前世ルティという魔法使いだったのだとエヴァンに告げようかとも思ったが、暗殺された身の上としてはそれは軽率な行動だろう。
だから、ダンスを踊ってもらった礼と勘違いされるだろうが、ちゃんと言っておこうと思ったのだ。
「それは・・・なんの」
そこで、一曲の演奏が終わり、ダンスの終わりが訪れた。私は美しく礼をし、頭を下げる。
「ファーストダンスの栄誉を下さり、ありがとうございました。」
決められたセリフを告げると、エヴァンもはっとしたように笑顔を張り付けて言った。
「こちらこそ、ありがとう。では、舞踏会を楽しんでくれ。」
エヴァンが立ち去るまで頭を下げ、そして、エヴァンが席に戻ってから私は家族の元へと一度下がる。
大きくなったちびっ子と踊れて良かった。
私はお兄様からジュースを受け取り、初めてのダンスは楽しかったなとにこりと笑みを浮かべた。
王族の席へと身を戻したエヴァンは、ちらりと先ほど踊った少女、ルティシアへと視線を向けた。
視線が合った瞬間、懐かしさを感じ、彼女の事を思い出した。
『なぁ、ルティ。何でお前はいつもそんな顔をしているんだ?』
顔も体も傷だからけの魔法使いだった。右目には眼帯をつけ、ぼさぼさの髪の毛は手入れなどずっとしていないようだった。
けれど、そんなことよりもずっと気になる事があった。
顔にずっと、笑顔を張り付けているのだ。
上辺だけの、笑顔。
ルティは困ったように顔を歪めると、静かに言った。
『アベ・・仲間に・・言われたんです。幸せになれって。だから、私は仲間の分まで笑おうと思って・・』
その言葉に、ルティの仲間は皆亡くなっているという事を知っていたのに、改めて衝撃を受けた。
魔獣を倒した英雄達。そして唯一生き残った国一番の魔法使いルティ。
ルティが魔獣を倒したのは彼女が十八の時だった。傷だらけで、髪だって体だってボロボロの彼女だけれど、きっと魔獣との戦いさえなければ普通の少女として、生きられたはずだ。
そんな事すら分かっていなかった自分が急に恥ずかしくなった。
だから、その日以降ルティが心から笑えるように、色々と試すようになった。
そうすると、ルティは困ったように笑うようになった。ちょっとずつ、ちょっとずつ、色々な表情が見えた。
それが嬉しくてたまらなかった。そして、大きな声でお腹を抱えて笑うルティを始めて見れた時、心から嬉しく思った。
『エヴァン殿下は・・本当に・・おかしな方ですね・・ふふ・・はははっ!』
ルティが笑ってくれた。
あの張り付けたような笑みしかできなかった彼女が。
次は何をしようかと、毎日のいたずらが楽しみになった。そんなある日の夕方、ルティが王城に設置された英雄の墓石の前に花を捧げているのを見かけた。
『る・・・』
声を掛けようとした。けれど、出来なかった。
突然雨が降り始め、ルティを雨で隠そうとする。
けれど、はっきりと見えてしまった。
彼女は泣いていた。
雨に濡れ、泣き叫ぶ彼女の姿を見て、何と自分は滑稽なのだろうかと思った。
彼女を笑顔にすることで救えたような気になっていた。そんなことあるわけないのに。
そして、彼女は突然死んだ。
何者かの手によって暗殺された。
証拠はなく、犯人が誰なのかも分からなかった。ただ、彼女の死に顔はとても穏やかで、あぁ、やっと彼女は仲間の元へと逝けたのだと、そう思った。
それから俺は、平和な国を作る王になろうと決意した。ルティのように、一人で泣く少女が生まれない、平和な国。
王冠は重たく、背負う責には押しつぶされそうになる。けれどそうした時に思い浮かぶのは、ルティの笑顔だった。
そんな、ルティによく似た十歳の少女。
ルティのように至る所に怪我をしているわけではない。眼帯をつけているわけでもない。髪の毛だってさらさらでぼさぼさではない。
けれど、似ていた。
そんな彼女が幸せそうに笑っている姿を見て、ルティが笑っているように思えて、不覚にも泣きそうになった。
「ルティシア嬢について、調べてくれ。」
部下である騎士に指示を出してから、馬鹿のような夢物語を想像している事に気付く。
「ははっ・・自分でも思っていた以上に・・・貴方を忘れられないようだ・・」
小さな呟きは誰にも聞こえることはない。
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