噂
――セイローン王国国王、その娘であるエイリ=セイローン。
中等部にて生徒会長の役職に就いている彼女は今、近付く学区祭の準備を進めていた。
日々忙しく、頼られる存在。
生徒の模範たるトップ。
誉れある仕事であり、その立場になれたことは名誉として誇るべきなのだろうが……正直なところ、自身で望んで生徒会長に就いた訳ではなかった。
国王の娘ならばそれくらいはやるのだろう、彼女ならば任せられる、などといった周囲の漠然とした意識から、自然とその役職になっていたのだ。
体感としては、なっていた、というより、やらされた、の方が心情として近いだろう。
これも、生まれの定めとある程度割り切りってはいるのだが、やはりどうしても窮屈さは感じてしまう。
もっと自由にやりたいと、そんな風に思うこともままあるのだ。
まあ、現在は中等部の三年生であり、あともう一学期も過ぎれば卒業するため、すでに引き継ぎのほとんどは終了している。
この学区祭が終われば生徒会長も次の代に変わるので、まだ仕事があっても大分気楽ではあるのだが……。
――また遊びに行きたいな、高等部。
少し前に訪れた、セイリシア魔装学園。
公爵家という、いわば親戚関係であるレーネに、学区祭の関係で会いに行っていたのだが――その時が二度目の出会いとなった、一つ上の先輩、ユウヒ=レイベーク。
最初に彼の噂を聞いた時は、ムチャクチャな人もいるんだな、などと思ったものだ。
あの学園の付属中等部に通っている関係で、あそこの噂話はよく聞くのだが、最近はもっぱら彼の噂ばかりが流れていたのである。
曰く、入学式をすっぽかして緊急出撃。
曰く、脅威度『Ⅹ』の魔物を討伐。
曰く、学園魔導対抗戦の『ブレイク・スティープルチェイス』にて最速記録を達成。
曰く、その後に襲来したテロリストを、イルジオンで以て撃退し、追い返すことに成功。
最後のだけは学生達の噂ではなく、自身の親やその護衛達が話しているのを聞いたものだが……よくもまあ、入学から半年足らずでこれだけのことを為せたものである。
彼は今年からこちらに上京してきたようなので、きっと知らないだろうが、下級生の間ではすでに有名人となっていたりする。
国会議事堂で出会うまで全く面識はなかった訳だが、実は顔だけは知っていた。
対抗戦の様子はテレビで中継されており、夏の宿題を終わらせながらそれを見ていたからだ。
ブレイク・スティープルチェイスは、イルジオンで行う障害物走であるというのに、道中出現する障害物を食らっても何にも気にせず直進し、競技性を完全に無視してゴールしていた様子は、唖然とした後に思わず笑ってしまったものである。
しかも、それで歴代最速だというのだから、今後あの競技に出る選手達は、戦略を根本から考え直す必要が出て来ることだろう。
というか、ルールが変わる可能性すらあるんじゃなかろうか。
偶然の機会で、彼とは二度顔を合わせることになった訳だが、その人柄は大体理解している。
――恐らく彼は、『英雄』と呼ばれる類の人なのだ、ということを。
自身の父のことを、王として偉大だと心底から思っているのだが……彼からも、父と同じような感覚を受けるのだ。
纏う空気が、一般人と違う、といったところだろうか?
人を引き付けて止まない、強い輝き。
膨大な、他者を安心させる包み込むような魔力。
恐らく王族の一員である自身よりも、余程それっぽいと言えるのではないだろうか。
だから、彼と過ごした時間は一時間にも満たないくらいであるにもかかわらず、「あぁ、聞いた噂は全部本当なんだろうな」と、妙に納得してしまったものである。
国王の娘という立場柄、今まで様々な人と出会ったことで自然と観察眼を鍛えられたため、その辺りの目利きは少し自信がある。
決して、大袈裟な思いじゃないだろう。
それに――何より、あの気安い様子。
最初はこちらが王族だと気付いていなかったようだが、そのことを知ってからも何にも気にせず、本当にただの後輩として扱ってくれたのは、純粋に嬉しかった。
皆、やはり自身のことは、まず『王の娘』として見るのだ。
同級生なんかは、流石に長く一緒に過ごしているため友達として普通に接してくれるようになっているが、大体の先輩などはこちらをどう扱っていいかわからず避け気味になり、後輩などは物珍しげに自身を見ても、余程のことがなければ話し掛けてこようとはしない。
だからこそ、ただ何も気にせず冗談を言い合えるということの、何と楽しいことか。
……来年あの学園に入学すれば、きっと話す機会は増えるのだろう。
それが、今から楽しみだ――なんてことを、彼女が思っていた時。
「――エイリ、知ってる? あの噂」
「えっ……な、何の噂?」
一瞬、あの先輩のことを考えていたことを見抜かれたのかと、ちょっとドキリとするが、話し掛けてきた友人の少女はそんなこちらの様子を気にせず、楽しげな口調で話を続ける。
「あのね、今学区に――『怪人』が出没してるんだって」
その荒唐無稽な言葉に、一瞬固まってしまってから、聞き返す。
「……怪人?」
「そう! 怪人」
「……学区祭用に、何かしてるんじゃないの?」
もう少しで、学区祭である。
言わば、怪人のコスプレをしているような誰かがいても、おかしくないと思うのだが。
「違う違う、その怪人は人を襲うそうよ。もう死者も出てて、警察なんかも動いてるって! エイリも、家で何か聞いたりしてない?」
「家じゃあ、そういう話は全然しないから……けど、学区で死人が出てるなら、流石にニュースでやってたり、学園が注意を促したりしない?」
「いや、まあ、あくまで噂だから、大袈裟に伝えられてる可能性は高いけど。でも、何かおかしな人がいるのは間違いないってさ。正直、見てみたい気持ちがあるわね」
「ちょっと、気を付けなよ。本当に危ない人だったら、取り返しのつかないことになる可能性もあるんだから」
「あはは、そうね。話を聞くだけで満足しとくわ」
それからも、彼女らは若い学生らしく様々な噂話で盛り上がる。
――その時、それはまだ、噂だったのだ。