宮廷《3》
「おい、あの少年、どう見る」
黒髪の少年が部屋を去った後、国王は楽しげな様子を隠しもせずニヤニヤと、護衛の一人――近衛騎士団団長へと問い掛ける。
団長は、重荷が下りたようにフー、と一つ息を吐いてから、口を開く。
「……とんでもないですな。彼は我々を一ミリたりとも恐れてはいませんでしたよ。陛下も気付いていらしたと思いますが、魔力をゆっくりと巡らし、攻撃されても即座に反撃出来るよう身構え、逆に我々を威圧していました。近衛騎士の我々を、です」
――彼らがユウヒを威圧していたのは、わざとである。
国王の命で、そうするように言われていた。
彼は、興味が湧いてしまったのだ。
あの子供の実力に。
「その意味するところは、自らが持つ力に絶対の自信を持っている、って具合か」
「えぇ。何も知らなければ、若さ故の自惚れと笑いたいところですが……彼の場合は、そういう訳ではないのでしょう。あのテロリスト騒ぎの時は、停電のせいで記録媒体が全てやられてしまったため、肝心の戦いの様子は確認出来ませんでしたがね」
「あぁ、そこが残念だ。競技の時のものはあくまで試合であったため、一つ頭抜けた動きをしてはいても、それ以上のものはわからんかったからな」
それから国王は、さも楽しいものを見たかのように、言葉を続ける。
「奴はな、私を王と思っていないのかもしれん」
「……と言うと?」
「お前も感じてはいただろう。この部屋に入ってきた時から、あの少年は全く緊張していなかった。仮にも一国の王を相手にして、だ。自らが威圧されていることを理解して敵愾心を高めてはいても、私に気圧されてはいなかったよ。これっぽっちもな」
――この部屋に来た者は、大概が縮こまる。
程度に差はあれ、国王という国のトップと直に話す緊張と圧力、調度品から受ける心理的圧迫が作用し、弁の立つ者でも上手く喋れなくなるのだ。
そう、交渉事をこちらの要求通りに動かすため、心理的に『居心地が悪い』と感じるものをわざと集め、配置してあるのがこの応接室なのだ。
物の角度、ソファの位置、不安を煽る絵画、日の差し込む位置など。
きっとそれらの調度品を見て、幾人かは「陛下の趣味が悪い」とでも思っているかもしれない。
無論、何か特殊な魔法を放っていたりする訳ではなく、その効果はあくまで多少心理にマイナス効果を掛けるであろう、という程度のもの。
しかし、それに加えて話し相手が王であるこの身ということが合わさると、それなりに効果的に働くのだ。
これでも、自身は国王である。
相手がどうすれば委縮し、どうすれば安心し、どうすれば要求を呑みやすくなるのか、という話し方のコツは心得ている。
だが……そんな、大人であっても緊張するであろうこの場で、あの少年は全く怯まず、理性的に啖呵を切ってみせた。
周囲の護衛に威圧されながら、ただ真っ直ぐこちらを『敵』として見据えて。
「あの少年は敬語を使ってはいても、そこに形式以上のものはなかったろうよ。途中から荒い口調になったが、最初から胸中としてはあんな口調であったのだろうな。――恐らく、彼は私と、同種の人間なのだろう」
「……違いと言えば、交渉が失敗した時のことを考えていなかった点ですか」
「ははは、そうだな。最後のあの顔で、彼がまだ少年であったことを思い出したよ」
団長の言葉に、心底から愉快そうに笑う国王。
最終的に、感謝を示して二人分の学費免除、また今後の活躍に期待してイルジオンに関する装備品の贈呈、ということで話は纏まった。
まあ、彼自身は本命の交渉以外は本当にどうでも良かったらしく、全てこちらの言うがままに頷いていただけなのだが。
「結局、彼は何故、ルシアニア議員の身柄の拘束などを求めたのだろうな」
「……少年に関して多少調査しましたところ、現在ルシアニア連邦からやって来ている、留学生の少女とかなり懇意にしているようです。もしかすると、その関係かもしれません」
「ほう? 自身の女のために、ということか。ククク、いいじゃないか。――しっかり唾を付けておけよ。少なくとも他国へ行くようなことにはならんようにしろ。親が爵位持ちである故、大丈夫だとは思うが、念のためだ」
「この時代ですからね。畏まりました」
そう、話が一段落したところで、秘書から声を掛けられる。
「陛下、よろしいでしょうか」
「あぁ、何だ」
「娘さんが下にいらっしゃっています。陛下にお会いしたいと」
「は? 娘? ……今日は平日だぞ?」
「どうやら休まれたようです。陛下に余裕があるのが今日しかないから、様子を見に来られたようですね」
「……全く、仕方がないな」
国王はため息を吐き、だが嬉しさを隠せない様子で応接室を後にした。
* * *
国王との交渉の後、俺はその足でそのまま学園へと向かった。
「――これが、ソイツの顛末だ」
すでに時刻は放課後の時間帯となっており、部活へ向かおうとしていたシオルを呼んで、キョトンとした顔の彼女を人気のない校舎裏へと連れていくと、俺は国王から貰ってきた資料を見せる。
「……死んだ?」
ソレに目を通し、呆然としながら、彼女はポツリと呟く。
「あぁ、俺もビックリだったがな。その資料の示す通り、かなり凄惨に殺されたようだ。相当恨まれていたらしい」
「……そう、死んだ。死んだの……」
何度も何度も資料のページを捲り、穴の開く程死体の写真を見詰め、ようやくその内容が頭に浸透してきたのか、パタンと閉じる。
「……呆気ないものね。あれだけ、殺したくて殺したくて仕方がなかった男が、そんな簡単に……わざわざ、私のために交渉を?」
「ん、まあ……そうだな。本当はソイツを逮捕してくれってつもりの交渉だったんだが、その資料を渡されて『もう死んでるぞ』って言われて、完全に無駄だったけどな。思わず、面食らっちまったよ」
ポリポリと頬を掻き、苦笑してそう言うと、彼女は様々な感情を瞳に見せ、徐に俺に抱き着く。
俺の胸の辺りに頭を預け、胴に腕を回し、ギュッと。
一瞬固まる俺だったが……彼女の背中に腕を回して抱き締め返し、片方の腕でその頭を撫でる。
温もりと、少女の甘い香り。
恐らく、数分程はそうしていただろう。
未だ抱き着いたままだったが、鬼族の少女は、間近から俺を見上げる。
ストンと、一つ憑き物が落ちたかのような顔。
潤んだ、熱量を感じさせる瞳。
「……こんなところ、フィルには見せられないわね」
「はは、まあ、今なら許してくれるんじゃないか? アイツもお前の事情は知ってる訳だしよ」
「そうね。……ね、ユウヒ」
「ん?」
返事をすると、彼女は俺の両の頬を掴み、精一杯に背伸びをして。
軽く、俺の額に口付けする。
「……おう、額なんだな」
誤魔化すように、冗談めかしてそう言うと、彼女もまた同じような口調で答える。
「残念だった? けれど、唇だと、流石にフィルに怒られるだろうから。あの子、怒ると怖いわ」
「違いない」
俺達は、笑った。