宮廷《2》
「……何?」
国王は俺の言葉が予想外だったのか、一瞬言葉を失った後、ただそれだけを言う。
「捕らえてほしいのは、レゲリー=ヴフニクという男。ルシアニア連邦の議員です」
ソイツは――シオルの両親を嵌めた、犯罪者。
彼女の心の内に残るドロドロとした感情は、この男をどうにかしなければ、完全には除くことは出来ない。
そして俺には今、それをどうにか出来るかもしれないだけの機会がある。
ならば、その機会を活かさなければ彼女に対する裏切りだろう。
「……その者は他国の議員だ。悪いが、我が国が関与するのは不可能だな」
「不可能? 違う、言葉は正しく使ってください。――やらないだけだ。それを成す術は持っているが、政治的に面倒になる可能性があるから、やらない。こちらが言っているのは、あなた達にはその面倒を負っていただきたい、ということ。要望は、それです」
護衛達がざわりと気配を荒らげ、息を呑むのがわかる。
だが、逆に国王はニィ、と笑みを――獰猛な笑みを浮かべる。
「……なるほど、な。ファーガス先生から聞いてはいたが、とんでもなく厄介な子供だ。あの事態を治めたってのも、それ以前に脅威度『Ⅹ』の魔物を討伐したってのも、頷ける」
……ファーガスってのは、セイリシア魔装学園の理事長のジジィだったな。
俺とこうして会うに辺り、やはり事前に何かしらは聞いていたのだろう。
「そこまでわかっているのなら話は早い。その通りだ、ルシアニアの現状を鑑みるに、恐らくその男も叩けば埃の一つや二つ、簡単に出て来るのだろうな。しかし、だからと言って逮捕するだけの権限を我々は持っていない。無理に強行などすれば、関係悪化は免れん」
「そうしてまた、対抗戦でのテロリスト騒ぎのようなことを繰り返すと? テレビの演説では、そういう不正はもう、許さないと仰っていたようですが」
自国内に飛行戦艦の侵入を許し、襲撃を許し、そして逃がしてしまった。
あの船のステルス航行機能が半端じゃない性能をしていたことは確かだが、どう考えても簡単ではないその事態に、当然批判の声は多く出ている。
それを誤魔化すためには派手なパフォーマンスが必要となるため、この男が威勢の良いことを報道で言っていたのはよく覚えている。
実際、すでに色々と動いてはいるんだろうがな。
「そうだ。これからは無関心を決め込むのはやめ、周辺各国と共にあの国に協力することになる。だが、ここで『お宅の議員、犯罪者だからしょっ引くぞ』、なんて言って捕らえられると思うか? 少なくとも、一つ借りを作ることになるだろう」
「では、作ってください。それで解決でしょう」
「それは、個人の願いのために国に不利を働け、ということだ。幾ら君達の貢献が大きかろうが、呑む道理は見つからんな」
……面倒だな。
尤もなことを言っているように見えるが、見えるだけだ。
確かに、俺の要望はこの国にとって不利に働くのかもしれない。
だが、やりようは幾らでもあるはずだ。
あの国が今、たった一人の議員の政治生命を気にするだけの余裕があるとは到底思えず、金でも積ませて黙認させればいいのだから。
それでも、こうして理を以て拒絶するのは、俺のお願いは聞かなくとも実害は生まれないが、聞いてしまえば多少なりとも実害や不確定事項が発生するからだ。
ならば、幾らこちらに借りがあろうと、拒絶して俺が折れるよう口八丁でやり過ごした方がいいと考えているのだろう。
なんともまあ、国家理性に忠実な男であることか。
クソッタレめ。
……まあ、いい。
元々向こうも喧嘩腰だったのだし、俺ももう遠慮する必要などないだろう。
取り繕う気も失せた俺は、ス、と視線を鋭くし、言った。
「――おっさん。認識に齟齬があるようだから言っておくが、俺達はアンタらの命を救った。争いの火種を一つ潰したと言ってもいい」
その口調に、今度こそ護衛達が我慢出来なくなったようで、俺を窘めようと口を開きかけるが、片手を挙げ国王自身がそれを止める。
目の前の男はあくまで笑みを絶やさず、顎をクイと動かし、俺に続きを話すよう促す。
「にもかかわらず、だ。アンタは道理が通っていないと言う。つまり、アンタを含めた幾千人の命は、どうしようもない犯罪者よりも下ってことか? 今後起こったであろう七面倒な騒乱を未然に防いだことは、俺達への借りにはならないと?」
つっても、彼らは絶対に大虐殺なんてことはしなかっただろうが。
今だけは、大袈裟に言うことを許してもらおう。
「それとこれとを同列の問題として語られても困る。それに、我々もまた我々で動いていた。君達――お前達によって騒動が収まったことは確かだが、それがなくとも無事に物事が進んだ可能性はある」
「知らねぇな。間に合ってねぇ救助の話なんざ、したところで何の意味もねぇ。たらればで言うんだったら、俺達が動いていなかった場合、アンタや他国の高官がすでに死者と化し、この国のみならず周囲の国全てに大混乱が起きていた可能性もある。違うか?」
「…………」
沈黙。
男は笑みと共にこちらを睨み、俺はそれから決して視線を逸らさず、真っ直ぐ見据える。
空気がヒリつく。
その粘度が増し、重力が増したようにすらも感じる。
もはやここにいるのは、『国王』と『学生』ではない。
敵と、敵だ。
「……一つ、聞こう。その議員が、いったいお前とどういう因縁があるのだ? お前の経歴は軽く見た、ルシアニアへの渡航経験は一度もないはずだ。何が、お前をそこまでさせる?」
「こっちの事情だ、アンタにゃ関係ねぇ。だが、ソイツにだけはのうのうと生きていられちゃ困る。俺の安寧に関わるんだ」
他でもない、俺の安寧のためにな。
「……ふむ。おい、資料を」
とりあえずソイツの情報を知るつもりなのか、国王は控えていた秘書らしい者へと声を掛ける。
どうやら、名前を聞いてすでに用意を始めていたらしい。
一分もせずに数枚の資料が持って来られ、国王はそれにパラパラと目を通し――そして、何故か怪訝そうに眉を動かす。
「……豚箱にぶち込みたいのは、レゲリー=ヴフニク、で合っているな?」
「そうだ」
俺が頷くと、国王はこちらに資料を渡しながら、言った。
「その男、もう死んでいるぞ」
……は?
「し、死んでる?」
「つい一週間前のことのようだ。『第00旅団』というあのテロリスト達が名乗りを上げてから、ルシアニアでは自警団もどきが多く現れている。レゲリー=ヴフニクという男は、どうやら相当嫌われていたらしいな。市民に家から引きずり出され、リンチされて死んだようだ」
ルシアニアのそういう現状は、ニュースなどで聞いていたが……。
すぐに渡された資料へと目を通すと、何発もの銃弾を撃ち込まれたらしいグロテスクな死体の写真の隣に『死亡』と銘記されており、詳しい状況や死体の破損状態までもが事細かに記されていた。
……どうやら、本当に死んじまっているらしい。
その結果が想像の埒外であったため、思わずポカンとしてしまった俺を見て、国王は言葉を続ける。
「……さて、こういう結果になった訳だが、どうする?」
「あー……えっと……どうすりゃいいですかね?」
「…………」
「…………」
場を支配する、先程とはまた違った、居心地の悪い沈黙。
俺達は互いに、自然と苦笑いを溢していた。